第688話 新酒の後日談ですが何か?
治安の悪化が進む王都において、『ニホン酒・ノーエ』の話題はとても明るいものであった。
酒場では店頭販売とは別に、ミナトミュラー酒造商会から優先して卸されていたので、店頭で買えなかった者達は酒場に押し寄せていた。
「店で並んで買えなくて諦めかけていたんだが、酒場に置いてあって助かったぜ!」
お客の一人が、酒場の看板に『ニホン酒・ノーエ、入荷しました』の張り紙がなされていたので、店主に喜び勇んで店内に入って来た。
すると、すでに店内はまだ日が沈む時間でもないのに、満席に近いくらいお客がいた。
「ひゃー、マスター。今日は繁盛しているじゃないか!」
お客は常連客の誼で気安く声をかける。
「いらっしゃい! いやー、驚いたよ。これも『ニホン酒・ノーエ』の宣伝効果様様さ! それで何を飲む? エールか果実酒か?」
マスターはホクホク顔で常連のお客に軽口を叩く。
「おいおい、マスター。俺が、こんな明るいうちから顔を出したのはもちろん、『ニホン酒・ノーエ』を飲む為に決まっているだろ! まずは、一杯頼むぜ!」
常連客は、マスターのすっとぼけた口調に対し、当然の目的である例のお酒を要求する。
「あるにはあるが、一人、グラス一杯までだがいいか? うちは酒造ギルドのお得意様だから、大瓶で十本程回してもらったんだが、この客入りだと一杯に制限しないとあっという間に無くなっちまうからな」
マスターはすでに言い慣れたセリフを常連客にも告げた。
「そんなことだろうと思ったよ。今日は、とにかく『ニホン酒・ノーエ』の味を知っておきたかったからそれでもいいさ。──それで、一杯いくらだい?」
常連客は前回の『ニホン酒』や『ドラスタ』の時にも値段が高かったのを経験しているから、驚くことなく聞き返す。
「銀貨で──これくらいです」
マスターは口で言うのを憚って、両手の指で価格を示す。
「は、八枚だと……!? 前回の『ニホン酒』の時だって、一杯銀貨五枚くらいが相場だっただろう!? ──……マスター、足元を見やがったな……? こんな価格だと怒る連中もいるだろう?」
常連客もさすがの高額に冷静でいられず、愚痴を漏らした。
「それが、みなさん愚痴を言いながらも支払って飲むんですが、誰もその後は文句を言っていませんよ」
マスターは殺し文句と言えるセリフを口にする。
「……くそっ! 『ニホン酒』や『ドラスタ』の時も衝撃が強くて、文句を言えなかったからやっぱりか……。──わかった、支払おう。銀貨八枚だな?」
常連客は文句を言いながらも、革の袋から銀貨を八枚取り出すと支払う。
マスターはこれもこの日、何度目かの光景に満足すると、グラスを常連客の前にトンと、音を鳴らして置く。
すると、その音に反応するように、店内の客達がこの常連客に注目した。
マスターはこれも慣れた様子で視線を無視すると、『ニホン酒・ノーエ』の大瓶を奥から持ってくる。
常連客は何となく背中に感じる他の客の視線に、「……なんだ?」と不思議に思いながら、目の前に出された小さなグラスに注がれるお酒に注目した。
「『ニホン酒』同様、色は透明だな……。そして、香りもフルーティーで少し近い感じがする……。あとは味か……」
常連客はやはり、背中に視線を感じるので振り返る。
すると他の客達はすぐに視線を逸らして誤魔化す。
「?」
常連客は首を傾げながら、目の前の一杯のお酒に集中することにした。
少量のお酒が入った小さなグラスを手にして、慎重に一口だけ口にする。
「!」
常連客は以前の『ニホン酒』のような甘い口当たりを想像していたのだろう、舌に広がる辛い飲み口に驚き、そのすっきりとした後味に、鼻息を荒くした。
「鼻に抜ける香りも素晴らしいが、この後味も、素晴らしいな……!」
常連客は、すぐにでも残りのお酒を飲み干してしまいたい衝動に駆られるが、ここはぐっとこらえてまた、一口、味わった後にまた一口といった様子で、チビチビと飲む。
最後の一滴を飲み干すまで常連客は黙っていたが、それもそこまでで、
「マスター頼む! もう一杯くれ!」
と空になったグラスをマスターの前にトンという音と共に置くのであった。
その瞬間、
「やっぱり、そうなるよな!」
「そこは一杯で我慢しろよ、そっちに賭けたのによ!」
「ほら、これやっぱり、賭けにならないって!」
とこの常連客の様子を見て店内の客達が口々に言い始めた。
どうやら、店内の客達は『ニホン酒・ノーエ』を飲んだ客の反応に賭けていたようだ。
「待て待て! この客は一口飲んだ後、勢いで残りを飲み干さなかったから、俺の一人勝ちだろう!」
店内の客の一人が手を挙げて、自分が賭けに勝ったことを告げる。
当然だが、常連客は何のことだか最初はわからず、ポカンとするのであったが、状況を把握すると、
「そんな勝ち負けはどうでもいい! ──マスターあと一杯くれ!」
と自分が賭けの対象になっていることも無視してマスターに直談判した。
これには、店内の客も笑いだす。
「がははっ! それはここの連中みんなお願いしたが、マスターは聞いてくれないぞ?」
「そうそう。マスターは一人でも多くの客に、この『ニホン酒・ノーエ』を飲ませて感動させたいんだからさ」
「あんたも二杯目は諦めて、こっちで一緒に『ドラスタ』で乾杯し直そうぜ。次の客が来る前にな」
他の客達は、おかしそうに常連客にそう声をかけると、常連客はマスターの黙って頷く顔に残念そうに納得すると、カウンター席から移動するのであった。
「マスター! 『ニホン酒・ノーエ』が入ったって本当か!?」
新たなお客が、看板に張り付けてあった殺し文句を見て飛び込んできた。
マスターは、この日何度言ったかわからないセリフをこのお客にも言って、返事を貰うとグラスをカウンターにトンと音を鳴らして置く。
その音に店内のお客達は、内心で「また、来たー!」と歓喜して耳をダンボにしながら、『ニホン酒・ノーエ』目的の客の反応を肴にお酒が進むのであった。
マイスタの街長邸執務室。
「お疲れ、ノストラ。そう言えば、店頭販売は完売したけど、酒場の方の反応はどう? さすがに、店頭で売れ行きは確認できたけど味の感想は少なかったから、気になるんだよね」
リューは、注文が殺到しているという報告をしに来た商会副会長のノストラに、評判の方を聞いた。
「かなり、好評みたいだぜ? 甘口の『ニホン酒』と違い、辛口の『ニホン酒・ノーエ』ということで好き嫌いが分かれるかと思ったんだが、酒好きの連中は、たった一杯のお酒に感動してくれているらしい。酒場の店主もバカみたいな金額で飲ませているみたいだが、不満は上がっていないみたいだ」
ノストラは、そう答えると、ニヤリと笑みを浮かべる。
「前回同様、値段が上がるのは仕方ないかぁ。まあ、これからその『ニホン酒・ノーエ』を楽しめる『天ぷら屋』の開店に繋げていく予定だから、今の多少品薄状態で進めていこうか」
リューは報告を確認しながら、そう応じた。
価格が正規の値段よりかなり跳ね上がっているが、前回の経験も踏まえ、その価値を維持しつつ、『天ぷら屋』開店の為の布石とする。
「人気の『ニホン酒・ノーエ』が、正規の価格で美味しい食事と共に楽しめるとわかったら、お客さんも必ず『天ぷら屋』に流れてくるわね」
リーンはリューの考えをそう口にした。
「うん。これでノーエランド王国側にも、海産物食材使用をアピールできるし、王都の客層にも新しい美味しいものが提供できて、お互い喜べるものになるはずだよ!」
リューはリーンの言葉に答えつつ、『天ぷら屋』の開店を楽しみにするのであった。
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