第67話忠義という意味

 自分は勝ち組だ。彼は自信を持ってそう言えた。言えていたのだ。


 少なくともちょっと前まではゴブリンとして真っ当な生を謳歌していた。同年代では一番早く部隊を任されたし、腕も立った。


 だが残念ながら今の彼の状況は勝ち組とは程遠い。


 なにせ——元仲間が思い出に浸る暇を与えず襲いかかってくるのだ。


「死ね、裏切り者がぁぁ」


 すぐ後ろに迫ったゴブリンが凶声と共に槍を突き出した。彼はやむなく足を止め、軽いフットワークで横に躱し空を穿った槍を掴む。


 反射で槍を引っ張った持ち主の喉に愛剣を遣わした。ゴブリンが倒れることを確認すらせず前を向いて再び走り出す。


「コボルトに殿軍も任せたのは失敗だったな」


「私たちがやるわけにもいかないだろう」


「……確かにな」


 にしてももう少し持つと踏んでいたんだけどな。主のきっぱりとした答えを聞いても彼——とある使徒にゴブリンリーダーと呼ばれる剣士——の胸中は晴れないままだ。


 そもそも背を向けて逃げるというのがいただけない。『戦士は背を向けた時に死ぬ。戦士としての誇りも、その命も』とはウルズの教えである。そのウルズと戦っている最中に考えるべきでないかもしれないが。


「それに」


 動き出したコバルトたちを見ながら彼の族長が口を開いた。その顔に浮かんでいるのは嫌悪か哀れみか。


 付き合いの長い彼自身でも薄らと感じ取れるほどだが確かに族長は負の感情を抱いていた。


「生贄が追加されるようだ」


 シマズかよという族長の呟きに反応しかけた彼を置いて族長は再び早足で歩き出した。


 族長の後ろをちょこちょこと付いている狼の尻尾を目で追いながら彼は小走りで族長を追いかける。


 族長に並んだ彼は百面相で歩いている族長に話しかけた。


 多分、何か下らないことを考えているんだろうから。


「生贄ってどういうことだよ」


 振り返った族長は面倒くさそうな顔をしているが実際は違うのだと彼は知っている。族長は彼に何か教える時間と飯を食べる時間を結構楽しんでいることを。


「奴ら少数の分隊を作って待ち伏せさせているんだろう。悪くない手だ。時間も稼げるし被害も与えられる」


 言いながら族長の顔はほんの少し苦味を帯びた。


「勿論、分隊を犠牲にすればの話だ」


 彼の族長は珍しいことに犠牲を好まない質だ。そのさがは好ましいものではある。たがゴブリンには不要だ。


森神官ドルイドのことは——」


「その話はするな」


「はいよ」


 感情を排した冷たい声音は下手な答えより明確。族長の刺々しい態度に彼は諦めたように頷いた。かつての友のことを族長は割り切れていないらしい。


 彼の族長は優秀だ。年齢を考えればありえないほど強く頭も切れる。おそらくかつての主より。


 心も強い。感情を抑制する術に長けていて部下の感情も理解している。ただそれでは足りないのだ。ゴブリンの族長は感情を抑制するだけでは足りない。


 悲しみや寂しさ後悔。自らを弱める感情を捨てなければならない。


 でなければ感情というものに永遠に苦しめられるだろう。そして恐らく苦しみが命取りになる。冷酷にならなければいけないのだ。ゴブリンはそういう生き物だ。


 そう理解していても彼はそんな族長は見たくないと叫ぶ心に苦笑せざるを得なかった。


「副官?」


 訝し気に自らを見つめる族長に彼は慌てて頭を切り替える。


 聞いていなかったと答えれば確実に睨まれる。


「ああ。それでいいのか?」


「これ以上兵を失えば組織的戦闘能力を失う。ウルズがノロマで助かった。あいつに追いかけられていたら足止めなんて無理だからな」


 どうやら族長は俺に足止めをしろと命じているらしいと彼は悟った。


 コボルトの献身のお陰か今は敵の姿はないが戦闘音からするとそう遠くない。追いつかれるのも時間の問題だ。


「俺だけか?」


「一人がいいなら構わないが」


「冗談だ」


「だろうな。3人連れて行け」


「わかった」


 頷きながらふと違和感を覚えた。何か、何かが以前と違うのだ。


「なんだ?もっと人数が欲しいのか?」


「いや3人で十分」


 反射的に族長の問いに答えた時、疑問が氷解した。


 数え方が違うのだ。前は何人ではなく何匹だった。不意にこの族長の小さな変化に微笑ましさを覚えた彼は表情にも内心を反映させてしまう。


「さっきからなんだ?」


「あんたも変わったと思ってさ」


「私は変わってないぞ」


「いいや変わったさ。昔とはいろんなことが違う」


 出会った当初は傲慢で懐疑に満ちた魔術師だと思っていた——実際傲慢で不審だが——ゴブリンを族長として扱うなど当時の自分が聞けば鼻で笑うだろう。


 族長のもの問いたげな視線を無視して彼は剣の柄を撫でた。


「行く」


「頼んだ」


 簡潔なやり取りを終えると彼はくるりと背を向けて昔ながらの部下に合図する。


 近づいてきた部下たちの顔を確認してから重々しく口を開いた。


「俺たちで敵を足止めする」


 部下たちの顔が驚愕に歪みお互い顔を見合わせて人数を確認した。

 

 信じられないという顔でもう一度確認する。


「あの、副官。4人しかいませんよ」


「その呼び方流行っているのかよ……あと、4人で十分だ。まともな敵は来ない」


 不安げな部下たちの肩を叩いてから彼は笑顔を作った。


 何も心配はいらないとばかりに。


「大丈夫だ。族長が保証したんだ。あの人は敵の強さは測れなくても弱さを測らせたらピカ一だぞ」


「それ褒めてるんですかね」


 部下がボソッと呟いた一言を無視して一人一人の顔に視線を送る。 

 

 全員問題はないな。若干族長の言葉を誇張したことが問題と言えば問題だがバレなければ問題じゃない。


「行くぞ」


「「「はっ」」」


 一斉に返事した部下たちに深く頷いて見せてから彼は走り出した。


「おぉぉおおお」


 かつての仲間、そして見ず知らずの敵に咆哮を放つ。威嚇と鼓舞を込めてだ。


 怯んだ一瞬の隙を見逃さず腹を蹴り飛ばし倒れたゴブリンの胸に剣を突き刺した。

 

 続く敵兵の棍棒を躱し剣を引き抜いて喉目掛けて斬撃を放つ。神速とは行かないまでもそれなりの速度を持った斬撃を棍棒持ちの兵士がいなせるはずもなく難なく斬る。


 突き出された槍を横っ飛びに躱し距離を詰めて左の拳で片付けた。


 左後ろの風切り音を知覚して反射的に振り向くとちょうど殺意に満ちたゴブリンが斧を振りかぶった所だった。


 死ぬっ!


「くそっ」


 罵声と共に無様に地面に転がり強烈な一撃を避けた彼は即座に起き上がる。


 剣を構え直し敵兵を睨みつけた。構えに隙がない。手練れだ。


 顔は知らないので元々北の集落にいたゴブリンだろう。


 一呼吸置いた彼が距離を詰める前に、ゴブリンの胸に剣が生えた。

 

 敵兵の後ろに立ち剣を引き抜いたのは彼の部下の一人だ。


「よくやった」


 軽く労ってから前に向き直り、直後に後悔する。


 コボルトたちが必死に構築した防衛線を敵ゴブリンの一隊が突破する瞬間を目撃してしまった。


 これでは相手にしないわけにはいかないではないか。


 幸い強敵と呼ぶべき相手は見当たらない。問題なく片付けられるレベルの敵ばかりだ。


 数は6。ワームを殺すより簡単である。


「あいつらを片付けてさっさと戻るぞ」


 部下が無言で武器を握り直した音と敵が忌々しげに舌打ちをするのがほとんど同時だった。


「聞こえていたか。逃げてもいいぞ?雑魚をいたぶる趣味はない」


「死ねぇぇぇ」


 罵声と共に駆けてきた切り込み隊長の一撃を剣で受け止め、相手の勢いを利用して剣を巻き取った。


「まっ」


 無手となった敵の命乞いを聞き流して留めを指す。


「あの方があんなにあっさりと……」


 敵の表情に勝手にアテレコしながら彼はゆっくりと歩み寄る。


 敵兵の恐怖に歪む表情を見ても何か特別な感情を抱く余裕は彼にはなくなって久しい。


 慈悲は贅沢品だ。


「くそっ。全員で掛かれ!」


 奥に控えていた偉そうなゴブリンが恐怖を滲ませた声音で言った。奥で偉そうにできるゴブリンは魔術の使い手と相場が決まっている。


 で、残りの敵兵は……1,2,3,4と。これなら部下に任せても問題ない……か。


「あいつらはお前たちでやれ」


「奥の奴は?」


「俺が殺る」


 感情を切り離し自身の体と相手にのみ注力した。魔術師相手に注意力散漫になるのは余程の馬鹿か強者のみ。


風よウィンド


 魔術師が叫んで杖を振るうと枯葉とと共に風が吹き付けてきた。


 ……まさか、これだけ?


 馬鹿なと彼は自分を諌めた。これは罠に違いない。同じ魔術師の族長なら邪悪な力の籠った魔術を3回は飛ばす。


 これは罠だ。油断を誘い捕虜にして拷問を加えるための罠だ。


 その手には乗らない。


魔法の矢マジックアロー


 ほらきた。自身へと迫る魔法の矢に対して剣を盾のように構える。


 直後、衝撃が爆発——しない。普通の矢と同じくらいかちょっと弱いくらいだ。


 おかしい。そんなはずはない。


 魔法の矢マジックアローと言えば頭が吹き飛ぶほどの威力があって当たり前だ。


 現に族長もまたかつての仲間の森神官ドルイドも同じような威力だった。


「弱い。弱すぎる。何を企んでいる……?」


 独り言のつもりだったがその言葉は彼の予想より大きく響いた。敵の魔術師の耳にもだ。


 恐怖を越す屈辱に打ち震える魔術師が忌々しげに杖を振るう前に——彼は距離を詰めた。


「ふんっ」


 鋭く気合の籠った一撃を魔術師の首元に放つ。


 さあ、まずは小手調から——斬撃は易々と魔術師の首を刎ね飛ばし、彼は衝撃のあまり思わず足を止めてしまった。


 馬鹿な。族長なら……いや族長と比べるのは無理があるかもしれない。


 ようやくその答えに辿り着いた彼はではなぜ大した力もない魔術師が部隊の指揮を取っていたのかと訝しみ、今度は素早く答えを見つける。


 魔術師だからだ。魔術師は一般的に他の系列の存在よりも知能が高いとされている。


「魔術師贔屓がここまで浸透しているとはな」


 心の中で不平を漏らしている間に部下の戦いも難なく決着がついたようだ。


 駆け寄ってくる部下を横目で捉えながら彼はコボルトの様子を確認した。


 まだ持ちそうだ。今の内に退こう。


「退くぞ」


 一言命令を下し率先して歩き出した。勝利はまだまだ遠い。

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