君と夫婦になるまであと三年

三郎

1話:始まりは冗談から

 初恋は父の幼馴染の男性だった。

 それが恋だったかもしれないと気付いたのは、彼の結婚式に出席して、新婦と幸せそうに笑い合う彼を見て、素直に祝福出来なかったことがきっかけだった。当時の私は小学生。今となれば、淡くて少しほろ苦い初恋の思い出だ。


 初めて恋人が出来たのは中学生の頃。相手は通っていた中学の男性教師だった。多分、彼に恋したというよりは、恋に恋していたのだと思う。誰にも言えない秘密の恋という甘美な響きにも酔っていた。そして、恋に酔っていた私は彼の本性に気づかなかった。

 ある日、彼が逮捕されたという話を学校で聞かされた。少年少女の裸の写真を複数所持していたらしい。幸い、その中に私は居なかった。


 高校は女子校に進学した。

 昔から漫画を描くのが好きだった私は、高一の頃に、自分の初恋を題材にして<初恋は実らない>というタイトルで漫画を描き、軽い気持ちで応募した。すると見事に賞を取ってしまい、そのまま高校生漫画家としてデビューすることになってしまった。

 そこで私は一人の同級生の女の子と付き合っていた。校内には同性同士で付き合っているカップルがそこそこ居たが、別にそれは特別なことではなく、驚いている人の方が少数だった。

私も、身近にセクシャルマイノリティの当事者が多数居るため、なんの疑問も持たなかったが、理解があるのは私の周りだけで、世間の理解はまだまだ進んでいないらしい。


 二十歳になって、初恋のおじさんの妹のバーで、さまざまな人と出会う。

 その中にら自分がゲイであることを隠すために女性と結婚した男性が居た。

 彼との出会いをきっかけに生まれた作品が<僕をクズだと罵ってくれ>という既婚者と元カレのBL作品。もちろん、彼にはモデルにして漫画を描いてもいいか許可を取った。彼は快く許可をくれた。

 ちなみに、現在の彼は私の漫画の主人公と同じく、妻と円満に離婚し、今度恋人と結婚するために日本を出るらしい。残念ながら両親からは理解を得られず『もう二度と顔を見せるな』とまで言われてしまったらしいが、それでも彼は『僕は自分の世間体のために一人の素敵な女性を傷つけた。あの過ちはもう二度と繰り返さないと決めたんだ。家族ともきっと、いつか和解できると信じてる』と複雑そうに笑いながら語ってくれた。


 彼が日本を出た年に、別のバーで一人の男性と出会った。5つ歳上の男性。

 初めて付き合った教師の件もあり、最初は警戒していたが、優しさに惚れてしまい、付き合うことになった。当時の私は21歳。彼は26歳。

 そこから半年付き合って同棲を始めたが、同棲を始めると彼の態度は一変。家事は何もしない、私の仕事を『絵を描くだけの楽な仕事』と貶す、何かにつけて母親と比べる——いわゆるモラハラマザコン男だったのだ。

 さっさと別れた方が良いなと思いながらもずるずると付き合っているうちに一年が経ち、23歳の誕生日に、公開プロポーズされてしまった。当然、指輪を突き返して別れを告げた。別れ際に『お前みたいな奴貰ってくれるの俺くらいしかいないだろ』とかふざけたことを言っていたがあんな男の所有物になるくらいなら一生独身の方がマシだ。

 公開プロポーズという素敵なイベントを公開処刑にしてしまって申し訳ないという罪悪感は若干あったが、彼の最後の一言のおかげでそんな罪悪感も綺麗さっぱり消え去った。彼が私にしたことに比べたら妥当な仕打ちだと思う。むしろ、甘いかもしれない。


 それから一年後。24歳になった私はネットゲームを介して仲良くなった一人の男性とリアルで会うことに。

 一回り歳上の男性だった。歳上で、優しい男性。ネット上で仲良くしていたのもあり、警戒はほとんどせず、すぐに付き合うことに。

 彼は紳士的で良い人だった。

 何故独身なのか不思議なほどに。


 ——そう。実はこの人、既婚者だったのだ。

 そのことがバレると彼は

『愛しているのは君だけ』

『妻とは上手くいっていない』

『いずれ別れるからもう少し待っててほしい』

 というお決まりの台詞を吐いた。半年以上待ったが一向に別れる気配は無く、もう待てないとこちらから別れを告げた。


 そして、現在の私は今年の6月に26歳になった。今は9月。26歳3ヶ月。

 同い年の友人や、後輩達さえも次々と結婚している。私自身は結婚どころか恋人さえおらず、ワンナイトラブを繰り返すという虚しい生活をしている。

 しかし、一夜限りの愛では満たされるのは一瞬だけだ。そうわかっていても、その先に進むのが怖くなってしまう。素性もよく知らない人間と身体を交えるより、恋人同士になる方がハードルが高い。


「みーくん…私を愛してくれる人って、どこにいるんだろうね」


「先生、口より手動かして。締め切り近いんでしょ?先生の作品を愛してくれてるファンがいるんだから。頑張ろう」


 そう優しく声をかけながら原稿を手伝ってくれているのは7つ歳下の幼馴染の鈴木すずきみなとくん。今年春に高校を卒業したばかりの18歳。昔からアシスタントとして手伝ってきてくれていたが、社会人になった今でも助けてと言えば休みを削って来てくれる。


「……みーくんさ、仕事しながら私のアシスタントなんてよくやるね」


 彼に報酬は払っていない。飯を奢るくらいのことはしてやっているが、ほぼボランティアだ。


「昔から言ってるでしょ。先生の作品が好きだって。僕は鈴音すずね先生のファンなんだ。だから、誰よりも早く原稿を読めるなんて、こんな役得無いよ」


「…そうか」


「うん」


 彼のように、私の作品を愛してくれる人はたくさんいる。だけど、私個人を愛してくれる人はいない。鈴音先生ではない私—加藤鈴歌かとうりんか—個人を愛してくれる人がほしい。誰でもいいから、私を愛してほしい。


「…みーくん、恋人はいる?」


「いないよ」


「……そうか」


 彼のことは昔から知っている。生まれた時から。今まで付き合ってきたクズ男たちとは違って、彼の優しさは上辺だけでは無いことはもう分かっている。彼に愛される人はきっと、幸せだろうな。


「……なら、私の恋人になってみないか?」


 思わず口走ってしまった言葉に自分でも驚く。何を言っているんだ。最近まで高校生だった男の子に。

 彼は私の言葉に驚いたのか、手を止めて固まってしまった。本気にされてしまっただろうか。


「いや、みーくんすまん、今のはじょうだ——「いいよ」……へ……」


 思わぬ返事に固まってしまうと、作業をしていた彼がこちらを向き直る。そして真剣な顔で「鈴歌さんがいいなら、いいよ」と繰り返した。最近まで子供だと思っていた彼の初めて見る顔に戸惑ってしまうと、彼はふっと吹き出すように笑い始めた。


「なんて、冗談だよ。鈴歌さんが揶揄うから揶揄い返しただけ」


「えっ、あ、あぁ、そうだよな……冗談……だよな……」


 ……あれ、何で私今、冗談だと返されてショックを受けているんだろう。


「……鈴歌さん、もしかして本気だった?」


 笑っていた彼が気まずそうに苦笑いして首を傾げる。


「えっ、いや、冗談……冗談だよ……冗談……」


 冗談のはず……なんだけど。

 沈黙が流れ、気まずい空気が流れる。


「……やっぱり、本気にしても良い?」


 ぽつりと、彼が呟いた。その言葉の意味が理解できずに返事出来ずにいると、彼が道具を置いてずいっと距離を詰めてくる。思わず後ずさる。


「な、なんだよ……大人を揶揄うなよ……」


「……先に揶揄ったのはそっちじゃないか」


「あれは……揶揄ったとかそういうのじゃなくて……君に愛される人は幸せだろうなって思っただけで……て、てか、幼馴染で七歳も歳上のおばさんなんて恋愛対象として見れんだろ……」


「おばさんって歳でもないと思うけど」


「君から見たらおばさんだろ」


「そんなことないよ。鈴歌さんは綺麗だよ」


「き、綺麗ってなんだよ……それ……口説いてんの?」


「……口説いてるというか……思ってること言っただけだけど」


 再び沈黙が流れる。なんなんだこの甘酸っぱい空気は。


「……鈴歌さんも知ってると思うけど、僕、女の人が苦手なんだ。女の人というか、女の人から向けられる恋愛感情が、かな。昔、同級生の女の子の告白を断って泣かせちゃって……そのことで女の子たちから散々責められた経験があるんだ。それが原因だと思う」


 その話は聞いたことがある。何度か相談に乗った。


「……だけど多分、鈴歌さんになら恋愛対象として見られても平気だと思う。……貴女なら、好きになれる気がする」


 恐る恐る彼の顔を見る。真剣な顔をしていた。揶揄っているようには見えない。

 だけど、私は今年度で26歳。もうアラサーだ。後がないわけではないが、付き合うなら、ちゃんと結婚のことも考えたい。


「……付き合うなら、結婚前提だよ。それ分かってる?」


 彼はまだ十代だ。結婚なんて全く頭にないだろう。彼にとっては重いかもしれない。だけど、私はもう、軽い気持ちで何年も付き合えない。もう、恋愛で失敗したくはない。


「……結婚か」


「……重いと思うならやめときな」


「……いや、重いなんて思わないよ。僕はもう結婚出来る歳だし。あ、でも成人するまでは親の許可がいるんだっけ……。……鈴歌さん、いくつまでに結婚したいとかある?」


「えっと……30歳までには……」


「……四年後か。……分かった」


「分かった?」


「結婚の件は、僕が成人するまでは待ってほしい」


「……って、ちょっと待てみーくん、付き合う流れになってないか?これ」


「え?そういう流れじゃないの?」


 きょとんとして首を傾げる彼。


「結婚前提なら付き合ってくれるんでしょ?」


「いや……えっと……み、みーくんは、私のことを恋愛対象として見れるの?」


 七歳も歳下で、小さい頃から知っていて、つい最近まで高校生だった。家に泊めてやることも多々ある。そんな男の子を今更恋愛対象として見れるだろうか。


「生々しい話するけどさ、付き合うってことはさ、いずれはキスとかセックスとか、することになるわけだけど、君は私とそういうこと出来る?……しないカップルもいるけど……私は多分、プラトニックな恋愛は出来んよ」


「……」


 黙り込んでしまう彼。ちらっと顔を見ると、真っ赤になって固まっていた。目が合うと逸らされる。彼は女性が苦手で、恋愛経験が無いと聞いている。そういう経験も無いのだろう。


「……なんかすまんね。生々しい話して」


「い、いや……。そうか……そうだよね……でも……鈴歌さんとなら……多分大丈夫……だと思う」


 私から目を逸らしたまま恥ずかしそうに、ぽつりぽつりと彼は呟く。その愛くるしい姿を見た瞬間、恋の矢がどすりと胸に突き刺さった。

 前言撤回する。全然恋愛対象として見れる。抱ける。


「……みーくん」


「は、はい」


「……抱いていい?」


「……だ……うん!?いやいやいや、待って、何!?弟としか思えないって言ったばかりだよね!?てか、なに!?僕が抱かれる側なの!?」


「恋はいつだって突然なのさ」


「いや、突然過ぎるよ……」


「大丈夫よ。優しくするから」


「や、優しくするって言われても……」


「私となら出来るんだろ?」


「……出来る……と思う……とは言ったけど……」


18歳の少年にじりじりと迫る26歳の女。犯罪だろうか。いや、高校卒業してるからセーフだろう。セーフ。な、はず。


「……あの、鈴歌さん、もしかして酔ってる?」


「酒なんて飲んでないよ」


 彼は観念してため息をつくと私をまっすぐ見据えた。そして私の頬に触れ「目閉じて」と囁く。


「私からしようと思ったのだが」


「僕からする」


「……分かったよ。じゃあどうぞ」


 目を閉じて待つ。ふー……と彼が深い息を吐く音が聞こえ、肩に手が置かれる。緊張が伝わってくる。顔に吐息がかかってくすぐったい。

 ちゅ……と、唇に柔らかいものが触れた。数秒押し付けられ、離れる。目を開けると、目の前には膝を抱えて丸まっている彼が居た。


「……初めてのキスの感想をどうぞ」


「……ドキドキしました」


「……私は今、めちゃくちゃムラムラしてますけど、どうしますか。帰りますか?」


問うと、彼は顔を上げ、一瞬だけ私を見てからまた膝に沈んだ。そして、きゅっと私の服の袖を摘んで蚊の鳴くようなか細い声で呟く。


「……お手柔らかに、お願いします」


 ——こうして、私達の恋はある日突然始まった。何の前触れもなく。

 加藤鈴歌26歳。叶わず終わった初恋を合わせたらこれが5度目の恋。果たしてこれが最後の恋になるのだろうか。

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