第8話 モルダビアに帰る

「奴は武器で襲って来る事が無い。人の血を吸うだけのコウモリみたいな魔物だ」


 バルク達は魔物は夜行性で、昼間は何処に潜んでいるのか分からないと話し合っていた。


「厄介なのは、人に乗り移ってしまうと手出しが出来ない事だな」




 帝国軍と対立したワラキアの通称ドラキュラ公だが、最後は追い詰められ、手勢二百人のみとなって現在のブカレスト近郊で戦死する。切り落とされた首はオスマン帝国で晒されたが、ワラキアに残された遺体は、スナゴブ湖に浮かぶ小さな島に葬られる事になる。

 ワラキアのブカレストから三十キロほど北の村に湖はある。その中ほどに浮かぶ島に修道院が建っている。ヴラド・ツェペシュの首の無い遺体を埋めた場所とされていて、祭壇の下に墓があるという。


 ユキはバルクら三人と湖にやって来た。

 漁師から小船を借り島に向かった。上陸すると中央付近に修道院が建っている。

 修道士の許可を得て中に入ると、内部は壁や天井を宗教画が埋めつくしている。祭壇の前に四角い蓋があり、持ち上げると地下室が現れた。

 降りて行くと棺があり、蓋を開ける。

 そこに首の無いミイラが有った。吸血鬼を仕留めるという杭を持って来ている。

 しかし何故か皆、此処に魔物は居ないと感じたのだが、念のため杭を打ち込んでみる。

 何も起こらない。

 死者を冒涜してしまった。杭を丁寧に抜くと棺の蓋を閉じた。





「私が囮になりましょう。

「――――!」


 バルク達は驚愕した。


「ユキさん、本当ですか?」


 首は何処に有るのか分からない。後は魔物が現れるのを待つしか無いのだ。

 ユキとバルク達三人は館で待機する。軍団は呼ばない事にした。今回の相手は兵力が多ければ良いというものではない。







 いつもと同じ様に食事をして、シェルバン・カンタクジノ氏からワインを勧められた時だ、


「えっ」


 ユキがシェルバン氏と目を合わせた時、再び首筋にあの冷気を感じたのだ。

 既に魔物はシェルバン氏の身体に入っている!

 立ち上がったユキは右手で柄を握り鯉口を切ると、ゆっくりと抜いてゆく。

 父から言われていた言葉を思い出す。


「竜神の力を得て創られたものだ。お前が強い意志でこの刀を振るえば、切れない相手などいない」


 刀を正眼に構えた。


「どうやら気付いたようだな」


 シェルバンも椅子をずらして立ち上がる。

 気配を感じたバルク達も部屋に入って来た。


「フフフ、お前達に儂が切れるか?」


 シェルバンが壁に飾られていた剣を手にして、攻撃して来るではないか。

 これはまずい事になった。四人は防戦一方で反撃する事が出来ない。シェルバン氏の身体を傷付ける訳にはいかないのだ。それを分かっている魔物は、余裕で剣を振るって来る。

 シェルバンの剣が執拗に四人を襲う。

 四人はなす術も無くジリジリと下がってしまう。

 その時クイナが動いた。

 シェルバンの剣を叩き落したのだ。


「くっ!」


 手首を掴んだ魔物が呻く。次の瞬間シェルバンの身体が崩れ落ちた。


「出たぞ」


 黒い影が舞い上がってサロンを回り始める。

 ユキは刀を顔の横に引き寄せ、目をつぶった。手ほどきを受けていた示現流一撃必殺の剣法。

 脳裏に父の言葉が響く。


「龍神が力を貸すのだ。切れないものは無い」


 閉じた瞼の裏側にさまざまな色が現れては変化して行き、やがて黒一色となる。そこに灰色の魔物が現れた。

 真っ赤な口を開け襲い掛かって来た!


「イエッーー」


 ユキの振るった刀は、魔物を見事に断ち切っていた。

 飛び散った血が直ぐに黒ずんで行き、ついには染みとなって消えてしまった。





 翌朝、館に日が差している。


「ユキ殿、このご恩は忘れません」


 シェルバン氏は、「あの魔物が本当に死んだのかどうかは未だ分かりませんが……」そう言って、それでもユキ達四人を晴れやかに送り出した。

 この後エバァ夫人やユキの後援を得たシェルバン・カンタクジノ氏は、先のワラキア公の後を引き継ぎ、十数年に渡りワラキアを統治する。ユキは政商となりワラキアの交易を支配して、その発展に貢献する事になる。




 オランダやワラキアでの活動も一段落すると、ユキはやっとモルダビアに帰って来た。だが、館は荒れ果ていて見る影もなかった。元居た召使たちにも来てもらい、業者も呼んですぐ修復を始める。

 ところが、やっと修復が終わり、元通りの館に戻った頃、


「ここで何してる!」


 振り向くと、数人の男達がユキをにらんでいる。


「あなた方こそ、なんですかいきなり。ここは私の館ですよ」

「なんだと。ここはドラゴシュ様の館だ。知らねえのか」

「何処か他と勘違いしているのではないですか?」


 だが、男達は引き下がらなかった。ここはドラゴシュ様の館だと言い張り、


「とっとと出て行くんだな」

「怪我をしてからでは遅いぞ」


 傍に居た召使がそっとユキにささやいた。


「ドラゴシュの末裔だと自称している貴族の私兵です」


 ルーマニア人のドラゴシュ初代モルダヴィア公が在位していたのは、もう三世紀も前の事だから、怪しいものだ。ドラゴシュの家系は絶えたっていう事になっている。

 召使はさらに、


「この連中はたちが悪くて有名なんです。札付きの悪党どもですよ」

「さあ、どうすんだ。怪我したくないだろう。出て行くんなら今の内だぞ!」


 ユキは仕方ないわね、といった顔をした。


「では、後ろを御覧なさい」


 男達が振り向くと、そこにはいつの間に現れたのか、剣を携えた二十八人の傭兵が立っていた。

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安兵衛の娘ユキとドラキュラ公 @erawan

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