5話:恋人になって初めてのクリスマスイブ
今日はクリスマスイブ。目が覚めると、彼からLINKにメッセージが届いていた。『おはよう』の後に、『仕事が終わったら行くね』と一言。その後数分置いてから『行ってきます』と一言。そしておじおじ——<王子様の王子様>という私の作品——のボイス付きスタンプ。タップすると『行ってまいります』と、主人公の水蓮が喋る。スタンプが送られてきたのは十分前。まだ電車の中だろうか。『おはようございます』と同じおじおじの美桜のスタンプで返すと、全く同じスタンプが返ってきた。
しばらく意味のないスタンプ合戦を繰り広げた後、彼の『会社着きました』の一言に『行ってらっしゃいませ』と、水蓮のメイドである橘のスタンプを返してやり取りが終了した。
「……よし、私も仕事するか」
私はアシスタントを雇っておらず、基本的に一人で作業をしている。たまに友人が手伝いに来てくれるくらいだ。
元々集中力はある方で——むしろありすぎる方で、気付けば時間を忘れて、気づけば食事を忘れることも少なくはないのだが、今日は時間が気になって仕方ない。
浮かれてしまう。彼に会える、それだけで。
「……だめだこりゃ」
仕事を切り上げて気分転換にメモを持って家を出る。少し街に出れば周りはカップルだらけ。リア充め……と、以前なら恨めしげな目で見ていたが、今の私は彼らを微笑ましいと思える余裕がある。流石に人目も憚らず熱いキスをしているカップルはどうかと思うけど。ふと、一件のメイド喫茶が目に止まる。クリスマスイブとクリスマスの二日間限定のメニューがあるようだ。気になり、入ると赤と白を基調としたクリスマスカラーのメイド服に身を包んだメイドさんが出迎えてくれた。
その中に見知った顔を見つけてしまった。
「ちるちゃ——「お席にご案内しますねぇ〜ご主人様ぁ〜」
名前を呼ぼうとすると、やめろと言わんばかりに甘ったるいぶりっ子ボイスで遮られた。やはりみーくんの妹の同級生の
「……メイド服、撮影させてもらっていい?」
「ごめんなさぁい。うち、撮影は禁止なんですよぉ〜」
「そこをなんとか!」
「駄目で〜す」
「じゃあ制服借りてきて後で撮らせて」
「嫌で〜す」
「頼むよ。流美ちゃんに送ってやりたいんだ」
その名前を出すと彼女からすっと愛想笑いが消えた。汚物を見るような顔だ。メイドさんがして良い顔では無い。これはこれで一部にウケそうだが。
流美ちゃんというのは、星野流美というそこそこ有名な声優。満ちゃんの同級生、望くんの姉。彼女は可愛いものや可愛い女の子が大好きで満ちゃんのこともかなり気に入っている。
「……尚更嫌だわボケ」
彼女に写真を送られるのは素に戻るほど嫌らしい。
「冗談だよ。冗談。写真撮りたいってのは本気だけど」
「……はぁ。分かった。この制服、明日には洗って返すから。帰ったら何枚か撮って送ってやりますよ」
「バイトやめるの?」
「ここ、親戚の店なんだよ。人が足りないから助けてって言われて今日だけ仕方なく入ってやってるだけ」
「メイドさん達もクリスマスを謳歌しちゃってるってわけね」
「そういうこと。仕事中だから、あんま話しかけてくんなよ。ご主人様」
そう言って水を置いて去っていく満ちゃん。可愛いキャラを作って接客しているのを見ていると素との温度差で風邪をひきそうだ。見た目だけみたら、素よりも今の作られたキャラの方がベストマッチしているが。
こうやってみると、やっぱり可愛い。美少女だ。中身は番長だけど、個人的にはそのギャップがたまらない。
それにしても、男性客ばかりかと思ったが意外と女性客の方が多い。メイド服の丈は長めで、露出は少なく上品な印象を受ける。男性向け感がなくて入りやすいのだろうか。
「すみません」
「はぁい〜」
「ハンバーグ一つ。ご飯大盛りで」
「かしこまりましたぁ〜」
「あと、デザートにこれを」
「クリスマス限定パンケーキですねぇ〜」
以前行ったメイドカフェはもうちょっと凝ったファンシーなメニューが多かったが、ここは割とシンプルだ。
「お待たせいたしましたぁ〜ハンバーグですぅ」
「ありがとう」
ナイフを入れると肉汁が溢れ出してきた。シンプルだが、料理の質は良いようだ。の割には値段はそこまで高くない。
料理を食べ終え、デザートを待っている間に卓上のアンケートに感想を記入する。こういうものを見つけるとついつい落書きしたくなってしまう。アンケートに書かれた落書きが漫画家の鈴音の絵に似ていると、以前ちょっとした騒ぎになったことはあったが、まさか本人とは誰も思わなかったようだ。今回もまぁ、大丈夫だろう。
メイドのイラスト共にメッセージを書き、テーブルの縁に置いたところで、デザートのパンケーキが来た。
「お待たせいたしましたぁ〜」
「ありがとう」
イチゴと生クリームで作ったサンタクロースが乗ったパンケーキ。写真を撮ってから、サンタクロースが乗っている部分を一部切り取り、サンタクロースごと突き刺して口に放り込む。残念ながら私は、可愛すぎて食べれないなんて可愛いことを言えるタイプではない。
それにしても、生クリームが軽い。生クリームだけでいくらでも食えそうだ。
「……みーくんの仕事終わるまで待って一緒に来ればよかったな」
限定メニューは明日まで。明日は土曜日だから彼も休みだ。明日来よう。
彼の仕事納めは27日月曜日。その日は仕事自体は早く終わるが、忘年会があるらしい。新入生社員が幹事をやるようだ。入社一年目で、仕事で覚えることも多そうなのに幹事までやらされるなんて、大変そうだ。
……と、気づけばまた彼のことを考えてしまっている。時刻はまだ午後二時。定時まであと四時間もある。四時間もここに居座るのも気が引ける。
パンケーキの皿が空になったところで、コーヒーを飲み干して会計を済ませて店を出る。
さて、あと四時間どこで時間を潰そうか。悩んでいると声を掛けられた。
「うわっ。
「久しぶり〜」
話しかけて来たのは真っ赤なコートを着た、どことなく色気のある派手な美女。彼女は私の悪友の
「一人?ちょうど良かった。今日クリスマスイブだから誰も捕まらなかったの。ね、付き合ってよ。ホテル」
「いや……すまん、私、そういうのはもう卒業したのよ。大事な人ができたので。てか、まだ昼間やぞ。ホテルに誘うにはちょっと早すぎないか?」
「えー。つまんなーい。りんりんとは結構身体の相性よくて楽しかったのに〜……」
「そういうことを大声で言うな」
「で?ロリコン、既婚者、マザコン+モラハラときて次はどんなタイプのクズなの?」
「クズ前提かよ……」
「だってぇ。りんりん、まともな男じゃ満足出来ないでしょ?」
「クズが好きなわけじゃなくて好きになったやつがたまたまクズなだけです〜!今回の彼氏はめちゃくちゃまともだから!」
「ほんとにぃ?騙されてなぁい?慰めてあげようか?」
腰に絡みついてくる彼女の手を振り払う。
「他をあたってください」
「居ないから誘ってんじゃん」
「だから……駄目なんだってば」
「じゃあ、せめてデートだけでもしよ?デートだけ。何もしない。ね?」
「……六時までね」
「わーい。じゃあラブホいこっか」
「行かないってば」
「えー!しようよー!ラブホ女子会ー!」
「絶対女子会じゃない」
「楽しくて気持ちよくなれる女子会だよ?」
「嫌でーす」
「ついでに運動にもなる」
「嫌だってば。セックスしか脳がないのかお前は」
「りんりんも好きでしょう?」
「とにかく、しないから」
「じゃあ六時まで何するのよー」
「何もしない。適当にその辺ぶらつくだけ」
「つまんなーい」
「私は話し相手がいるだけで楽しいけど」
「まぁ一人よりはマシだけどさぁー。あ、二時間ならさ、映画でも見に行く?ちょうどそこに映画館あるし」
「ん。良いよ」
今からとなると、物によっては少し彼を待たせてしまうかもしれない。一応連絡を入れながら姫咲を追いかける。
「りんりんが選ぶやつ大体クソ映画だから、私に選ばせてね」
「B級映画からしか摂取出来ない成分があるのよ」
「お金払ってまでつまらない映画見に行くとかわけわかんない」
呆れるようにため息を吐きながら券売機に向かう姫咲。戻ってきた彼女が持っていたチケットは今話題の不倫物。なんとなく予想はしていた。彼女はキラキラよりドロドロした恋愛物が好きだから。
「あたし、最近好きな人が居てさ」
「ふーん」
「前にさ、恋愛感情を自分に向けられると萎えちゃうって話したじゃん?」
「うん」
「最近知ったんだけど、リスロマンティックっていうやつらしい」
「あぁ、知ってるよ」
「流石りんりん。でね、その好きな人はね、誰も好きにならない人なんだ。あたしのことも絶対に好きにならないって言うの。そこが大好き」
「ふぅん。……それでも遊び歩くことはやめないんだ」
「それとコレは別でしょ。彼もあたしがビッチでも気にしてないし、彼もあたし以外とイチャイチャするし」
「嫉妬はするの?」
「しないよ。他の女とか男抱いてる彼も好きだもん」
恋や愛の形は人それぞれ。理解出来ないのが当たり前。むしろ、理解出来ないからこそ面白いのだと私は思う。彼女の恋愛観は実に興味深い。自分の恋人がこうだったら耐えられないけど。
「好きって言われるのが嫌なんだよね?」
「この人のために尽くしたいって気持ちは分かるよ。あたしも彼のためならなんだって出来ちゃうもん。まぁ、流石に犯罪は無理だけど。けど……その見返りに自分以外を愛さないでねって言われるのは気持ち悪い。たった一人しか愛せないなんてあたしには無理だもん」
「君はそういうやつだったな……」
「こういう話すると必ず『何か原因があるんでしょ』って言われるんだけど、原因なんかないよ。あたしは元からこういう性質の人間なの。りんりんなら分かってくれるよね?」
「まぁ、恋愛観は人それぞれだし。口出す気はないよ。前も同じこと言った気がするけど」
「んふふ。言われた。覚えてるよ。変わんないね、りんりんは。そういうところ昔から大好き」
「脚触んな」
「ちょっと肉つき良くなったね。美味しそう。味見していい?」
「セクハラ」
「えー。りんりんとあたしの仲じゃん〜あんなこともこんなこともしたのに今更脚触ったくらいで怒らないでよ〜」
「全く……」
だんだんと客も増えてきて、映画の予告が流れ始めた。本編が始まる前にスマホを確認する。流石に仕事中だから連絡はないか。既読すらついていない。あ、ついた。『了解です』と返信が来た。『サボってるな?』と返すと『ちょっとだけ』と返ってきた。そして、てへぺろと舌を出す犬のスタンプ。
「ニヤニヤしちゃって」
「ニヤニヤしてた?」
「してたしてた。別れたら教えてね。前みたいに慰めてあげるから」
「だからそういう冗談やめろって」
「にゃははーでもりんりん、なんだかんだ言いながら別れたら毎回あたしを求めに来てたじゃん?」
「改めて言われるとクズだな……私……」
「いいのよ。セックスセラピーってやつだと思えば。あたしは全然嫌じゃなかったし。依存されたらヤダなーとは思ってたけど」
「正直だな。ほんと」
六時過ぎ。映画が終わると同時にスマホを確認する。『仕事終わったので一度家に帰ってから向かいます』と、五分前に彼からのメッセージ。
「じゃ、姫咲。私これからデートだから」
「はぁい。じゃ、あたしは一人寂しく街でナンパを再開しようかな……」
「カップルだらけで誰も捕まらないでしょ」
「そうなのよー。けど、今日は偶然りんりんに会えて楽しかったし、致せなくても満足かも」
「危ない人には気をつけるんだよ」
「やぁん優しい。抱いて」
「抱かねぇよ」
「じゃあ抱かせて」
「嫌だ」
「冗談よ。まったね〜」
去っていく彼女を見送る。あんな奴だが、悪い奴ではない。悪い奴ではないのだが、みーくんには絶対会わせたくない。流石の彼女も空気を読んで恋人に対して過去の関係のことを言ったりはしないとは思うが。
「……ん」
スマホをいじって時間を潰しながら彼を待っていると、ふと視界を白いものがチラついた。顔を上げる。ぱらぱらと雪が降ってきた。雪自体あまり降らない名古屋でホワイトクリスマスなんて。珍しい。
「鈴歌さん。お待たせ」
「みーくん。お仕事お疲れ様」
「ふふ。頭に雪積もってるよ」
待ち合わせ場所にやってきた彼が、くすくすと笑いながら私の頭の上の雪を振り払う。
7つ歳下の幼馴染。昔から、歳の割にはしっかりしている子供だったけれど、付き合い始めてからますます大人っぽく見える。ずっと、歳上とばかり付き合ってきた。だけど彼は今まで付き合ってきた誰よりも大人だ。20代後半に差し掛かった私よりも。だけど
「雪、積もるかなぁ。でっかいかまくら作りたいなぁ」
繋いだ手をぶんぶんと振りながら、少し浮ついた声で呟く姿は子供っぽくて可愛い。
「……みーくんさ」
「ん?」
「……ずるくない?」
「えっ!僕何かした!?」
歳の割には落ち着いていて大人びているかと思えば、年相応——いや、それ以下の子供っぽくて可愛らしい一面を見せてくる。そして性格と容姿も申し分ない。
「……好き」
と呟けば
「僕も好きですよ」
と、優しく笑って返す彼。今まで何人がこの優しい笑顔に落とされてきたのだろうか。
「幼馴染じゃなかったら私、君のことめちゃくちゃ警戒してただろうな」
「えっ。僕、そんな怪しい?」
「……完璧すぎるもん。漫画にしかおらんよ君みたいな恋人」
呟くと、するりと手袋を脱がされた。露出した手に指が絡まる。驚いて隣に並ぶ彼を見ると
「僕は幻想じゃないですよ。ちゃんと、温かいでしょ?」
と、悪戯っぽく笑った。
「……みーくんのえっち」
「えっ!なんで!?」
「……手袋の脱がし方とか指の絡め方とか」
「いや……えぇ?」
繋がれた手をしっかりと握りしめる。確かに彼の温もりは感じるが、冷たい風に直接さらされて痛い。繋いだままポケットにしまい込む。ふと見ると、彼は人から奪った手袋をしれっと自分の手にはめていた。
「……お前〜!」
「あ、バレた」
「私のときめき返せ!」
「あははっ。ごめん。これあげるから許してよ」
そういって彼が鞄から取り出したのラッピングされた箱。開けてみると、中にはローマ数字の
「鈴歌さん、双子座で合ってたよね?」
「あぁ、双子座のマークか。これ」
「そう。ちょっとわかりづらかったかな」
「……ふふ。君からアクセサリーをもらう日が来るとはね」
始めて誕生日を祝ってくれたのは小学一年生の時。りんかおねえちゃんおたんじょうびおめでとうと、全てひらがなで書かれた誕生日カードをくれた。そんな可愛らしいプレゼントをくれた少年から、自分で稼いだお金でアクセサリーをクリスマスプレゼントとしてもらう日が来るとは。
「こんなに大きくなって。なんか、泣けちゃうなぁ」
「そんな理由で泣かれるとは思わなかったよ……」
「ふふ。ありがとね。みーくん。大事にする」
「……なんか、恋人じゃなくておばあちゃんにプレゼント渡した気分なんだけど」
「失礼な。私はまだ二十代だぞ」
「で?鈴歌さんは何かないんですか?」
「……すまん。なんも用意してない」
正直、クリスマスプレゼントのことなど、彼から貰うまですっかり忘れていた。ここ数年クリスマスというイベント自体縁がなかったから。
「あ、でもほら、今日はイブだし、明日になったらサンタさんが持ってきてくれるかも」
「僕はサンタさんじゃなくて鈴歌さんから貰いたかったんだけどなぁ」
「う……すまん……」
「ふふ。別に良いよ。来年は忘れないでね」
「来年……」
「来年のクリスマスも、僕とデートしてくれるでしょ?」
『三年後に、僕からプロポーズする。だから、それまで待ってて』そう言われて、もう三ヶ月が経った。プロポーズされるまでに、クリスマスはあと二回もある。少なくともその二回の——いや、この先あと何回、何十回と繰り返すクリスマスのデートの相手はきっと……。
「……じゃあ、来年。覚えてたら今年の分も渡すね」
「ふふ。約束だよ」
結婚まであと二年と約九ヶ月。そんなに待つ必要があるのだろうかと思うほど、彼が好きだ。恋の寿命は三年だなんてよく言うけれど、本当に彼への恋心は冷める日が来るのだろうか。今の私にはまだ、全く想像出来ない。
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