2話:プロポーズ予告

 恋はある日突然落ちるものだと、だれもが口を揃えていう。それが理解できないというほど、恋の経験が無いわけではない。付き合ったことがないだけで片想いだけならしたことはある。

 しかし、これは予想外だった。『私の恋人になってみないか?』なんて、冗談だと思って『いいよ』と返したら、本当に付き合うことになってしまうとは。


 机の上で漫画の原稿を枕にして居眠りしているのが、昨日まで幼馴染だった七歳年上の恋人、鈴歌さん。

 彼女の肩にブランケットをかけて、そっと原稿を引き抜いてクッションと入れ替える。

 漫画家である彼女が今描いている作品は<王子様の王子様>——通称おじおじ——という、女子校を舞台にしたガールズラブストーリー。既刊4巻。4巻はヒロイン二人が付き合ったところで終わっているが、連載はまだ続いている。

 本屋のアニメ化コーナーに平積みで置いてあるのを見かけた。アニメ化が決まっていて平積みで置いてあるということは、人気があるということだ。

 ちなみにこの作品のヒロインである結城ゆうき水蓮すいれんは僕の妹の海菜がモデルらしい。妹から腹黒さを抜いて、可愛さと胸を盛ったようなキャラクターという印象を受ける。

 結城水蓮の友人である姫野ひめのももと、菊井きくいのばらというキャラクターも妹の友人がモデルとなっている。のばらはともかく、ももはそのままだ。荒っぽい口調も男勝りな性格も、それに反してお人形のように可愛らしい見た目も。

 ファンの間ではこの二人も付き合うのではないかと噂されているが、作者曰く『それは二人が決めることだから分からん』とのこと。創作経験の無い僕には理解出来ないが、鈴歌さんはよく『キャラが勝手に動く』とか『言うことを聞かない』と、ぼやいている。作家あるあるらしい。

 ちなみに、おじおじの中で一番言うこと聞かないのはももなのだとか。確かに、彼女は人に従うタイプでは無いと思う。モデルになった妹の友人も昔からが強い子だ。


「……ん……」


「……あ、起きた?コーヒー淹れようか?」


「……ん……飲む……」


「はぁい」


 原稿を彼女に返して台所へ向かう。付き合い始めたのは昨日からだけど、この家のどこに何があるのかはもはや知り尽くしている。僕は昔から彼女のアシスタントとしてこの家に出入りすることが多かったから。

 アシスタントと言っても、正式に雇われているわけではなく、ボランティアだ。本業は一般企業の事務員。やりがいは正直無い。毎日同じことの繰り返し。

 しかし、職場の雰囲気は良く、残業もほとんど無い。ホワイト企業だと思う。まぁ別に、僕はお金がもらえればなんでも良いのだけど。楽に越したことはない。やりがいだけを売りにして安い賃金で働かされるよりはマシだ。


「……みーくん」


「何?」


「……」


「どうしたの。鈴歌さん」


「……結婚しよっか」


「……もう?」


「……早いよな。ごめん」


 僕は彼女の過去の恋愛のことをほとんど知っている。新しい恋人ができる度に惚気話を聞かされ、別れる度に愚痴を聞かされた。初めての恋人のことはよく知らないけれど、中学生の頃に教師と付き合ったのが最初らしい。

 だからなのか、彼女はよく「学生に手を出す教師にろくな奴はいねぇ」と口癖のように言っていた。彼女自身も教師と学生の恋愛物を描いていたことがあるが、その作品の中でも教師のヒーローが同じことを学生のヒロインに諭していた。

『僕は君とは付き合えない。僕は教師、君は生徒だから。君からしたら真面目すぎると思うかもしれないけど、僕は真面目じゃなくて、まともなだけです。生徒に手を出す教師なんてろくな人間じゃないですよ』と。

 とても未成年に対して『抱きたい』とか言って迫ってきた人が考えた台詞とは思えない。まぁ、僕は高校卒業してるからセーフなのかも知れないけど。あと数ヶ月早かったら確実にアウトだ。だけど、鈴歌さんがまともな人であることを、僕は知っている。ちょっと変わっているけれど。


「……焦らなくたって僕は逃げないよ」


 今にも泣きそうな顔をする彼女を抱きしめる。彼女が焦る理由は分かる。恋愛で傷ついた彼女を友人として何度も慰めてきたから。恋愛運がないとか、人を見る目がないとか、口癖のように言っていた。同年代の友人達が次々と結婚していることも理由の一つだろう。

 僕はもう親の許可を得れば籍を入れられる。両親も彼女が相手なら反対する理由も無いだろう。だけど、勢いで入れていいのだろうか。結婚を前提で付き合うとは言ったけれど、僕にはまだ彼女と添い遂げる覚悟はない。


「……三年」


「三年?」


「三年後に、僕からプロポーズする。だから、それまで待ってて」


「なんで三年……?」


「恋の寿命は三年って言うでしょ?恋の熱が冷めても、それでも僕で良いと鈴歌さんが言ってくれるのかどうか、確かめさせてほしいんだ。鈴歌さんを信じてないわけじゃない。信じてるけど……ごめん。もう少しだけ待ってて。……三年はちょっと長いかな」


 三年後の僕は21歳。彼女は28歳だけど、まだ結婚するのに遅すぎる年齢ではないはずだ。


「……駄目?」


「……」


 返事が無い。顔を覗き込む。


「……鈴歌さん?」


「……プロポーズの予告って、斬新だな」


「……もしかして、ロマンに欠けてた?」


「いや、むしろキュンとした。採用」


 真顔で親指を立てる鈴歌さん。


「いや、別に漫画のネタを提供したわけではなくて真面目な話をしていたのだけど……」


 そこのところ分かっているのだろうかと問うと、彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。どうやら今のは照れ隠しだったらしい。

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