第3話 ワラキア公国
ユキ達が南下しているワラキア公国は、北西のトランシルヴァニア公国、北東のモルダビア公国、南のオスマン帝国などに囲まれていた。
ワラキアのヴラド三世、通称ドラキュラ公は、十五世紀にオスマン帝国と対立した。ユキの時代から二世紀も前の話だ。
オスマン帝国はワラキア公国に使者を派遣して貢納を要求して来たのだが、ヴラド三世は帽子も取らない横柄な態度の使者を前にすると、
「何故帽子を取らない?」
「我が国では皇帝の前であろうと、帽子を取る必要はありません」
「ならば二度と取れないようにしてやろう」
帽子を使者の頭にクギで打ち付けてしまった。さらに生きたまま串刺しにする。
その後の戦いでもオスマン帝国軍の兵二万人を串刺しにした。皇帝は大量のオスマン兵が串刺しにされた林を見ると戦意を失い、ワラキアから撤退する事になった。
しかしオスマンは通貨制度の完成やコーヒー豆やチューリップの欧州諸国への輸出などを経て、東西貿易の中心地として機能していた帝国だ。独特の建築様式を生み出し、鮮やかな彩色陶器が生産され、文学でさえ評価されている。
円滑な税回収やインフラの整備などを行うことで繁栄しており、当時としては世界に誇る先進国であった。
ユキ達はコンスタンチノープルに向かい、ワラキアの土地を通過しているところだった。
「あの声は何?」
ユキは女性の悲鳴を聞いた。
声のする方に馬を走らせると、馬車の側で、数人の男達が家族ずれのような者達を囲んで騒いでいる。
「何をしているの」
馬を降り傍に行くと、女性は泣いている赤子を抱いているではないか。
「よしなさい!」
取り囲んでいた男達は突然の来訪者に驚いたようだが、すぐユキをにらんだ。
「ふん、そよ者だな」
「行け行け、お前なんぞに関係ない事だ」
「すぐその手を放しなさい」
ユキは女性を掴んでいる男に向かって言った。
「この野郎」
男達がぞろぞろと近づいてくる。
「クイナ!」
ユキが叫ぶと、横から前に出て来るクイナが剣を抜いた――
「野郎!」
「若造だ、やっちまえ」
四人の男達がそろって剣を抜いたが、クイナの足は一歩も止まらない。剣を二振りすると左右の男が倒れ、振り向いた時は、三人目の男の腹を切り裂いていた。
四人目の男は両手を広げ、逃げて行ってしまった。
ユキの後ろに並んでいた傭兵の男達は、その成り行きを当然だとでもいうように、馬を降りようともしないで見ていた。
ユキは女性の側に行く、
「お怪我は有りませんでしたか?」
「有難う御座います」
お礼を言った女性は、ワラキアの貴族カンタクジノ家のエヴァ・イオネスコと名乗った。襲ったのは対立するバレアヌ家の者だと言う。
大土地所有者であるボイェリ(封建貴族階級)のバレアヌ家とカンタクジノ家との血なまぐさい衝突が続いていたのだった。
女性の館はここから半日ほど西に行った処らしい。逃げて行った者はきっと報告しているだろう。また襲われる危険がある。
「どうしましょう」
ユキはタリウトに相談した。護衛して行ってやりたいのはやまやまなのだが、行きに半日では、丸一日費やしてしまう。
「では五人ほど選んで護衛に付けてやりましょう」
タリウトの提案を受け、ユキは女性に訳を説明して、護衛を残し先を急ぐ事にする。女性から次の機会には、ぜひ館にいらして下さいと言われ、その場を離れた。
馬を飛ばしていたバルク達三人は、コンスタンチノープルに着いた。
「モルダビアから来た船はいるか?」
「パルパテチオ号だ」
「モルダビアから来たばかりの船は何処だ?」
バルク達は港に来ると聞いて回った。港といっても広い範囲に何カ所も点在しているし、船は何隻も停泊している。中には沖に停泊したままなのもいる。どれがそうなのか分からない。何しろここは東西交通路の要所で、海路の要所でもある。
オスマン帝国がヴェネツィアと始めた、ダルダネス海峡を挟んだ戦いの影響がまだ続いている。ヴェネツィア艦隊による海上封鎖を受け、物流が滞り物価が高騰した首都コンスタンティノープルだ。暴動と反乱の危険にさらされている。港の雰囲気も殺伐として皆殺気立ち、人の質問にまともに答える者は居ない。
「くそ、これじゃあ分からんぞ」
「だがな、良い事もある」
バルクが自信を持って言った。
「何ですかそれは?」
「ダルダネスの海峡が封鎖されているって言ってるだろう」
「…………」
「という事は、ここから地中海には出て行けないって事だ」
ダルダネス海峡はボスポラス海峡と共に黒海から地中海に行く時は、必ず通らなくてはならない海峡だ。そこをヴェネツィア海軍が封鎖しているというのだ。
船はきっと近くに居る。じっくり探す事だ。バルク達はまた精力的に探し出した。
「マラトてのはあんたか?」
ついに船が見つかった。ユキの言っていた水夫も見つかり、事情を説明した。
「分かりました。協力しましょう」
船は確かに暴徒に襲われ乗っ取られたのだが、背後にはどうも貴族達の影がちらついているのだとマラトは言った。さらにここで買い手が見つからなければ、地中海に出ようとしたのだが、ヴェネツィア海軍が海峡を封鎖しているのでやはりすぐには動けないようだ。
「船乗りと襲って来た連中は何人だ?」
「船乗りは七十人で、武器を持って乗り込んで来た連中は二十人くらいです」
「全員船に居るのか?」
「はい」
結局三人で下手に乗り込んでもダメだろうと、仲間全員が来るのを待つことになった。
遅れてコンスタンチノープルに着いたユキはバルクから報告を聞くと、タリウトを見た。
「これは正攻法でいきなり乗り込むしかないでしょう」
「他にいい方法はなさそうですね」
タリウトの返事を聞き、ユキは水夫マラトに指示を出した。
「明日の朝早く乗り込みます。乗組員全員にその事を伝えておいて下さい」
「はい」
「但し、乗り込んだ暴徒の連中には知られないようにね」
「分かりました」
さらにユキはマラトに金貨を渡した。
「酒を買って帰りなさい。暴徒の連中にうまいこと言って飲ませるの」
翌朝早く、傭兵達とユキが船に乗り込んだ。うまい具合に酔いつぶれていた二十人ほどの暴徒は、あっけなく後ろ手に縛られ、船底に転がされる。
そして、ルーマニア人貴族の男が一人いた。
「貴方がリーダーね」
「…………」
「船を奪った盗賊行為です。モルダビアの法廷で裁かれるでしょう」
その男も他の暴徒と同じように後ろ手に縛られ、船底に転がされた。
「タリウトさん」
「はい」
「今から別行動で、ワラキアのカンタクジノ家の館に行って下さい」
あの時の夫人に会い、食料やその他の物資を調達する手助けを頼んで欲しいと言った。
「このコンスタンチノープルに輸出するのです」
「分かりました」
タリウトはユキと同じようにコンスタンチノープルの状況を見て、輸出すると言う言葉を聞き、その考えをすぐに理解した。
「では二十人ほど傭兵を貸して頂き、参ります」
「はい、そうして下さい」
ユキはタリウトに十分な金貨を渡す。
そして船は馬も積み込みワラキアに向かうのだが、その前に一度モルダビアに寄って様子を見る事にした。
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