ときじくのかくのこのみ②

上原美樹

第2話 血統

生まれて三日ばかり過ぎた細い月が高い空の上で白く輝きを放っている。命を駆るためだけに振り上げられた鎌の切っ先に似た細い月の―鋭い輝きが暗い森をところどころ突き刺すように照らしていた。

「磐(ばん)牙(が)、まったくお前ときたら砂のようじゃ。この手のひらに乗せても指の隙間を見つけてはさらさらと逃げていきおる。土のようにじっとりとそこに留まろうしないのはなぜだ?お前が武力ばかりを求め、血を欲するように生きることを願うのなら、この礌砢(らいら)の村を危険にさらす存在でしかないということをそろそろわかってもらおう。

磐石(ばんじゃく)は、そうさな。お前の言うように今はまだ腰抜けであっても、この村を、我が種族を繁栄させずとも、持続させるだけの技量は持っておる。礌砢に必要なのは、土のように根付く力。一族を保っていく力。一時の繁栄など、永遠の存続と比べればその比ではない。その違い、わかるか、磐牙。繰り返していう。わしの跡継ぎはお前ではない。土にあやかる一族に砂の血は不要じゃ。」

村のシャーマンである祖母の声が耳に響く。彼女の正当な跡継ぎの第一継承者であるはずのこの俺に最後通告を突きつけてきたわけだ。

「お前のしてきたこと、わしはいちいち目をつぶってきた。それはお前をこの村の長である私の跡を継がせるためにだ。だが今度という今度は黙ってみすごすことはできない。なんのことかお前もわかっておろう?」

俺は黙ったまま老婆を凝視し続けていた。

そうだな、確かにわかりきったことばかりだ。

とっくの昔にこの村にはうんざりしていた。やっと、俺はその言葉を、老いたその唇がつむぎだすのを聴くことができたわけだ。失笑しそうになるのを抑えるので精一杯だった。大地の持つ包容力、力強さや忍耐力そういったものが自分の中に流れているとは受け入れがたかった。ばかばかしかった、そんなものがなんの役に立つというのだ?一歩村から出てしまえば、死はすぐ隣にいて、すきあらば、その鎌を首に引っ掛けて切り落としたがっているというのに。命を育てることより、育ってきた命を絶つことのほうが、自分には似合っていると、きづいたのだってもうずっと昔だ。「穏やか」は「退屈」でしかなかった。「辛抱強いこと」は「怠慢な日常」だった。祖母の帝王学をひもとくほどにおれには絵空事か退屈なものでしかなかった。

「そうだな」俺はやっと祖母に口を開いた。

「あんたの手のひらじゃ俺は遊びきれないほど大きくなっちまった。零れ落ちる砂のごとく自由になりたくて仕方なかったのだ」

あんたは、と心の中で続ける。

―あんたは民には平穏な日々を強要するが、そのわりには、実のところ、虎視眈々とこの世界の上層部に潜り込もうと狙っているのじゃないか。

だからあいつを買った。血の臭いでいっぱいだったあいつを。あんたや、ぼんくらな父がいう辛抱強さが、誰かの力を取り込んだくらいで、無血のまま世界をその掌中に収められる?そんなはずないだろう?祖母から目を離さないままに言った。

「俺はいまや砂よりもっと前の、まだ大きな岩だった頃に戻った感じだ。本当の俺に戻ったというべきなのだろう。」

薄笑いして見える祖母の、いく筋かのしわに刻まれた口元を見据えながら続けた。

「あんたの決断はいつだって正しいさ。俺はこの礌砢(らいら)の後継者には向かない。弟のように朝から晩まで森や天気、意気地がないだけの民のことばかり気にする生き方なんて我慢ならない。いらいらして身体に悪い。俺が気にかけなくとも、木にしたって、民にしたって、勝手に増えていく。いいたいことだけいい、自分の手で何かを変えるなんて考えもしない。ひどいものだ。与えられるのを待っているだけで自分からは何も、やりはしない。結局のところ自分だけが無事であればいいのさ。」

祖母はニヤニヤしたままだった。俺は大きく開いた自分の手のひらを見る。     

俺は、眠るとき夢は見ない。眠りながら見る夢に未来はない、夢を見るほど長い眠りについたこともなかった。夢は嫌いだ。俺が見ているのはいつでも目の前にある現実であって、自分自身の生き方のありようだ。夢は見るものでなく現実であるべき方向性だ。この手で掴み取り奪い取ることだった。村に未練はない。俺の生き方は自身で決めた道を行くこと。立ち上がる。上から見下ろす村長はしわくちゃでちぢんだ、死に損ないのばばあにしかみえなかった。

「あんた、小さいなぁ」

磐牙はそれだけいって部屋を出た。粗末なつくりの家の集団。四方をうっそうとした木に囲まれているからよほどの土地勘があるものか、伝説として語り継がれている「森に選ばれたもの」にしかこの村は見つけることはできない。迷い込んでくるものもまれにしかないから、村で生まれたものはたいてい村で死んでいく。血が濃くなりすぎるのを避けるために闇市から民を買って嫁にしたり婿にしたりして新しい血を入れる。それ以外には新しいものを入れるのを極端に嫌い「いつもどおり」を座右の銘にしているような村。礌砢の村のある森には夜ごと凄まじい程の風が大木を揺すぶるというのにこの村のものときたら誰にも何物にも、なにも、揺すぶられることはないのだ。相変らず吹き続けている風は自分にはいつでも、追い風に感じた。この追い風こそ自身の運気を上昇させる風だ。磐牙は長い漆黒の髪を風にまきあげられながら身体中に力がずっと増していくのを感じていた。

 

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