第5話 ユキは刀を抜いた

 コンスタンチノープルの港では、入荷される食糧がとんでもない高値を付けていた。

 何しろダルダネス海峡をヴェネツィア海軍が封鎖しているのだ。地中海からの交易船が入って来れない。行き来出来るのは黒海と後は陸路の交易だけだ。

 地中海からの交易船が入れないだけで、コンスタンチノープルでの物流の量は激減する。特に食糧は日々必要としているから、無ければ飢えてしまう。しかし帝国内の食糧自給は戦火でままならず、陸路での補給も滞りがちで、値段は何処までも高騰して行く。

 ユキの船が食糧を積んで来たとの情報は、あっという間に広まり、港は集まって来た仲買の業者達でごった返した。


「もう無いよ」

「何でもいい、金ならいくらでも出す、売ってくれ」

「だから野菜はもう無いんだって!」


 食糧だけでは無かった。運んで来た物は何でも、もうユキの言い値でどんどん売れて行く。すぐ全てを売り切ってしまった。

 船はまたワラキアにとんぼ返りだ。


 ワラキアはモルダビアよりも航海の日にちが数日少なく済む。早ければ二日、遅くても三日で着く。生鮮野菜を腐らせずに送り届ける事の出来るぎりぎりの距離だった。

 港に着くとそこに保管してあった残りの荷を積み込み、再びコンスタンチノープルに向かう。ピストン輸送だ。

 カンタクジノ家の夫人には、次の食糧物資の確保をお願いしてある。ワラキアは戦火に晒されていないので、貴族同士のいざこざがあるだけで、経済は安定している。食糧の調達にはさほど問題は無い。

 ただ宿敵のバレアヌ家が妨害して来ないか、それだけが心配だった。


 再びコンスタンチノープルに来たユキの船には前回同様、仲買人が群がって来た。

 この日も即売り切ると、すぐワラキアに取って返す。そこには既に新たな食糧や物が運び込まれているといった具合だ。

 夫人が先頭に立って全てを仕入れ、軍団が港まで護送する。そんなルートが出来上がっていたのだった。

 だが、やはりユキの船がそのように交易を独占している事を良しとしない者が現れる。


「おかしいじゃないか」

「何であの船だけなんだ」


 交易船の商売敵だ。モルダビアが政情不安の為、必然的にワラキアに集まって来る。当然ワラキアの食料品相場も高くなる。次々と仲買人がワラキアの市場に入り、食糧でも何でも買い始めたのだ。

 さらにユキの船が交易を独占していると、帝国に告げ口をする者まで現れた。

 港の行政官は不満を受け混乱を回避しようと、交易船の出航を届け出制から許可制に変えると発表した。ところがその許可が問題で逆効果、更なる厄介な事態を引き起こす。すぐには降りないのだ。何日も待たされる。書類の不備だのなんだのと。


「いい加減にしてくれ」

「一体いつまで待たせるつもりだ!」

「どうなってるんだ。食い物が腐っちまうじゃないか」


 港の仲買業者や船主からは、不満の声が噴出した。

 特に生鮮野菜は鮮度が命だ。船積したまま何日も置いておいたら売り物にならなくなってしまう。

 強引に出航しようとした船は役人によって抑留された。

 ところが、ここですんなり港を出て行く船があるではないか。それがユキの船だと、皆が気づいた。ユキの船だけ許可が早く出るのか。もちろん何故だといぶかる者も居たのだが。


「あの船が早く出る」

「あれに乗せようぜ」


 こうなるともう事情を詮索する事よりも、ユキの船に載せればとりあえず出荷出来ると、ここでも依頼が殺到して来た。港に居た軍団に「うちの荷物を運んでくれないか」と。だがユキは運ぶのではなく、買い取る事にした。運賃よりも向こうで高く売った方が同然利益が出る。売るのが嫌ならそれまでだ。仲買業者も鮮度が落ちてしまえば価値が無くなるのが分かっている、


「そんなただみたいな値で売れるかよ!」

「そう、嫌なら――」

「待て、分かった。売ろう」


 仕方なく売って来る業者が続出した。

 それでも中にはやっと許可が出て、コンスタンチノープルに着いた他の交易船もあった。だが、野菜などは腐ってしまい、ユキの船だけに注文が殺到、値段はさらに上がった。

 ワラキアでユキ達の所には、仕入する必要もなくなるほど食糧が集まって来る。さすがの巨大な交易船も満杯で、戦争が終わり海上封鎖が解かれるまで、ワラキアとコンスタンチノープル間を限りなく往復した。ユキの船室は、金貨を満載した箱が山積みとなってしまった。


 ダルダネス海峡を争奪する戦いでは、ヴェネツィア艦隊による海上封鎖で物価が高騰した首都だ。暴動と反乱の危機を収拾するのに、オスマン帝国は数年を要したのだった。


 朝鮮戦争特需では、三年間に三六〇〇億円を上回る注文が日本企業に来たようです。当時のGDP四兆円の三%で、今に当てはめると年間一六兆円というとてつもない金額となる試算もあります。もちろん利益率次第ですが、戦争特需というものは途方もない利益をもたらす。ロスチャイルドもそれで財を成した。





 だがある日、ワラキアの港で荷の積み込み作業を指示していたユキの所に、緊急の報告があった。夫人の館がバレアヌ家から攻撃を受けているというものだった。


「バルク、行くわよ!」


 船に積み掛けていた荷を放り出して、軍団は夫人の館に急行する。

 攻撃は早朝から突然始まったと、放っていた偵察の者が馬を走らせ知らせて来たのだった。今から急行して着くのは夕方になる。間に合ってくれればいいのだが……



 軍団は日が落ちる前に館に着いた。敵はまだ銃撃中だった。館は石と漆喰造りで、頑丈なドアを備えている。立て籠っていれば、簡単には堕ちない。敵は鉄のドアを前に攻めあぐんでいた。


「行け!」


 もう作戦も何も無い。軍団全員が突撃して行く。

 ユキも刀を抜いて、何人か夢中で切る。

 刃が敵の身体にずるっと食い込む。返り血を浴び、なおも切り進んで行く。

 剣は片手で握るのに対して、刀は両手で持つ。ユキのようにひ弱な者でも両手なら扱えた。


 館の外から攻めあぐんでいたのか、気が緩んでいたのか、突然後方から抜刀して来た軍団に、敵は銃を持ったままうろたえた。弾込めに時間を要するこの時代の銃だ。いきなり切りつけて来る刃を受け止めるのが精一杯で、何の役にも立たない。次々と刀の餌食になって行く。


「ユキさん、ユキさん」

「――――!」


 ユキの振り上げた刀に、相手が手を振って再び「ユキさん!」と叫んだ。

 目の前に居たのはクイナ。ユキはやっと我に返った。

 周囲に敵の死体が散乱していた。


「エヴァさんは?」


 そう言ったユキが見ると、館の門が開き、夫人が出て来た。


「ユキさん」

「エヴァさん、御無事でしたか」


 たまたま外に居た使用人が何人か被害を受けたが、他は館に立て籠って無事だった。数えてみると館の周囲には四十人以上の斬死体が有った。

 

 死体は全てバレアヌ家まで軍団が送り届けた。ほとんどは私兵のようだが、何人かはバレアヌ家の者も混じっていると夫人が言っていた。

 軍団がバレアヌ家の前に着くと、館から出て来た若者が剣を抜こうとして、長老らしい者がそれを押し止めた。

 運ばれて来た死体の山を前にしたその者は、バルクを見て悲しげな表情を浮かべ「感謝する」と一言だけ言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る