7話:いつか僕も彼女におめでとうと言いたい

 高校を卒業して、実家を出ようと思った時、従兄のカズくんこと安藤あんどう和希かずきくんがルームシェアを提案してくれた。現在の僕は、彼と家賃を折半して1LDKの部屋に二人で暮らしている。

 しかし、その期限は一年。4月からは彼の恋人と入れ替わりで出ていく約束になっている。現在は一月。あと三ヶ月。

 そんなわけで、新しく部屋を探しているのだが、なかなか上手くいかない。というのも、今の住居が便利すぎるのだ。駅近だし、会社からも近いし、大型ショッピングモールが近くにあるし。この快適な暮らしに慣れてしまうと、どうしても出て行きたくなくなってしまう。

 それを鈴歌さんに話すと、彼女はこう提案してきた。

「なら、うちに住めば良いんじゃないか?どうせ結婚するんだし」と。


「と、いうわけでカズくん。住む家決まりました」


 ぽかんとしてしまうカズくん。どこから突っ込めばいいんだという顔だ。その顔を見て、そういえば彼にはまだ鈴歌さんと付き合っていることを報告していなかったなと思い出す。


「……一ついいか?」


「うん」


「鈴歌さんと湊が付き合ってるって話、初耳なんだけど」


「あはは〜。今言った」


「今言ったじゃないよ……」


 全く……とため息を吐く彼。ここまできたら婚約の件も伝えた方が良さそうだ。


「ちなみに、口約束だけど、婚約もしてます」


「へぇ——って、なんて?」


「婚約しました」


「えっ、い、いつ?いつ結婚するの?」


「まだ先だよ。二年半ぐらい先」


「そんなに?」


「付き合って三年後って約束だから」


「ってことは付き合ったのはまだ最近?」


「うん。えっと……9月からかな」


 改めて数えてみると、まだ半年も経っていない。彼女の恋人になったのはまだ最近だけど、付き合い自体はもっと長い。僕は物心ついた時から彼女のことを知っている。

 彼女は、実の姉のような人だった。恋人になる日を想像したことはなかった。人生は何があるかわからないとはよく言ったものだ。


「鈴歌さんと湊が結婚って……なにがどうなってそうなったんだ?」


「流れで」


「そこを詳しく聞きたいんだってば」


「あはは。えっとね『付き合って』って冗談で言われて『いいよ』って冗談で返したらそのままなんだかんだで付き合うことに」


「……酔ってたのか?」


「いや、素面。てか僕まだ一応未成年。19にもなってない」


「誕生日2月だもんなぁ……」


「カズくんも、僕が成人するまで待っててね」


「俺、両親ともに下戸だからなぁ……飲めるのかな」


「あー。そっか」


 逆に僕の両親は共に酒飲みだ。彼の両親とは正反対。母の家系は酒に強い人が多いのだが、伯父カズくんの父はその血を引き継がなかったらしい。


「にしても、湊は鈴歌さんのこといつから好きだったの?」


「いや、恋心は全然なかった……というか、今もあんまり無いのかもしれないけど……なんというか……鈴歌さんなら良いかなって。ほら、僕ちょっと、色々あって、自分に好意を向ける女の人がトラウマで、恋愛なんてしてこなかったじゃない?」


「あぁ……」


「鈴歌さんと恋人になるって想像した時、なんか良いなって思えたんだ」


「ふぅん。……まぁ、鈴歌さんは良い人だよな。見る目が無さすぎるのが難点だったけど、湊と婚約してるならもう変なのに引っかかる心配しなくて良いな」


「あはは……」


 鈴歌さんの恋愛遍歴は全て筒抜けだ。というか、別れるたびに愚痴を聞かされていたからよく知っている。恋人が出来るたびに信用できる人なのかと疑ったが、もうその必要は無い。今は僕が彼女の恋人だから。浮気をするような人では無いことは知っている。

 まぁ、恋人が居ない時期に遊び歩いていたことも、知ってしまっているけれど。


「親には報告した?」


「まだ。婚約といっても口約束だし、まだ良いかなって。ところで、カズくんは結婚願望ある?」


「えっ。うーん……あんまり考えたことは無かったけど……」


「桜ちゃんの花嫁姿とか想像したことない?」


「……なくはない。というか、夢で見たことさえある」


「がっつり意識してるじゃん」


「そ、そういう湊はどうなんだよ」


「僕は全く無い」


「婚約したとか言っておきながら……」


「あはは。鈴歌さんがしたいって言わなかったら、婚約なんてしなかったかもね」


「……本当に付き合ってるの?」


「付き合ってるし、好きだよ。ちゃんと。嫉妬もするし、独占欲もある。けど……さほど激しい感情はない……かな。淡いとまでは言わないけど。けど、誰でも良いわけじゃない。僕は彼女だから、家族になれると思ったんだ。鈴歌さんじゃなかったら付き合ってすぐに婚約なんてしないよ」


「……そうか」


「うん。ちゃんと考えた結果だよ。だけど、鈴歌さんが本当に僕で良いのか、少し不安だった。ノリと勢いで付き合っちゃったから。ほら、鈴歌さんってさ、恋をすると冷静じゃなくなるじゃない?だから……冷静になっても僕で良いのか、ちゃんと考えてほしかったんだ。だから、三年って期間を設けた」


「なるほど。本気なんだな」


「本気だってば」


「いや。流れで婚約したとか言うから」


「結婚しまーすって言って鈴歌さん連れて行ったら母さん達どんな顔するかなぁ」


「叔父さんは驚きそうだけど、叔母さんは反応薄そう」


「母さんはクールだし放任主義だからなぁ……どんな人連れて行っても『お前が決めた人なら良いんじゃないか』って言いそう。顔も見ずに言いそう」


「それはちょっと冷たすぎないか?」


「『家族だろうが所詮は他人』が母さんの自論だから」


「血が繋がってるだけの他人ならよく聞くけど……」


「血が繋がってない家族も居るからじゃない?」


「あぁ、なるほど……」


「言葉だけ聞いたら冷たいかもしれないけど、駄目なことは駄目だって教えてもらったし、悩みを話せば真剣に聞いてくれたし、愛されなかったわけではなかったよ。親だろうが勝手に子供の人生を決めてはいけないっていう意味だと僕は解釈してる」


 母は、女だから女らしく生きろと親——つまり僕の祖父母——から散々言われて生きてきたらしい。今は仲が良いようだが、その経験があったからこその放任主義なのだろう。

 高校生の頃の写真を見せてもらったことがあるが、かなり荒れた雰囲気だった。タバコを吸っている写真も多い。この世の全てを憎むような絶望に満ちた虚ろな目は、今思えば中学生の頃の妹に少し似ているかもしれない。妹は、笑顔を絶やさない子だった。だけど、自身が同性愛者であることを僕らにカミングアウトした頃くらいから、心の底からの笑顔は見せなくなった。

 現在の妹は高校一年生。4月からは二年生。高校で知り合った女の子と付き合っているらしい。その子のおかげなのか、久しぶりに会った妹は心からの笑顔を見せてくれた。その顔を見た瞬間、妹の恋人のことは顔も知らなかったが、妹を任せても大丈夫な人だと思った。それから数ヶ月後に妹の恋人と知り合ったが、案の定、良い人だった。

 結婚を意識するようになってから、改めて思うようになった。どうして結婚は異性間だけの特権なのだろうかと。

 鈴歌さんも高校生の頃に同性と付き合っていた。彼女と別れた理由もそれだった。同性同士の恋愛に未来はない。そんなようなことを言われたらしい。

 妹に対する同情で鈴歌さんとの婚約を破棄するなんて、誰のためにもならない自己満足で嫌味な偽善はしない。しないが……妹が差別されずに生きるために、何か僕に出来ることはないのだろうか。


「……うみちゃんのこと考えてる?」


「……うん。けど別に、海菜に同情して婚約を破棄したりはしないよ。僕だったらそんな同情、ムカつくだけだから」


「俺もそれはされたくないな」


「でしょ。……僕に出来ることって、何があるんだろう」


「んー……SNSで声を上げるとか」


「鈴歌さんならまだしも、僕のフォロワー数じゃあなぁ……」


「発信するだけでも意味はあるんじゃないか?少なくとも、何もしないよりはマシだろ」


「……どういう投稿すれば良いと思う?」


「思ったまま書けば良いと思う」


「それが難しいんだよぉ……」


 ツイーターというSNSアプリを開き、文字を打ち込む。書いては消し、書いては消しを繰り返して、悩みに悩んだ文を投稿すると、さっそく一件リツイートがきた。カズくんのアカウントからだ。

 数分すると、さらにもう一件のリツイート。誰だろうと思い見てみると、妹だった。

 それを機に、みるみるうちにリツイート数が増えていく。

 その鬼のような通知に紛れて、妹から『ありがとう。そしておめでとう。今度詳しく聞かせてね』と、LINKにメッセージが届いていた。

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