第4話
レイの唱えた「光魔法『回帰』」によりアレックスは王国から遥か西へと進んだところにある山村まで転移させられていた。アレックスは光の精霊の導きのままにその山村でひっそりと暮らした。
しかし、王都キャンベルの消失。それは世界的な大ニュースであり、ここ「ボルガン村」にも近郊の兵士からの伝令が数十年ぶりに来たほどだ。そして、そのニュースは王都キャンベルの消失を伝えると同時に大魔王の復活ならびに勇者の敗北を伝える最悪の知らせとなってしまった。
人々は深く悲しみにくれ世界の終わりに嘆いた。だが、そのニュースが知らせたのはそれだけではない。
勇者レイ・フーリンガンの奮戦。
全世界にその名を知らぬものはいないであろう大英雄が我ら人類のためにその身を、魂を犠牲にして大魔王に重大な痛手を与えたという事実。それは大魔王の侵略が緩やかであることが何よりの証拠であった。各地に散らばる魔物達はいまだにそのなりを潜め、大規模な争いに発展することはなかった。
この動きを察知した各国の長たちはいずれ来るであろう決戦の日に備えて着々と準備を進めていた。一般市民からの志願兵の募集や軍備の貯蓄、兵装の強化などなどやれることはいくらでもあった。
そして緩やかに、時は流れアレックスは故郷より遠く離れたここ「ボルガン村」にて十六歳の春を迎えることになった。
「アレックス! 今日は大事な日だろう。いつまで寝てるつもりなんだい!」
「ボルガン村」に唯一建てられた宿屋の一室、朝早くから女将のメーガンの怒声が村中に響き渡る。
「もう朝? おはよう。おばさん」
起き掛けの眠い目を擦りながらアレックスはベッドから起き上がる。そんなアレックスに構うことなくメーガンは手慣れた手つきで窓を開ける。窓から入ってくる朝の爽やかな風が心地よい。アレックスはふわぁーっと一つ大きなあくびをすると窓の外から差し込む陽の光に目を細める。
「おはようアレックス。ご飯の用意はとっくに済ませてあるからとっとと支度しな。あと、忘れちゃいないと思うが村のみんなに別れの挨拶をしてくるんだよ。後、くれぐれも村長に挨拶を忘れないようにね」
メーガンは一頻り言い終わると仕事が忙しいのか、そそくさとアレックスの部屋を後にした。
「そっか、今日でみんなともお別れか」
一人呟くと、食事が用意されているであろう食堂へと歩みを進める。
今日の朝食はトーストに目玉焼き、取れ立て野菜のサラダとミルク。いつも通りのメニューだが、アレックスはゆっくりと味わいながら食べた。腹ごしらえを済ませアレックスは足早に宿屋を後にした。向かうのは村長の家である。
道中、たくさんの人に声をかけられた。
「アレックス! 志願兵になるんだってな。頑張ってこいよ!」
「がんばれーアレックス!」
「お前にはまだ色々と手伝ってもらいたいことがあったんだがな、達者でな」
「まぁ、アレックスじゃない。昨日は水汲みありがとうね。おかげで子供の熱も下がって大助かりよ。気をつけて行ってくるのよ!」
農家のおじさんに近所の子供たち、よろず屋の夫婦。アレックスはこの「ボルガン村」でたくさんの人と触れ合い、寄り添ってきた。
「ありがとう。頑張ってくる!」
そして、小高い丘の上に建てられた大きな家。護衛の青年に挨拶を済ませたアレックスは村長の元に着いた。そして、片膝を付き頭を下げ胸の前で拳を合わせる。ボルガン村流の最敬礼の仕草である。髪は真っ白で背中はまんまる、目も耳も随分と悪くなっている村長はしわがれた声でアレックスに喋りかける。
「フォフォフォ……よく来たな、アレックス。ワシにもよく顔を見せてくれんか? 近くまで来ておくれ」
「はッ!」
返事は大きな声ではっきりと。アレックスは決して頭を高くすることなく村長の間近まで近づく。だが、正直に言うとアレックスはこのおじいさんとあまり話したことはなかった。それこそ初めて村を訪れたときにしばらくの間、村でお世話になることを報告した際に軽く話しただけであった。つまり、ほぼ初対面なのである。
村長はアレックスの顔を両手で掴みほとんど見えなくなっているはずの目を見開いた。
「ふむ、初めて会った時から随分と成長したようじゃな。あの時も力強い目をしておったが、今は溢れ出る闘志を感じるのう。お前さんはこれより何を為すために外の世界へ行くのかね」
「はい。俺はこれより『ラパーン城』へと向かい志願兵としていずれ来るであろう魔物たちとの戦いに身を費やします」
「フォフォフォ、本当にそれだけかの? ワシにはお前さんがその程度で満足できるような男には見えんのう。ワシはお前さんの瞳からは強い意志を感じる。そう、これはまるで何時ぞやで目にした強い光と同じ気配じゃ。一体どんな大望を持っているかは知らんが、どれ老い先短いじじいに聞かせてくれんかね?」
アレックスはその問いかけに少し驚いた。村では周囲の人たちには自分が勇者を目指しているということは隠していた。普段は村の人たちの手伝いをし、夜には宿屋を抜け出しては夜の山で日々特訓をしていた。ただひたすらにこの六年間で必死に強くなろうと努力を続けていた。
その中で一度、魔法という存在にも手を伸ばそうともしたが「ボルガン村」には魔法を使えるものは一人もいなかった。レイから譲り受けた光の精霊や光の魔法、その他勇者としての天性を磨くことができなかった。精霊もあの日のわずかな時間しか目にすることはできなかった。そのため、アレックスは公に勇者と呼ばれるようなものは何一つ手にすることはできていないのだ。
だからこそ、勇者を目指しているということをみんなに話すことを躊躇していた。
「そ、それは……」
「なんじゃ言いにくいことなのか? それとも何か悩み事があるなら旅立つ前に吐き出してしまうと良いぞ」
村長は優しい笑顔だった。そしてふと村長の笑顔がレイの笑顔と重なった。アレックスはそういえばレイは最後まで笑っていてくれたな、と思い至った。
(俺はどうだ? 勇者になるためにと自分に言い聞かせていつも忙しなく過ごし、おばさんやみんなと楽しく笑って過ごしていたか?)
アレックスは両手で思い切り自分の頬を叩いた。村長は驚いていたが気にしない。
(このままじゃダメだ。こんなのは俺の目指してる勇者じゃない。みんなに隠す程度の思いなら諦めてしまえばいいだろうが!)
アレックスは勢いよく立ち上がる。
「村長! 俺、勇者になりたいんだ。世界一の勇者に! でも、まだどうすればいいのか分かんなくて……それで……」
消え入りそうな声だった。自分の未熟さが恥ずかしくその弱さが出たのかもしれない。ただ、村長はそんなことを気にする様子はなかった。
「フォーフォッフォフォ! 若者は元気があっていいのう。して、勇者か。良い夢じゃ。今まで必死に努力して来たんじゃろうな。そのくらいのことはお前さんの目を見ればわかるわい」
村長は顎に生えた長い髭を触りながら続ける。
「人間は間違いを犯すものじゃ。その度に誤りを直し、強くなっていく。きっとお前さんは今、間違えないよう必死に生きているのじゃろう? それも間違いじゃない。だけども、間違えてもいいんじゃよ。そして、迷ったらみんなに助けを求めるんじゃ。そうすると案外あっさりと道は見えてくるものじゃよ」
「村長……」
アレックスがその言葉を噛み砕いて飲み込んでいる間に村長はよっこらしょと重い腰を上げると、アレックスが入って来た大扉を開け放った。
「何をしておる。早くこっちへ来んかい。みんな待っとるぞ」
「え? 村長、みんなって一体?」
「そんなのみんなに決まっておろう」
村長はニヒヒと歯抜けの口を大きく開けて無邪気に笑った。アレックスはよくわからないまま陽の差し込む出口に向かい鮮やかな装飾が施された幕を開けた。すると、途端に割れんばかりの歓声が巻き起こった。
「このねぼすけが勇者希望なんて百年早いんだよ! ちゃんと自分で起きれるようになってから言うんだね!」
「お、おばさん!?」
「私だけじゃないよ。『ボルガン村』の全員がお前の見送りに来てやってんだよ。感謝しなこの見習い勇者!」
そこには文字通りにみんながいたのだ。
「勇者が耕した畑で育てた野菜って言いふらすぞ! このヤロー!」
「ゆうしゃアレックスだー!」
「ゆうしゃ、ゆうしゃー!」
「今度から薬草とりを頼んだら高くついちまうか? 新米勇者!」
「少なくともあんたはもううちの子供の勇者だよ!」
「おじさんにチビどもにみんな!」
「フォフォフォ、みんなお前さんが頑張っておったことは知っておるよ。一人で宿屋を抜け出すのも夜の山に入っていくのもみんな知ってたんじゃよ」
我が村の門番は優秀なんじゃよ、と付け加えて村長は笑う。アレックスは恥ずかしくなって門番の青年を見る。彼は軽く会釈をするといい笑顔で笑っていた。
(くそ……こんなの反則だろ。こんなの……)
アレックスは何も言わずに清々しいほどに青い空を見上げる。その間も村のみんなはやいのやいのと騒ぎ立てる。
「くそおおおおおおお! こんなの嬉しいに決まってんだろう!」
アレックスはこの村に来てから一番とびきりの笑顔で叫んだ。
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