第2話

 ――その日の帰り道。二人はいつものように帰路についていると周囲の人々がざわざわし始めた。


「あれ、パレードってもう始まってる?」


「確かに凱旋通り(王城へと続く大通りのこと)だけどパレードは陽が落ちてからのはずだし、誰か喧嘩でもしてるんじゃ……」


 買い食いしているチキンを食べながら尋ねるアレックスにいつも通り呆れ顔のカインが答える。しかし、カインはその言葉を途中で詰まらせながら空を見上げていた。その様子に気づいたアレックスが釣られて空を見上げるとそこにあるはずの青空はなく、代わりに広がっていたのは黒い雲に覆われた暗黒の空。


「何だこりゃ……どうなってるんだ。おい、カイン! 何をそんなに呆けてやがる。よく分かんないけど急いで逃げるぞ!」


 アレックスに手をひかれたカインだが、足は言うことを聞いてくれず尻餅をついてしまった。反射的にアレックスが振り返るとそこには空を見上げたまま一点を指差すカインの姿と逃げ惑う人々の姿があった。


「アレックス……俺はもうだめだ。歩けないよ」


「はぁ? 何意味分かんないこと言ってるんだ。とにかくやばそうだから早くここから離れよう」


「……だって、お前あれ」


「あれって一体何が……」


 カインの指差す先、それを見るためにアレックスは顔をあげた。否、顔をあげてしまった。


「こんにちは、少年」


 そして、この怪物と目があってしまった。馬鹿でかい顔、先の尖った耳に垂れた鼻。猫みたいに釣り上がった目は爛々と暗闇に光る黄色をしていた。そして、何より特徴的だったのは銀髪のオールバックであるということ。そしてその姿は先程の勇者レイ・フーリンガンの英雄譚に出てきた大魔王フォルプトにそっくりであった。


 このお祭り騒ぎの大通りにおいてたくさんの人で賑わうはずの出店の数々は我先にと逃げ惑う人々の手によって見るも無残に荒らされていた。まだ陽が出ているはずの日中のお昼下がり、陽気な天気は厚い雲に覆われてしまいその鳴りを潜めている。


 ここに残されたのはアレックスとカインの二人だけ。それと大魔王フォルプト。フォルプトは先程までの化物じみた顔の大きさから一転、普通の人間と同じような姿をとると貴族が式典の際に着るような華美でフォーマルな装いでその場に一礼した。


「本日はお日柄もよく大変ご盛況なようですね。ニンゲンの子供さん」


 その綺麗に澄んでいて耳障りのいい声は二人の全身から冷や汗を流させる。それは圧倒的な恐怖故にであった。フォルプトの余裕な振る舞いとは異なり、声と雰囲気は一歩でも動けば殺すという様な恐ろしいまでの殺気を放っていたからであった。


「おやおや、意外にも冷静なものですね。伝承にある大魔王が目の前に出現したというのに泣き喚くこともなく、また背を見せることもしない。面白い子供たちです」


 そのときだった。アレックスはほんの少しの勇気を振り絞って大声で叫んだ。


「助けて! レイ・フーリンガン!」


 それを聞いたフォルプトは二人に冷たい笑みを浮かべた瞬間、鋭く伸びた両の手の爪で二人を突き刺した。


 しかし、どういうわけか二人からはその爪が届くまでの時間がとてもゆっくりなものに感じられた。そして、凱旋通りの床が、いや王都キャンベル全体が真っ白な輝きを放ち始めると二人の視界は白で覆われてしまった。


 そして、ガキンと硬い金属同士がぶつかる音が響くと二人の前には絵本で見た勇者の姿があった。金髪に真っ白な鎧と盾。そして、右手には絵本で見たものと全く同じの伝説の剣が握られていた。


「俺をお呼びかいおちびさん? とにかく俺が来たからにはもう安心しな。この国一番の勇敢な戦士、火の山に嵐の海、雷が降る空にだって困っている人がいれば駆けつける。勇者レイ・フーリンガンとは俺のこと! お前らは俺の後ろから離れるんじゃねぇぞ。必ず守ってやるからな」


「「勇者レイ!」」


 御伽噺の英雄と会えるなんて、二人はその奇跡に深く感謝をしていた。


 快活に笑って見せる英雄の姿は二人に眩しく映っていた。底なしの明るさに元気さ、暗闇の世界にある太陽のような男は二人に見せる笑顔とは裏腹にフォルプトに向ける瞳はギラギラとしていた。


「お前はいつまでも懲りないな、大魔王。百年ぶりの外の空気はどうだ?」


「やれやれ、百年ぶりなのは貴方も同じでしょうに。全く厄介な魔法を使うものです。そこまでして私に執着するとは貴方も懲りませんね。勇者――」


 フォルプトはそこで言葉を一度区切ると口元を邪悪に歪めた。


「いえ、もうただのでくの坊でしょうに」


「うるせぇ!」


 レイは勢いよく飛び出して剣を振るうがフォルプトは危なげなく回避をしている。


「ようやく会えたというのに釣れない人ですね。そんなに生き急いでいては人生も面白みに欠けてしまうでしょう」


「はっ! 大魔王が人生を語るとはこりゃ何か新しい冗談か? 腹が捩れて死んでしまうかもしれないな」


「おや、そんなつもりはなかったのですが、できればそのまま死んでほしいものです。とはいえ……」


 何度目かも分からない攻防の最中、先に動いたのは大魔王フォルプトであった。


「全盛期の貴方の力はこんなものではなかったはずです」


 フォルプトはレイの剣を片手で受け止めていた。


「へぇ、少しは戦い甲斐がありそうだな」


 レイはあっさりと剣を奪い返すと同時に攻撃を加え、お返しとばかりにフォルプトの手首を切り落として見せた。


「その程度でいい気になってもらっては困るのですが、少し本気を出すとしますか」


 フォルプトは体勢を低くして勢いよく突進をしてくると、手のない腕をレイにむけて突き出した。その瞬間切られたはずの手が突如として再生を始め、リーチが僅かに伸びる。しかし、そこは勇者、冷静に鋭い爪を剣で弾きダメージを負うことをなかった。


 一度離れて両者呼吸を整えるが、レイは冷や汗を流していた。以前ならばあれほどの再生力はなかった。切られた数秒後に再生を始めるなどあり得ない。もし、あれが無限に繰り返されるのであればレイに勝ち目はない――あるとするならば、それは一撃必殺のみ。


 しかし、以前よりも力を増した魔王。おそらく再生力だけでなく力、速さも以前とは段違いであると予想ができる。対して、レイは己の能力と比べて討つことができるかどうかを測る。


「軋む体に鞭を打って動かしてまで貴方が守りたいものなどすでにこの世を去っているでしょうに」


 そしてフォルプトは初めからレイなど見てなどいなかったのだ。だが、レイがそのことに気づいた時にはすでに遅かった。


「狙いはちびっこ共か!」


「貴方はまた守れずにこの世界を去るのですよ」


 フォルプトの手に握られていたのは黒の槍。それは地獄の雷を地上に権限させた破滅の雷槍である。


「闇魔法【黒槍一閃】」


 フォルプトの手を離れた雷は一直線上にあるもの全てを焼き尽くす。それはたとえ勇者であろうとも硬い城壁であろうとも何ら変わりはない。紙切れを燃やすかの如く一瞬で全てを破壊する破滅の一撃。

 凱旋通りに敷き詰められた石畳のタイルを蒸発させながら突き進む黒の雷は勇者レイ・フーリンガンとその背後に隠れているアレックスとカイン目掛けて放たれていた。


「そんなことさせるかよ。俺が生きている限り何度だって守る。何度だって戦う。何度だって立ち上がる。大魔王フォルプト、お前の好きな様になんて絶対にさせない。俺は勇者だ! 絶対に諦めることなく全てを守る! 力を貸してくれ光の精霊たちよ。たとえこの体が朽ちても構わない。だから今一度俺に希望を守るための盾を与えたまえ! 光魔法【極光聖盾】」


 レイは叫んだ。すると、彼らの前に眩い光を放つ巨大な盾が現れた。盾は槍を真正面に捉え、確実にその勢いに負けてなどいなかった。しかし、盾の後ろにいる彼らが無事ではあるがその周囲に広がっていた凱旋通りなどは逸らされた雷の衝撃で段々とその姿を変えていた。


「すごい! レイの魔法が大魔王の魔法を弱めてるよ」


「光魔法を扱う勇者レイは魔王の魔法を無力化する。本当だったんだ!」


「ふはははは! ちびっこ共よく知ってるな。お前ら名前は何て言うんだ?」


 アレックスとカインはレイが負けるなどとは一ミリたりとも思っていない。勇者は魔王に勝つ。そのことを当たり前の様に信じているからこそ、無邪気にこの状況を楽しんでいるのだ。レイもそのことは十分にわかっていた。勇者という名前を名乗り背負うからには敗北は許されない。常勝。それが求められているのだ。


「俺はアレックス! 将来の夢は勇者!」


「俺はカイン。将来の夢は……勇者だ」


「アレックスにカインか。いい名前だな。母ちゃんと父ちゃんに感謝を忘れるなよ。それに将来の夢は勇者ときたか! 悪くねぇ!」


 やはりレイはこんな状況でさえも快活に笑い自分の背中を追いかけてくるであろう少年たちに弱気を見せない。そして、辺りに響く轟音が過ぎ去り舞っていた土煙が収まると辺りの光景は一変していた。

 凱旋通りから王都キャンベルの大正門までフォルプトの放った魔法は一直線に焼き尽くしていた。特にレイたちの周辺は魔法の威力が分散されていたことから一面が焼け野原と化していた。そして、大魔王フォルプトは白亜の王城を背に悠然と構えていた。


「おやおや、まさかまだ生きているとは思いませんでした。とはいえすでに満身創痍と言ったところですかね。勇者レイ・フーリンガン」


 フォルプトは自分の服が汚れることを嫌っているのか、なかなかレイたちには近づいてこなかった。それでも、言葉は届く。


「「え?」」


 アレックスとカインの表情は驚愕に包まれた。

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