第276話 高値で取引されますが何か?

 リューの表の顔であるミナトミュラー商会の酒造部門は、三等級の酒造許可証を持っている。


 この三等級では、品質、格、共に酒造ギルドの制約に縛られ、消費者に満足のいくものを届けられるものではない。


 その抜け道が、新酒の開発、そして、許可証を得る事であった。


 前途多難と思える道のりに思えたが、リューの発想と職人達の確かな技術で新酒は完成。


 さらには、最大の難関と思われた許可証も、リューの策略で下りた。


 こうなったら、後は市場に自慢の新酒を広めるだけである。


 まだ、製造できる量は限られ、少量ながら大きな酒場などにもお試し期間という事で比較的に安く卸したこともあり、水面下ではじわじわと人気が出始めていた。


 この新酒『ニホン酒』の扱いは、三等級でありながらその芳醇で米のふくよかな高級な味わいが、お酒にうるさい層に人気を博し、さらには市場に出回っている量が少ない事から、正規の酒造メーカーが作る『幻のお酒』という扱いを受ける事になる。



 とある酒場の一角──


「最近、よく通の間で『ニホン酒』という銘柄のお酒の名を聞くのだが、どんな代物だい?」


 とお客。


「『ニホン酒』ですか?私は一杯だけ飲む機会に恵まれましたが、これまでのあらゆるお酒とは一線を画すお酒だと思いましたね。あれを造る酒造商会が、三等級レベルの扱いはおかしい話です」


 と、店の店主。


「マスターがそこまで評価するのか!?」


「正直、あの新酒には衝撃を受けました。今、製造元に注文してますが中々回ってきません。無理を言って挨拶代わりに一本だけ都合して貰いましたがね?」


 ガタッ


 客は驚いて思わず立ち上がる。


「お客さん、落ち着いて下さい。──一杯だけ飲んでみますか?多少値段は張りますが……」


 マスターが悪い顔をしている。


「一杯いくらだ?」


「銀貨五枚でどうです?」


「!」


「次、いつ入るか分からないお酒ですからね。本当ならば私が飲みたいところですが、お客さんみたいに飲んでみたいと思う方も多いんですよ。お客さんはうちの常連ですし、お酒がわかってらっしゃるから、この価格です」


 ごくり


「足元を見たな、マスター……。──わかった。銀貨五枚だな?だが、飲んでその価値がなかったら、今回のこと、周囲に言いふらすぞ?」


 客は、マスターの言い値で承諾しながらも、釘を刺した。


「……それでは」


 マスターは、奥からスッと一本の青い綺麗なガラスの瓶を出してきた。


「それが……!?」


「はい。見た目から美しいでしょう?これが、現在、通の間で噂になっている、ミナトミュラー酒造商会の『ニホン酒』です」


 マスターは客の前に小さいグラスを一つ置くと、少量の『ニホン酒』を注ぐ。


「お、おいおい……!たったこれだけなのか!?」


 量の少なさに驚く客。


「これでも多い方ですよ。騙されたと思って飲んでみて下さい。驚きますよ?」


 客は、無言でグラスを手にすると、まずは香りを確認する。


 銀貨五枚のお酒だ、時間をかけて飲まないと勿体ないというものだ。


「フルーティーな香り……、これは合格だな……。それにこの透明感……。一見すると水にも見えるのに、この華やかで甘みのある香りが一致しないな……。確かにこれだけでも通が騒ぐのがわかる……」


 客はごくりと生唾を飲み込む。


 本来なら一気に飲んで楽しみたいところだが、銀貨五枚だ。


 我慢であった。


 そして、客はゆっくり口にグラスを運んだ。


 舌を湿らす程度に、『ニホン酒』を口にする。


「!──こ、これは!?」


 客はそう言うと次の瞬間には思わず、グラスのお酒を飲み干してしまった。


「う、うまい……!原料が家畜の餌とは思えない……。確かにこれは飲んだ者にしかわからない想像を絶する味だ……。──マスター、もう一杯頼む……!」


 客は、銀貨五枚を躊躇なくマスターの前に出した。


「本来なら一人一杯までですが……。仕方ないですね、最後ですよ?」


 マスターは、恩着せがましくそう言うと、グラスにまた、少量『ニホン酒』を注ぐのであった。



 こうして、お酒好きの舌を唸らせる新酒である『ニホン酒』は、その希少性から正規のお酒にも拘わらず、一部のお店では、法外な値段が付く取引が行われたが、不思議な事に客からは高い事への不満は無く、その為、製造元ではなく、「もっと飲みたい、飲ませろ!お金は出すから!」という、酒場側への不満が集中するのであった。



「ランスキー、『ニホン酒』の評判はどうなの?」


 来年に向けての話し合いを街長邸の会議室で行っている際、ふと気になったのかリューは、ランスキーに質問した。


「報告では、市場に出回っている『ニホン酒』は、かなり高値で取引されているようです。販売元のうちに、『価格が安すぎるから引き上げた方が良い』と、助言してくる酒場もありました」


「そんなに?──どれどれ……、こんな額になってるの!?」


 人気が出るのはわかっていたリューであったが、報告の取引額が想定の十倍以上だったので、目を剝いた。


「はい。思った以上の評判に供給が全く追いついていません。今、蔵で製造しているものは来年以降になります。今年の製造分は魔法を使って作っているので、安定して一定分は製造できますが数に限りがありますので、悩みどころですね」


「仕方ない。価格を引き上げて、評判を少し落とそう。それで少しは落ち着くかも」


 リューは、高級路線は狙っていなかったのだが、人気が凄すぎるので、市場を落ち着かせる事にした。


 しかし、値段が引き上げられても、その人気が落ち着く事は無く、それどころか『幻のお酒』の異名に拍車をかけるだけであった。



「若。『ニホン酒』の評判が高過ぎて、最近、貴族から直接売って欲しいという使者が、増えています、どうしましょうか?」


 ランスキーが、現場の状況を視察しに来たリューに報告する。


「使者を集めて、くじ引きでその中から数人にだけ数本売って上げな。売る姿勢は示しているんだから、買えなかった貴族には、使者の運が悪かったという事で納得して貰おう」


 リューは、苦し紛れの案を出して、貴族達からの評判を維持するのであった。


 こうして、『ニホン酒』の人気は確実に高まり、問い合わせはミナトミュラー商会のみならず、酒造ギルドにまで及ぶ事になるのだが、それはまだ少し先の話である。

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