第686話 新酒の発売ですが何か?
ミナトミュラー商会は三日後に向けて、新たなお酒の発売を控えていた。
それは、ノーエランド王国産の酒米で作った『ニホン酒・ノーエ』である。
これまでの『ニホン酒』も十分美味しく、高額だがその需要の高さから誰もが欲しがるものであった。
しかし、入手困難なことから幻の逸品などと評価されていた。
それだけに、新作が発表されるとあっては、ミナトミュラー酒造のファンである貴族達をはじめとした愛飲家達が、手に入れたいのは当然である。
試作品としては、すでにリューが身内には配っていたのだが、世間に出すのはこれが最初であったから注目度は高い。
「ミナトミュラー男爵から、例のお酒の完成品が送られてきたぞ!」
豪華な執務室、毎日各地から送られてくる贈答品名簿にざっと目を通していた中に、ミナトミュラー男爵の名前でニホン酒の贈答品があることを、書類の確認をしていた国王がいち早く気づいた。
「陛下、わかっていると思いますが、今は仕事中なので飲みたいとか言わないでくださいね?」
丁度、来年の予算について相談に来ていた宰相が、注意する。
「何を言う。今までも、仕事の間、気分転換にいっぱい飲むことは普通にあったではないか。それに、ミナトミュラー酒造も今では王都酒造組合の顔となる生産第一位の商会。その商会のお酒の味はしっかり確認しておくのは、国王として間違ってはおるまい?」
国王はもっともらしいことを言っているが、その目は飲みたいという意思で輝いている。
その目を見て宰相は、
(この顔をされると何を言っても駄目だな……)
と判断したのか、溜息を一つ吐く。
そして、
「わかりました。ですが、本当に一杯だけですよ? 確かニホン酒というのはアルコール度数が高かったはずですから」
と注意を促す。
「わかっておる! ──まあ、北部地方から送られてくるお酒を試飲した時は、のどが焼けるかと思ったが、ニホン酒までなら大丈夫だろう」
国王はそう答えると、官吏にすぐ執務室へミナトミュラー男爵からの贈答品を持ってくるように指示するのであった。
「おお! これが新しい『ニホン酒・ノーエ』か! 見事な色のガラス瓶だな」
国王は、桐の箱に入った淡い緑色のニホン酒の瓶を取り出して明りにかざし、感動する。
「私はこれまでの青色のガラス瓶の方が好きですが、こちらも悪くないですな」
宰相は国王の手にした瓶を眺めながら、第一印象を口にした。
「どちらも素晴らしい見た目であることに変わりはないだろう。要は味よ。──それにしても、このグラスは見事な出来だな」
国王はそう言うと、贈答品の中にあった小さいニホン酒用のグラスを机に二つ並べながら、感心する。
「お酌は私が」
宰相は国王からニホン酒の瓶を受け取ると、グラスにお酒を注ぐ。
「色は従来のニホン酒と同じ透明だな。香りも多少違いはあるがフルーティー。そうなると味の違いはどうなるのか?」
国王は窓から射す光でその透明さをグラス越しに眺めながら、注ぎ終えるのを確認すると、早速、手にする。
宰相もグラスを手にすると、香りを確認した。
「従来のニホン酒とはまた違う種類のフルーティーさですな」
宰相も国王の香りの感想に納得する。
「それでは、乾杯」
国王は、宰相にそう告げると、一口、新しい『ニホン酒・ノーエ』を口に含む。
宰相もそれを確認して、口に含んだ。
「「これは!?」」
国王と宰相はその味に同時に驚いた。
「従来のニホン酒の口当たりが甘口なのに対して、こちらは辛口ですな」
宰相が先に味を口にする。
「うむ。この味はすっきりしていて、これはこれで実にうまいな! 以前贈られてきたものとはまた違う美味しさだ……! ──なるほど……。先日、ミナトミュラー男爵が食事会で出した、刺身や魚料理に合うお酒というわけか」
国王は飲んで合点がいったとばかりに感想を漏らす。
「なるほど……。言われてみれば……。──ミナトミュラー男爵はノーエランド王国の料理に合うニホン酒の完成版を造ったというわけですな。それで、『ニホン酒・ノーエ』ですか……」
宰相も国王の言葉に気づいて納得すると感心する。
「あの少年貴族は、相変わらずとんでもないのう。わははっ! ノーエランド王国産の海産物に合うお酒をこうも早く造ってしまうとはな。──いや、ノーエランド王国で見聞した直後から造っていたと考えるべきか……。やりおるわ」
国王はリューの感性と実現させる為の能力に感心した。
それは宰相も同じで、黙って頷く。
「これはまた、多くの貴族達が、この酒を巡って取り合いになりそうだ。わははっ!」
国王は楽しそうに言って残りをグイっと飲み干し、さらに飲むべく、瓶を手にする。
すると、その国王の手首を宰相が掴んだ。
「陛下、一杯だけのお約束ですぞ?」
「むっ……。飲み口がすっきりしているから、もう一杯くらい飲んでも大丈夫だろう?」
「そんなわけありますか! まだ、仕事中なのですから、あとは終わってからにしてください!」
宰相はそう注意すると『ニホン酒・ノーエ』の瓶を取り上げて蓋をすると、官吏に渡す。
「うううっ……、仕方ない……。──宰相、ペースを上げるぞ! 官吏達、手を動かせ、一番多く仕事をこなした者に、美味い酒を一杯、仕事終わりに儂から褒美として取らせるぞ!」
国王は破れかぶれに宣言した。
官吏達にすると、国王からお酒を貰えるというのは名誉なことだし、名前を憶えてもらえる機会でもあったから、目の色が変わる。
そして、いつもは遅くまで行われていたのに、この日の分の仕事は夕方には終えることが出来たのであった。
リューから送られたお酒は国王以下、宰相、大臣他重臣にはもちろんのこと、有力貴族にも贈られていた。
それ以外の貴族に対しては小さい瓶の試供品的なものが多く配られていたから、それを受け取った者達は味見をして感動した。
だから、発売当日に正規品を購入すべく、本人やその部下が王都にあるミナトミュラー酒造商会本店に朝から並ぶことになるのは、自明の理であった。
「いよいよ、明日発売だね……!」
リューは、王都にあるミナトミュラー酒造本店に顔を出して、発売の準備に追われる従業員達を眺めながら、リーンとスード、そして、指示を出すノストラに、少し緊張気味に漏らした。
「すでに、予約の問い合わせがいくつも来ているが、若の指示通り、全て断っているぜ? お陰で明日の朝は行列ができるだろうな。すでに、お店が閉店になり次第、店の前に並びそうな連中もいるし」
ノストラはそう言うと、お店の駐馬車場に数台の馬車が止まっているのを指差す。
「あれ、貴族の馬車だよね? 狙い通りではあるんだけど、お酒の魔力恐るべしだね。はははっ!」
リューはそう言うと気楽に笑う。
「だが、若の言う通り、お店の前に行列ができるだけで、宣伝になるからな。あとは周辺に迷惑をかけないように整理する予定だし抜かりはないぜ。それに口コミ効果というのもかなりありそうだな」
ノストラは、リューの狙い通りに全てが動いているので、楽しそうに言う。
「この勢いで、天ぷら屋の出店に勢いをつけたいね。お店なら、食事と一緒にお酒も飲めるようにするつもりだし」
リューは天ぷら屋の開店を成功させる為に、『ニホン酒・ノーエ』と連動させるつもりでいたのだ。
「若には呆れるぜ、どこまで計算でどこまでが偶然なのやら。この勢いからニホン酒を気に入った客が、天ぷら屋にも流れ込んでくるだろうな」
ノストラはリューの全体の流れを見て動いているその手腕に良い意味で呆れる。
「リューは、ちゃんとその辺りは計算しているわよ。あとは職人達がそれに応えてくれているからこそだけどね」
リューを一番評価しているリーンがそう告げると、リューは自分への過大と思える評価に苦笑したが、スード、ノストラはリーンに賛同するように大きく頷くのであった。
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