第2話
デンマークについてからは、バスに乗りスウェーデンの国境を越えた。そして、スウェーデン領のマルメから再び列車に乗り換え、更に北上する。
彼女の目的地が何処なのか、はっきりとは訊いていないが、訊くつもりは無い。
目的地が明確になることで、彼女との旅に終りが見えてしまい、そのことで心から旅の経過を楽しむ事が出来なくなってしまうような気がするからだ。
このまま、彼女と終わりのない旅が続けられたらどんなに幸せだろうか、などと夢のようなことを考えてしまう。
私達が乗っている列車は、都市部を抜け、深い森を抜け、そして数キロにもわたる農村地帯に出た。車窓から望む景色は、一見、日本の田園風景のそれとよく似ていて、何処か安堵を覚えた。再び家屋の数が増え始める。都市が近いのかもしれない。
列車はまもなく、小さな地方都市で停車した。今日はここで一泊しよう。私が提案すると、彼女もそれに同意した。
列車を下りると、数百年前そのままの形を残した家々が迎えてくれた。石畳を歩く音にも、歴史を越えてきた風格を感じてしまう。いかにも古都という呼び名がふさわしい地方都市だ。このあたりの『格』が日本の城下町に良く似ている。
故郷と似た雰囲気。ヨーロッパ旅行を続けている中で、私が何度か感じた気持ちだ。
そのことを彼女に話すと、彼女は「あなたの故郷は遠いんでしょう? 寂しくはない?」とまるで自分のことのようにその長い睫毛を伏せ、表情を曇らせた。
「一人で旅行をしていたなら、確かに少し寂しいかもしれない。でも、この旅行はとても楽しいよ。君のような友人が一緒なのだから」
私が彼女に真顔でそう言うと、彼女は、小さく口を開いてくすっと笑った。
「でも、あなたの家族はあなたがいなくて寂しいんじゃないの?」
私は弱々しくかぶりを振って、彼女に微笑みかけた。
「いや、私には家族がいないんだよ。死んでしまった」
彼女は一瞬だけ目を見開いて、そのまま目を伏せて、小さく「ごめんなさい」と呟いた。
その後、ホテルにつくまで、私たちは言葉を交わさなかった。
私達は都市中心部にあるホテルに部屋を取った。もちろん、部屋は別々である。
部屋につくと、私はまずシャワーを浴び、列車に揺られての旅疲れを洗い流した。着替えをして、備え付けのビールで喉を潤していると、誰かがドアをノックした。開けるとそこには彼女が立っていて、散歩に行こうと誘われた。
ホテルのすぐ近くに古い聖堂がある。そこに行こうというのだ。
ホテルを出てすぐにその聖堂が視界に飛び込んできた。
二本の乳白色の尖塔が、聖堂の威厳を称えるようにそびえている。近づくと小さいながらも見事な彩色のステンドグラスが見て取れた。
重いゴシック式の扉を開けて中に入り目に入った光景に私は戦慄した。陽光を通したステンドグラスの輝きは、それこそ本当に神の使者の光臨を目の当たりにしているような美しさだった。
私がそれを「オーロラのようだ」と形容すると、彼女は「今の季節なら、ここから車で少し行ったところの丘から、本物のオーロラを見ることが出来るのよ」と微笑んだ。
「本当に?」
「今夜、その丘へ行ってみましょう。運が良かったら、オーロラを見ることが出来るかもしれない」
「オーロラか……。それは、夜まで待ちきれないね」
私たちはいったん宿に戻り、休憩をしてからその丘に行くことに決めた。
****************
「お客さん、ここで良いんですか?」
運転手が声をかける。私は朦朧とした意識で、「ああ、はい」と頷いた。
どうやら知らない間に眠ってしまっていたようだ。
運転手に運賃を払い、団地の中の自分の住むマンションに向かう。
マンションの長い廊下の天井には、点々と蛍光灯が続いている。そのうちのひとつが不規則に明滅して、今にも消えそうだ。そんな心細い明かりが、薄汚れた白い壁に私の影を淡くうつしだしている。私はなるべく足音を立てないように、それこそ影のように気を使って廊下を歩いた。
自宅のドアの前に立ち、ノブをゆっくりと回すが、案の定鍵がかかっていて開かない。私はいつもどおり音を立てないように鍵を開け、部屋に入った。
廊下の電気をつける。しかし、寝室の電気はつけない。
寝静まった妻と娘を起こすことは、禁忌だからだ。いつからそうなったのか知らないが、それは禁忌なのだ。
私は流れる水のように微かな音のみ残して、眠るための準備を始めた。
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