さよなら風たちの日々 第2章-3 (連載4)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

さよなら風たちの日々 第2章ー3


            【8】


  ぼくが驚いて振り向くと、そこには一人の新入生が立っていた。

 その新入生は女性で、くせのない柔らかそうな長い髪を細い肩にふわりとかけている。その新入生は二重まぶたの大きな瞳で、ぼくにはにかむように微笑んでい溜まった。

 よく通った鼻梁と、オレンジを小さく剥いたような、やや厚めの唇。

 背は低い。150cmくらいかもしれない。

「やあ、ごめん。ちょっとほかに気を取られていたもんだから」

 ぼくがその新入生に目を移すと、彼女は一瞬何かに驚いた表情を見せ、考え事をしたような表情をしたあと、それを否定するかのように視線を床に落とした。その仕草はおとなしい、というよりも、何か憂いを含んだかげりのようなものを感じさせた。

 何かを言いたげな唇。そして今にも折れてしまいそうな華奢な身体つき。

 その彼女が、はらりと顔にかかった髪をかき上げ、意を決したようにぼくに視線を戻して、見つめ続けている。

「これを口にあててみて」

 ぼくはゴム管が付いたマウスピース彼女に渡してから、

「これを口に当てて、強く吹く」。

 いいね、ちょいうようにぼくが話すと彼女は小さくうなずき、大きく深呼吸をしてから、おもむろにマウスピースに息を吐いた。


 しかしどうしたことなんだろう。彼女がいくら息を吐いても水槽に浮かんでいるドラム缶は、ビクともしないのだ。

あれ、おかしいな、と首をかしげて彼女は、もう一度深呼吸をしたあと、マウスピースに息を吐いた。

 けれどドラム缶は、やはり動かない。

 壊れてしまったんだろうか。それともやり方が間違っているんだろうか。

 そんな困惑が彼女の顔に広がり、彼女はぼくに救いを求めるような視線を送ってきた。

やがて何人かの新入生が彼女の後ろに並び出した。そんなプレッシャーもあって、彼女はもう一度マウスピースに息を吐いた。しかしそれでも水槽に浮かんだドラム缶は微動だにしない。

 彼女は困ったように眉をひそめ、動きませんけど、というジャスチャーでぼくを見た。

 少し器具を点検し、異常がないことを確かめてから、ぼくが言う。

「測定器は壊れてない。たぶんやり方が間違ってるんだと思うんだ。だからちゃんと口にマウスピースを当てて、空気が漏れないようにして、息を吐いてみて」

 その言葉に彼女は大きくうなずいてみせ、今度はマウスピースをやや強く口に当て、たっぷり息を吸い込んでから、息を吐いた。


              【9】


 その刹那、音がした。その音は体内に溜まった気体が外に出る、その音に似ていた。 

 周りからどっと、笑い声が起きた。



                            《この項 続きます》



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