第644話 外堀を埋めますが何か?

 ある日の休日。


 ランドマークビルは、休日ということもあって、いつも通り大賑わいになっていた。


 一階では新型馬車の展示会が行われ、上流階級の常連客がひしめき合っていたし、二階ではいつもの『チョコ』や『コーヒー』、それに職人の技術が光る木工製品に注目が集まり、他のお店も相乗効果で客入りは上々、そして喫茶『ランドマーク』では優雅に休憩を取る多くの人で大盛況である。


 普段の光景をリューはリーンと二人、視界の端に捉えながら階段を下りていく。


 リューとリーンは二人、待たせてあった馬車に乗り込もうとすると、


「あっ。ミナトミュラー男爵?」


 という声が聞こえた。


 振り返ると、そこにはエマ王女達留学生一団の責任者を任せられているテレーゼ女男爵が立っていた。


 いつもこの女性は男装の麗人という恰好なのだが、この日もそのスタイルの良さが引き立つピシッとした黒を基調とした男物の服を身に纏っている。


「テレーゼ男爵、こんにちは。──あっ、何か御用でしたか?」


 リューはこの美人で真面目そうな女男爵について、好印象であったから愛想よく応じる。


「こんにちは、ミナトミュラー男爵。いえ、買い物に来ただけなので……。あなたをお見掛けしてつい声をかけてしまいました。失礼」


 テレーゼ女男爵は、苦笑すると謝る。


「いえ、お声がけ頂いてよかったです。そういえば、僕の方があなたに用事がありました」


 リューはある用件を思い出して、答えた。


「はい?」


 テレーゼ女男爵は意外な展開に軽く頭を傾けるのであった。



「……なるほど。うーん……、私の方でも彼のその辺りの事情は理解していますが……」


 テレーゼ女男爵は、リューからの用件を聞いて、悩む素振りを見せた。


 その内容とは、留学生の一人ノーマンの妹をこの国に呼び寄せる許可をもらいたいというものであったのだ。


「ノーマン君は故郷に一人、妹さんを残した状態とか。聞けばまだ、十一歳ということで僕の妹と同じ年齢です。その妹と数年間離れ離れというのは、彼はともかく妹さんの方がかわいそうだな、と」


 リューは同じ歳の妹ハンナがいるので、同情的な素振りを見せる。


「……そうですね……。ただ、彼は特待生として国から補助金が出ていますが、妹さんを呼び寄せるというのは規則の枠外のことですし、彼もこちらで妹を養うのは金銭的にも、時間的にも難しいかと思いますよ。彼はノーエランド王国を代表する留学生という役目以外にエマ王女殿下の護衛という役目もありますから」


 テレーゼ女男爵は現実的に難しいことを伝えた。


「それなら、こちらで協力できるかと思います。まず、妹さんの生活の場は僕のところが用意します。そして、彼女の年齢で出来る仕事を用意しますので、生活費の一部は自分で稼いでもらうというのではどうでしょうか? あとは、妹さんの勉強を見る従業員も付けても構わないですよ」


 リューは至れり尽くせりの条件を提示する。


「ミナトミュラー男爵、……何が狙いですか? ノーマンにとってはメリットしかありませんが、そこまでしてあげる理由がわかりません」


 テレーゼ女男爵は、リューの目的がよくわからないので、率直に指摘した。


「そうですか? 彼はとても優秀な同級生なので、本人が承諾してくれれば、僕は将来、うちで雇いたいくらいなんですよ。だからこそ、彼の環境を少しでも良くしてあげたいんです」


 リューは駆け引きすることなく素直に答える。


「……それを私に言いますか? ……確かにノーマンは平民という立場上、留学生の中では護衛だけでなく他の子息令嬢にも気を遣わなくてはいけない大変な位置にいます。ですから、私としても不安要素はなくして勉強に集中させたいとは思っていましたが……。それに、国外に人材の流出というのも、本来、許されないところですよ? しかし、お世話になっているミナトミュラー男爵ですからね……。──わかりました! 彼の妹さんをこちらに呼ぶ許可は、私が大使にお願いして取りつけておきましょう」


 テレーゼ女男爵は現在留学生一団が借りている宿泊所、その警備や必要なもののご用向きなどまでミナトミュラー男爵家のお世話になりっぱなしであったから、多少のお願いは断りづらかったので、普段のお礼を兼ねて承諾するのであった。


「ありがとうございます!」


 言質を取ったリューは笑みを浮かべると、テレーゼ女男爵と握手を交わしてお別れの言葉を告げ、馬車に乗り込む。


 走り出した馬車の中、


「リューも人が悪いわね。あの女男爵さんが日頃からお世話になっているリューの頼みを断れるわけがないじゃない。もしこれがあちらの大使だったら、かなり渋られたと思うわよ?」


 リーンは呆れ気味にリューに指摘した。


「でも、そのテレーゼさんは、大使とは良好な関係性みたいだから、説得はしてくれるでしょ。それに、きっと、僕がノーマンを引き抜こうとしていることも黙ってくれるはず。つまり、大使は何も知らずに許可を出してくれるから、問題にはならないよ」


 リューはそう答えると、いたずらっ子っぽい笑みを浮かべる。


 こうしてノーマン説得の為の外堀は着々と埋められていく。


「ノーマンもまさか自分の説得の為に、はるか遠いノーエランド王国に残してきた妹まで利用されるとは思っていないでしょうね」


 リーンはそう応じると苦笑するのであった。


 その頃、ノーマンは街中をエマ王女の護衛として付いていたのだが、背中に悪寒が走って周囲を警戒する。


「あれ? 何かよくわからない悪寒が走ったけど……、──危険な人物はいないですよね……?」


 ノーマンは突然のことに周囲を警戒するのであったが、まさか自分の為にリューが動き、妹がこの国に呼び寄せられようとしているとは思いもよらないのであった。

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