第687話 新酒発売当日ですが何か?
王都酒造組合が認定している公式の新酒、『ニホン酒・ノーエ』の発売日。
数か所あるミナトミュラー商会ビルの酒類販売店があるところは、朝から長蛇の列ができていた。
徹夜組によって先頭の方はすでに埋まっていたから、朝一番から悠々と馬車を走らせてきた人々にとっては、後悔することになる。
「一番早く来れたと思っていたら、もう、こんなに人が並んでいるか!」
「先頭の方には貴族も並んでいないか!? 気合いの入り方が違い過ぎるだろ!」
「──え? 深夜からすでに並んでいた!? マジかよ……! 俺も一瞬並ぼうかと頭を過ぎったけど、まあ、大丈夫だろうと思っちゃったんだよな……。くそっ!」
「つまみとグラス持参で、購入直後にその場で一番に飲もうと思っていたんだが、こんなに並んでいるとそれも難しそうだな……」
長蛇の列を見て後から来た者達は、もっと早く来ればよかったと後悔の念を口にするのであった。
そして、先頭に並んでいる貴族達は気合の入り方が違う。
使用人を使って先頭グループを確保し、自らも馬車で一晩明かしたものがほとんどだ。
中には、貴族自ら椅子を持参し、使用人と二人で先頭を維持している者がいたが、これはさすがに珍しい例だろう。
「一番先頭の貴族って、本家のランドマークブランドのファンとして有名な貴族だよね?」
発売直前ということで、列の様子を見に来たリューが、先頭を確保している貴族を知っていたので傍にいるリーンに聞いた。
「ナントカ子爵だっけ?」
リーンも覚えていたのか、リューの疑問に答えた。
「そうそう、そんな名前。──確か、ナントカーン子爵だった気がする……」
リューはリーンの言葉で、名前を思い出す。
「それにしても、凄い列になっているわね。リューが考えた整理券は配っているのかしら?」
リーンは、そう言うと、『ここが最後尾』の看板を持った従業員を見ながら、聞く。
「そのはずだよ。看板を持った従業員の隣の子が配っているじゃない。……って、あれ、ラーシュじゃん!」
リューはリーンに答えながら従業員に視線を向けると、見たことがあるうさぎ耳の獣人族に気づいた。
「ラーシュ! お疲れ様!」
列を整理しているラーシュにリーンが声をかける。
「あっ、お疲れ様です……」
ラーシュは、二人に気づくと、緊張気味に答えた。
仕事中であったから、同級生というより、上司の意識が強いのだろう。
「友達なんだから緊張しないでよ。──それで、今何人くらい?」
リューが、ラーシュに列がどのくらいの数なのか確認した。
「ここで丁度、三百人です……」
ラーシュが残念そうに答える。
「ということは整理券も終わりかぁ!」
リューは想像以上の数に驚く。
そう、王都の酒造本店は、一人一本販売で、この日は合計三百本を用意しているのだ。
他の店舗は百本ずつ用意しているので、行列がどのくらい並んでいるかは報告を聞かないとわからないが、多分、即完売になるだろう。
そして、開店の時間が迫るのであった。
お店の扉がついに開かれた。
開店と同時に整理券を握りしめた先頭のナントカーン子爵が店内に入っていくと、目的の『ニホン酒・ノーエ』を早速一番に購入する。
使用人も二番目に購入して、すぐに外に出た。
ナントカーン子爵は椅子も持参するほどの気合いの入れようだったが、意外に、その場で試飲しようとせず、お酒の入った桐箱を使用人と二人大切そうに抱えると、列を見守っていたリューに一礼して馬車に乗り込み、帰っていく。
「僕がここのオーナーだとわかっていたみたいだね」
ナントカーン子爵がランドマークブランドのファンであることは知っていたが、リューは目立たないように建物の隅から観察していたので、まさか、その自分に気づくとは思わず、多少驚くのであった。
「リューの名前は王都で有名じゃない。まあ、顔を知っている人は、さすがに少ないでしょうけど」
リーンもナントカーン子爵の反応に感心しつつ、そう指摘する。
そう、リューは名前こそ有名になっているが、貴族のパーティーにはまだ、学生ということを理由にほとんど参加していないので、名前の割に顔の方は全く有名ではない。
一部の貴族は、リューがパーティーで北部の派閥領主サムスギン辺境伯に謝罪をさせた人物として、強烈な印象を受けはっきりと覚えている者もいたが、それも少数なのだ。
それだけに、ナントカーン子爵のように、普段からランドマークブランドやミナトミュラーブランド関連の行事に逐一足を運び、関係者の顔を覚えている方が珍しいのである。
だから、他の購入者達は、リューに気づくことなく、新酒を購入したことに喜び、早速、桐箱から取り出して感動を口にするものも多い。
実際、その場で一口、味見する者達もいた。
「美味い! 以前の『ニホン酒』とはまた違う味わいだ!」
「なんと、芳醇な味わいだ……。それに辛口で、口当たりがすっきりしていて滑らかだ!」
「この味、一口で止まらないな……。おつまみに塩豆持ってきて良かったぜ」
試飲のはずが、帰ることなくその場で飲み始める者がいたが、それはラーシュ達従業員に注意される。
そういった者達は、渋々、瓶を桐箱に戻して帰っていく。
だが、その誰もが、値は張るが『ニホン酒・ノーエ』を手にいれたことで、その顔には笑顔が浮かぶ。
「じっくり味わって、これからもうちで購入してくれますように」
リューはそう願って、喜ぶお客を見送るのであった。
ナントカーン子爵は、『ニホン酒・ノーエ』を手に入れてご満悦であった。
いや、それ以上かもしれない。
妻もランドマークブランドのファンであり、その与力であるミナトミュラーブランドも同じくであったから、今回の新酒を楽しみにしていた。
今は妊娠中ということで、楽しみは先に取っておくことになるが、あと数か月大事に取っておき、子供が生まれたらその祝いに祝杯を挙げるつもりでいるのであった。
こうして、いろんなファンに楽しみを届けることができた新酒『ニホン酒・ノーエ』は、見事に初日は完売し、その後も品薄状態が続く程の人気商品になるのであった。
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