第5話「ワタノベ氏」・五十肩。

 関節は歳を取るとすき間が狭くなって痛みが出るから、関節のすき間を広げるつもりで導引をするといいぞ。


 祖父、仁蔵は、そう言っていました。


 ❃


 今日のお客様は、ワタノベ氏、50代・男性・会社員。先代からの常連さんである。


「いらっしゃい……焼けてますね」


 ワタノベ氏は、釣りをする時のようなキャップの帽子にチョッキ、サングラス姿である。


「釣りに行った帰りなんだ、たいして釣れなかったけどね……冬子とうこちゃん、食べるならこれあげるよ」

「何ですかこれ?」

「ニジマス、美味しいよ」

「へ〜〜っ、美味しいんですか。じゃ〜いただきます」

 冬子はあまり魚のことは知らない。自分でさばいたりもできない。いつもスーパーの切り身を買っている。



「今日はどうしましょう?」

「釣りで肩を痛くしちゃったんだ。肩もんでくれる?」

「はい、肩ですね。大物釣ったから肩にきたんですね……」

「……そうね、前から右肩は痛いんだけど、五十肩じゃないかな?」

「五十肩ですか……みてみますか」


 冬子は、ワタノベ氏の肩を触っている。

「五十肩なら関節を広げると痛みが和らぐと思うんですけど、少し広げてみますね」

 冬子は、ワタノベ氏の後ろに回り左手で右肩を押さえ、右手で腕を取り右肩の関節を広げるようにゆっくりと引っ張った。


「う~~ん……、痛みが引いていくようだ」


 ワタノベ氏は痛いような気持ちがいいような変な気持ちだが、引っ張られるとわずかに関節は広がり痛みは引いていった。


「これで良くなるようなら、もう少し引っ張って、肩の腱もととのえましょう」

「なんか良くわからないけど、痛みが引くならやって」


 冬子は、肩の腱を押さえ血液が通りにくくなっている硬い部分を触った。

「ここの腱が硬くなっているので押すと痛いですよ」

「ああっ、いいよー、新しい血液を通すんだろう、痛くてもいいよ」

「じゃー、いきます。そーれ!」


「いてててて……効くわ」


「これってツボ?」

「これはツボと言えないこともないですけど、骨と筋肉をつなぐ腱に無理がかかって炎症を起こして硬くなってると思うんです。こうやって押して古い血を出してやれば自然と新しい血が入って腱を治してくれるはずです。にもコリができるんですけど、ここを押してやると流れがよくなるようです」


「ふーーん、そんなものか……肩なら自分で押せるね。肩甲骨も押せるかな?」

「押せますよ。自分でやらなきゃ! いまやってるのを覚えて自分でやってください」

「面倒くさいな」

「すぐ、うっ血するから、1日に2回くらいやるといいですよ。肩はなかなか治らないので気長にやるといいですよ」

「肩は治りにくいの? 会社でも五十肩が治らないって人がいるよ」


「肩に炎症があるときは無理をしたらいけないんですけど、炎症がおさまったら多少痛くても動かさないと動かなくなってしまうようです。そうなると治るのに時間がかかるようです」

「病院の先生も同じようなことを言ってたよ。冬子ちゃん、勉強してるね」

「へへへっ、祖父から聞いただけですけどね」

「仁蔵さんは腕が良かったからね。俺も、もっとやり方を聞いておけばよかった」


「自分でやるやり方は、腕を水平に伸ばして、手のひらを上にして、肩の関節を広げるイメージで腕を外側に伸ばすのがありますよ」

 冬子に言われ、同じようにやってみるワタノベ氏。


「ワタノベさん、肩も首も硬くなっていますよ。自分でやるなら『土の姿勢』も教えましょうか?」


「釣りの姿勢?」

「土ね、つ・ち」

「簡単なの?」

「簡単、簡単、誰でもできます」


「ワタノベさんはパソコンを使うお仕事ですか?」

「ああ、そう、パソコンばっかり使っているよ」

「じゃー、パソコン用の土の姿勢を教えましようか? これは周りに人がいるとやりにくいんですが……」


「あ〜っ、最近はテレワークで半分は自宅で仕事だから周りに人はいないよ」

「あっ、流行りのテレワーク! ワタノベさんの勤めている会社って大きいんでしょ?」

「ああーっ、そうね、大きいよ」

「いいですねー、わたしなんて個人経営だからボーナスも何にもないんですよ」


「それはしかたないよ、冬子ちゃん、手相で神秘十字があるでしょう。しかも両手に……」

「えっ、え~ありますね」

「そういう人は平凡な暮らしはあまりできないらしいよ」


「えっ、そうなんですか? それは運が悪いの?」

「運が悪いわけではないよ。むしろ運はいいはず、ただ才能に恵まれているので平凡を嫌い自分でなにかを始める人が多いようだね」

「へ~~っ、凄い! ワタノベさん手相も見れるんですね」


「いや……ユーチューブの動画でたまたま見たんだ……」

「な~んだ、でも、よくわたしの手相を覚えてましたね」

「前に手相を見せてもらった時に気づいてたんだけど、俺も片手に神秘十字があるから……俺は片手でよかったよ」


 冬子は、ワタノベ氏に『土の姿勢』を教えている。

「土の姿勢は四つん這いになって首を左右にゆっくり振る技なんです。腰は上げても下ろしてもいいです。首と胸のコリを取るようにゆっくり、ゆっくり波のように、リズムは自分に合わせて、コリが強ければ、そこで止めてもいいです」


「コリが凄い……ステイビー○ンダーがピアノ引きながら、こんなのやってなかったっけ?」

「あーっ、あれ近いですね。土の姿勢はパソコンを使いながら座ってできるのよ」

「これが一の型で、二の型は首をねじってアゴを肩に付けるようにするの、左右ね」

「こう?」

「そう、そう。上手、上手……」


「あぐらをかいて机を手でつかむと、腕が肩より少し上になるんです。その姿勢で肩の関節を広げることもできるんですよ」

「机を掴むの?」

 ワタノベ氏は、そばにある机を掴んでいる。

「なるほど、これなら簡単に肩の関節を広げられるね。この時、首もひねるのかな?」

「そうです。よく気が付きましたね!」


「へへへ、だんだん導引が分かってきたよ」


「右手で机を掴んだまま、左手を右の脇の下から入れて肩甲骨の裏を押さえられるんですよ。指で押すのと、指で押さえたまま自分の肩を動かすやり方があります。あたしは押さえて肩を動かす方が、やりやすいです」


 ❃


☆冬子とおじいさん。

「おじいさん、五十肩って、なかなか治らないんだけど、なんで?」

「五十肩は治るのに時間がかかるな、わしもなったが嫌になる。ズキン! と痛みがくるからな、腕も自由に動かんしな……」


「早く治す方法はないの?」


「たぶん五十肩は痛い所と悪い所が違うんじゃないかな?」

「肩が悪いんじゃないの?」

「痛いのが肩だろう。肩の関節と周りの筋肉、三角筋とか、肩の下あたりの筋肉も痛くなるぞ」

「そうみたい。あたしはなったことないから分からないけど、それで悪い所って?」


「わしは、前に痔が悪くなって肛門が痛いので肛門のうっ血をとっていたんだが、ぜんぜん治らないんだ。その日の痛みは取れるが、いつまでたっても現状維持。それで、ある日、肛門の前の仙骨あたりを調べてみたらコリを見つけたんだよ。そこをほぐしたら、じょじょに肛門は治っていったよ」


「恥ずかしいことを平気な顔で……」


「痔は痛いんだぞ、排便が辛くなったら目の前真っ暗だ。痔がなければ排便は楽しいぞ」


「そうね……それで、五十肩は?」


「肩が痛ければ関節の炎症か筋肉が切れているなどだろうが、心臓から肩までの所を調べてみたらいい。肩甲骨の裏と鎖骨の上下だな。わしは鎖骨で肩への流れが悪くなるからなかなか治らないんじゃないかと思っている。鎖骨をなでる人は少ないからな」


「なるほど、鎖骨ね。そこはさわらないわ、肩甲骨はさわるけどね。鎖骨はもめばいいの?」

「鎖骨は、繊細な部分だから、鎖骨を軽く押さえて腕を上げたり、回したりした方がいいだろうな」


「なるほど、悪い所を押さえて体を動かすやりかたね。ありがとう、おじいさん」

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