4話:妬かないわけではない
12月に入った。結婚まであと二年と九ヶ月。
「おーっす。鈴木くん。飲みに行こうぜ」
「僕は飲みませんよ」
「真面目だなぁほんと。まぁいいや。飲まなくていいからちょっと付き合え。君に話したいことがあんだよ」
終業後に誘ってきたのは同期の中川さんだ。彼は大卒で入社している。今年で23歳。部署は違うが、昼休みになるとよく絡んでくる。
「話したいこと?」
「そ。……まぁとにかく、ちょっと付き合え。暇だろ?」
「しょうがないなぁ……」
「……ありがと。奢るわ」
「良いですよ割り勘で。で?話ってなんです?」
「……向こうついてから話す」
なんだか深刻な雰囲気だ。もしかして仕事を辞めるのだろうか。いや、そんな思い詰めているようには見えなかった。上司との関係も悪くないはずだ。
そのまま会話も無く店に着いた。個室に入るなり、彼はメニューで顔を隠したまま黙っている。
「……辞めるんですか?仕事」
こちらから話を切り出してみる。すると彼はメニューを置いてふーと息を吐いて顔を上げた。
「……仕事は辞めないよ。そういう話じゃない」
「そうですか。良かった。じゃあ、なんの話ですか?」
「……前から、気になってたんだけどさ、鈴木くんってさ、彼氏とか彼女って言葉使わないよな」
「そうですね。恋人の性別が異性とは限らないですから。確定するまでは使わないようにしてます」
「……そうか。やっぱり。……君の中には差別とか無いんだな」
彼が話したいことはなんとなく察した。
「差別が無いとは言えないですけど、僕の中には異性愛=普通という感覚はないですね。僕の知り合いには同性の恋人が居る人が居ますし、母からも異性愛だけが愛の形じゃ無いと昔から教わっていましたから。僕はたまたま、恋愛の形は人それぞれだということを知る機会があっただけです」
「……そうか」
「はい。……で?結局、中川さんが僕に話したいことはなんですか?」
「……俺、ゲイなんだ」
「そうですか」
「……それだけ?」
「それは僕の台詞ですよ。言いたいことはそれだけですか?」
「……うん。そう。それだけ。もしかしたら鈴木くんも俺と同じなのかなって思って、確かめたかったんだ。あ、言っておくけど俺、別に君のこと好きなわけじゃねぇから。本当に、ただ単に、誰かに、知っておいてほしかったんだ。それだけ」
「大丈夫ですよ。ゲイであることをカミングアウトされただけで恋愛的な好意を持たれてるなんて思えるほど僕は自惚れてませんから」
「そうか……ありがとう」
「どういたしまして」
「……カミングアウトしても顔色変えなかった奴初めてだわ」
「僕にとっては大したことじゃないので」
「大したことじゃない……か」
何気ない言葉が時に人を深く傷つけることがある。例え、良かれと思って言った言葉でも。どれだけ気を使っていても。自分にとって薬となる言葉でも、人によっては毒になることもある。僕はそれをよく知っている。
中川さんの表情が過去の妹と重なる。瞬時に、今の言葉は彼にとって毒だったと察した。それもそうだ。当事者ならまだしも、非当事者の僕が言う「大したことじゃない」はあまりにも無責任だ。
「……言い方が悪かったですね。大したことないなんて、非当事者の僕が言うのはあまりにも無責任でした」
「あぁ、いや……傷つける気で言ったわけじゃないことは理解してるよ」
「……ありがとうございます。この国はそうではないけれど、本来、他人の恋愛事情なんてどうでも良いことなはずだと思うんですよ。相手が異性だろうが、同性だろうが、それ以外だろうが。……だけど、現状はそれを口にすれば綺麗事になってしまう。それは理解しています」
「あぁ……」
「大したことないというのは、決して、他人事だからどうでも良いと言っているわけじゃないという意味ではありません。同性愛者であろうが、あなたはあなただと言いたいだけです。そんなことで僕はあなたと接する態度を変えたりはしないから安心してくださいという意味です」
「……そう……か」
「はい。あ、ちなみに、察してると思いますけど、僕はゲイじゃ無いです」
「……そうか」
「はい。恋人は女性なので」
「えっ、恋人居たの?ゲイじゃなかったらアセクシャルだと思ってた」
目を丸くする中川さん。散々恋愛に興味無いと言っていたから、セクシャルマイノリティに詳しい人ならそう思うのも無理はないかもしれない。
「アセクシャルではないですね」
しかし、思えば今まで、恋愛したいと思ったことはほとんどなかった。トラウマがあったせいもあるかもしれないが。
鈴歌さんとの関係も彼女から言い出さなかったら始まらなかっただろう。だけど、彼女のことはちゃんと好きだし、彼女以外だったらきっと付き合おうとは思わなかった。
「あ、でももしかしたら、デミセクシャルなのかも」
「何それ。初めて聞いたわ」
「相手と強い繋がりを感じないと、性的欲求を感じることができない人のことです」
「ん?それって普通のことじゃないか?」
「んー……説明が難しいんですけど……友達の状態を介さないと恋人になれないって感じですかね。一目惚れとか、身体から始まる関係とか、そういうは一切なくて、段階を踏まないとそういうこと出来ないんですよ。アセクシャル……というか、グレーセクシャルに近いですね」
「恋人以外には性欲湧かないってこと?」
「そうですね。誰かと触れ合いたいって思ったのは初めてです」
「ほ、ほーん……」
「なんでそっちが照れてるんですか。聞いたのはそっちなのに」
「いや……下ネタ苦手なくせにそういうことは意外とサラッと言うんだな」
「まぁ、これくらいなら別に」
「……ちなみに、彼女の写真とかある?」
「はい」
スマホを取り出して写真を見せる。
「……歳上?」
「はい」
「意外。歳下だと思った。いくつ上?結構離れてる?」
「7つ上です」
「俺より上じゃん。どこで出会ったの?まさか、教師と生徒だったとか?」
「ただの幼馴染です。親同士が仲良くて、親戚みたいな感じで」
「昔から好きだったの?」
「好きではあったけど、恋ではなかったです。まぁ、歳が離れてたし、恋人が居たからってのもあるんでしょうね」
「……淡々としてんな。本当に好きなの?」
「好きですよ。結婚しても良いと思えるくらいには」
「重っ!」
「向こうから言い出したんですよ。結婚前提で付き合ってくれって。で、まぁ、彼女なら良いかなーって」
「重いのか軽いのかどっちなんだよ……」
「あはは」
「……俺の恋人の話もしていい?」
「ふふ。聞きたいです」
「そ、そうか」
不安そうな顔をパッと輝かせて、スマホを取り出した。「この人、俺の恋人」と彼が指を指したのは眼鏡をかけた熊みたいな大柄な男性。仏様みたいに優しそうな笑顔を浮かべている。
「優しそうな人ですね」
「うん。優しいよ。なんつーか、仏様みたい」
「仏顔ですもんね」
「滅多に怒らないのよ。付き合って一年経つけど、怒った顔なんて数えるほどしか見たことなくて。……凄く、良い人なんだ」
複雑そうな顔で笑う中川さん。その表情が妹と重なり、何も言えなくなる。
「……悪い」
「……いえ」
沈黙が流れ、彼は逃げるように酒を煽った。
「ごめんね。ありがとう、鈴歌さん」
「いやー……もうちょっとで飲むところだったわ。ギリセーフ」
「すみません……」
その後、鈴歌さんに車を出してもらい、飲みすぎて歩けなくなった彼を家に送ることに。
「酒には気をつけないかんよ。目が覚めたら知らない天井、隣には知らない裸の女。とか、あるあるだからな」
「……男じゃないんすか……」
「私の場合は女だったり男だったりした」
「……鈴歌さん、一応僕、恋人なんですけど」
「おっとすまん。今は流石にそういうこと無いよ」
「……信じてますからね。ちゃんと」
「ははは……なんか圧が強いな」
冗談だということくらいは理解しているけれど、あまり面白い冗談ではない。付き合う前は笑えたのだけど。笑えなくなったのは、付き合い始めたことで彼女に対する独占欲が芽生えたからだろう。それを確認することで彼女は安心したいのだろうか。それにしたって面白くない。そんなことしなくても僕は彼女のことを愛しているのに。伝わっていないのだろうか。愛情表現が足りないのだろうか。
いや、ただ単にからかいたいだけなのかもしれない。うん。鈴歌さんの性格的に、その説が一番有力そうだ。昔から僕を揶揄って遊ぶのが好きな人だから。
『目的地周辺です。案内を終了します』
「ほーい。ご苦労さん。おにいさん、着いたぞ」
「んー……ありがとうございます……」
「鍵は持ってます?」
「クマさんが留守番してる……」
「そうですか。じゃあ行きましょうか」
彼に肩を貸して車を降り、マンションの中に入ってエレベーターで最上階へ。
「インターフォン押しますね」
「やだぁ俺が押したい……」
「じゃあどうぞ」
ヤンキーみたいな見た目とは裏腹に、普段から犬っぽい可愛い人ではあるが、酔うとさらに可愛らしくなるらしい。
恋人に会えるからちょっとテンションが上がっているのかもしれないけれど。
「クマさーん。ただいまぁー」
中川さんが見せてくれた写真と同じ、熊のような男性が家から出てくると、中川さんは僕から離れてふらついた足取りで彼の元に駆け寄った。クマさんと呼ばれた男性は苦笑いしながら彼を抱きとめ、すみませんと僕に頭を下げた。
「ほら、
「……」
返事が無い。寝てしまったようだ。クマさんと呼ばれた男性は再び、すみませんと申し訳無さそうに頭を下げた。
「いえ。僕はこれで。……お幸せに」
「えっ……あっ……ありがとうございます」
「いいえ」
二人に背を向けて車に戻り、助手席に乗り込む。
「さてみーくん。どうする?帰る?君がいいと言えばこのまま持ち帰ろうと思ってるけど」
「……だと思った」
「恋人同士とはいえ、同意はとっておかないといけないから、一応聞くね。どうする?帰りたいって言うなら今のうちだよ」
そう言ってから彼女は「私としてはこのまま帰したく無いわけだけど」と笑った。
「同意とっておかないととか言いながら、圧が強くない?」
「ふふ」
こういう余裕のあるところは嫌いじゃない。けど、それが経験の多さからくるものだとしたら、ちょっとだけ気に入らない。いつもは気にならない余裕が気になってしまう。
「帰らないよ。このまま持ち帰ってどうぞ」
「りょーかいでーす」
「その代わり」
「ん?」
「今夜は僕に主導権握らせてね」
僕がそう言うと、彼女は前を見たまま固まって、あからさまに動揺する。意外な反応に驚いてしまう。
「そんな動揺する?抱かれ慣れてるくせに」
「……もしかして、怒ってる?」
「怒ってますし、妬いてますよ」
「……するんだ。嫉妬」
「あんまりしないけどね。鈴歌さんのこと信じてるから。けど、さっきのはちょっとムカつきました。妬かせたいからってあんなこと言わないで」
「……そうか。すまんかった」
謝罪しつつも、顔は何処か嬉しそうだ。
「……抱かせてくれたら許してあげる」
「なんかその台詞、クズっぽいなぁ……」
「クズはどっちですか」
「誓って、浮気をされたことはあってもしたことは一度もないよ」
「それは信じてるよ」
「……許してくれる?」
「許しますけど、主導権は譲りませんからね」
「ぐ……仕方ない……好きにしてくれ」
「……ふぅん。好きにしていいんだ?」
「えっ。あー……その……お、お手柔らかに頼むよ?鈴歌さんはもうそんな若くないのでハードなプレイは体力的にちょっと」
「ふふ。攻め慣れてないので加減出来なかったらごめんなさい」
——その夜、彼女がいつも僕に対して意地悪したがる理由が分かった気がした。
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