両雄伝

歩兵

第1話

 勇者。


 それは数多の神話で紡がれるような英雄から、今を生きる少年の心にまで受け継がれてきた特別な称号である。私たちはそれを当然のように享受しているが、勇者について深く考えたことがあるものは少ないはずだ。


 曰く、勇者とは諦めない心の持ち主。


 曰く、勇者とは勇気ある信念を胸に抱く者。


 曰く、勇者とは生来より魔王を討つという宿命を課せられた人間などなど。


 兼ねてより私たち日本人は勇者というものを独自に解釈し物語の主人公として紡いできた。そして、僕も、私も、あなたも憧れてきた。いつかこの物語の主人公、勇者として世界を救いたいと。


 この物語は勇者に憧れた少年が届かないとわかっている星に手を伸ばし並び立つまでの物語であり、勇者に憧れたが勇者になれなかった出来損ないの物語でもある。



   ■■■



『――世界は闇に包まれました。そのとき、強大な力を持った悪い魔王がお城の前へと姿を現しました。


「ぐへへへ、世界は俺様のものだ! だから、この国に住む一番美しい女をよこせ。早くしないと一人ずつ食べていってやるぞ!」』


 絵本を読み聞かせしているお姉さんは両手を爪のように見立てガオーッと叫びました。それだけでたくさんいる子供は泣きそうになってしまいます。お姉さんはその様子を見てニッコリと笑顔を浮かべると次のページに進みます。


『悪い魔王はそう言ってお城に住む王様を睨んでいます。さぁ、大変。王様は悩んでしまいます。この国で一番美しいのは王様の子供のお姫様です。くりくりとしたまん丸おめめに長いまつげ、サラサラのブロンドヘアー。お人形さんみたいに可愛いお姫様。王様は大好きな子供を悪い魔王にあげるなんてできません。しかし、悪い魔王は待ってくれません。


「もう我慢できない。一番最初はお前に決めた!」


 悪い魔王は近くにいた子供を見つけると大きな口を開けてかぶりつきます。


「誰か勇敢な戦士よ! 悪い魔王を退治してくれ!」』


 お姉さんは大袈裟に演技をしながら子供たちと一緒に勇敢な戦士の助けを呼びました。中には両手をしっかり合わせお祈りする子供もいます。お姉さんはそんな子供たちの一生懸命さを見るのが大好きなんでしょう。とびきりの笑顔でページをめくります。


『王様がそう叫んだときでした。物凄い光が国中を包み込みました。悪い魔王はたちまち目を塞ぎます。そして、魔王が目を開いたらそこには一人の男がいました。男は手に持った真っ白い剣を構えて叫びました。


「俺をお呼びかい王様? それとも君が呼んだのかな? とにかく俺が来たからにはもう安心しな。この国一番の勇敢な戦士、火の山に嵐の海、雷が降る空にだって困っている人がいれば駆けつける。勇者レイ・フーリンガンとは俺のこと! 俺がいない間に随分暴れてたようだが観念しな」』


「来た! レイ・フーリンガンだ! 魔王なんかやっつけちゃえ」


 この場面で一人の男の子が興奮を抑えきれず立ち上がって叫びました。子供は正直です。お姉さんもそのことをよく知っています。特にこの男の子は正義感が強くたびたび他の子と喧嘩をしてしまうことがある子です。いつもどこかに絆創膏をつけているほど元気な男の子なのでお姉さんもその子のことをよく知っています。


「もう、アレックス。いきなり大声を出したら他の子が驚いちゃうでしょ。それに静かにしててくれないとみんながお話聞こえないよ」


 お姉さんは手慣れた様子でアレックスのことを注意します。するとアレックスは少しぶすっとした表情をしましたが、すぐにはーいと、いい返事をして座りました。お話はもうクライマックスです。


『「ぐへへへ、何が勇者だ。俺様は大魔王フォリプトだぞ。貴様のような人間など一口でおしまいだ」


 悪い魔王は大口を開けて勇者レイにかぶりつきます。


「いいぜ。俺もとっておきを見せてやる」


 勇者レイは剣を構えると大魔王フォリプト目掛けて振り下ろしました。


「レイ・バスター!」


 勇者レイの攻撃は大魔王フォリプトを真っ二つに切り裂きました。大魔王フォリプトは怖い顔をしながら勇者レイを睨みつけます。


「や、やられた。しかし、俺様はまたいつか復活する。そのとき必ず貴様に仕返しをしてやるからな。覚えてろよ」


 そう言った大魔王は霧になって消えてしまいました。


「何度でもかかってきな。その度に俺が返り討ちにしてやるよ」


 大魔王フォリプトを倒した勇者レイはみんなの人気者です。王様も国とお姫様を助けてくれた勇者レイが大好きです。王様は勇者レイにたくさんのお金と美味しいご飯をあげました。そのあと勇者レイに一目惚れしたお姫様はレイと結婚して幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』


 お姉さんは昔話の定番文句で読み聞かせを締めるとしばらくの間、子供たちの様子を見ていました。興奮冷めやまないという子からお姫様に憧れる子に勇者に憧れる子。中には興味がなさそうに聞いていた子もみんなが物語の世界について純粋に思ったことを口に出しています。


 特にお姉さんが気になっていたのは元気いっぱいのアレックスといつも一緒にいるカインの二人です。



   ■■■



 アレックスとカインは幼なじみだ。アレックスの家とカインの家は隣同士で二人は同い年。当然、両親の年齢も近く家族ぐるみでの付き合いがあった。二人が暮らしているこの街は王都キャンベルという。

 王国の首都であるキャンベルはこの世界の中で最も人口が多い都市であり、豊かな水源と良質な土を国土に持ち安定した食料供給で諸外国との交易も多く発展した都市である。人々は王都キャンベルのことを人々の楽園、ユートピアに最も近いと形容している。


 当然、教育水準も高く五歳になった子供は全員が幼年学校へと通うことが定められている。現在彼らは十歳の春を迎え、幼年学校も卒業が近づいてきた頃である。先程の読み聞かせも幼年学校における歴史の授業の一環であった。

 特に今日は勇者が大魔王を倒したとされる日からちょうど百年が経った記念すべき日であった。今朝も二人の通学路である凱旋通り(王都キャンベルの大正門から王城まで続く大通り)では夜のパレードに向けてお祭り騒ぎとなっていた。


 そして先程の物語は単純な昔話などではなく実際にあった出来事の一つを擬えたものである。勇者レイ・フーリンガンの英雄譚。この国に住む人間ならば誰もが知っている物語の一つだ。これに心を躍らせた少年少女は数多くいる。アレックスとカインもそのうちの一人だ。


「おいカイン。俺は将来の夢を決めたぜ」


 読み聞かせが終わり幼年学校では給食の時間を迎えている。アレックスは大好物のカレーを口いっぱいに頬張り込んで喋る。一方でカインはカレーだけを器に盛るアレックスとは異なりサラダやスープなどバランスの取れた食事をゆっくりと味わっていた。


「はぁ。お前はいつもそうだよな。すぐ何かに影響を受けては将来の夢を変える。前の夢は何だったか思い出してみろ」


 サラダのプチトマトを口に含みながらカインは呆れ顔を浮かべながらアレックスとの食事を楽しむ。


「パン屋さん」


「理由は?」


「パン屋さんのお姉さんが可愛かったから!」


「で、今回の夢は?」


「勇者!」


 アレックスはスプーン片手に立ち上がり決めポーズをとった。それは先程の絵本に登場してきた勇者レイ・フーリンガンの絵にそっくりであるとカインは思った。


 そして、呆れてため息を吐き、スープを一口飲むと顔を顰めた。どうやら彼の好物であるパンプキンスープだと思っていたものがコーンスープであったようだ。別段苦手と言うわけではないが子供にとって好物のものがなくなった悲しみは大きいものだろう。カインは何も言わずアレックスの机にコーンスープを置く。


「それもう何回も聞いたんだけど、八回目くらいじゃない? アレックスはやっぱり勇者になりたいわけね」


「もちろんだ。そして、やはり盟友はカインお前しかいない!」


 盟友。勇者と共に魔王を倒したとされる仲間たちのことである。とはいえ先程、読み聞かされた勇者レイ・フーリンガンの英雄譚では盟友たちのことは語られていない。それはあの物語は様々なものに形を変えて語られているからである。


 絵本では勇者レイ・フーリンガンが一人で魔王を倒し、とある民謡では盟友たちと魔王を倒し、とある壁画では勇者と盟友の二人だけで魔王を倒す。いずれも描かれている勇者が金髪であり同様の剣を持っていることから学者たちの間では同一人物との見解が生まれている。


「その話も八回目。そして俺の答えもいつも一緒。お断り」


「何でだよぉー。俺たちなら勇者と盟友になれると思わないか?」


「第一なんで俺が盟友なんだよ。どうせなら俺に勇者をよこせ」


「ふふーん。それはできないんだな。なぜなら俺の髪色は金髪。対してカインは黒髪。勇者は金髪だと相場が決まってるんだよ。だからお前は盟友で俺が勇者!」


 鼻につく幼なじみの態度に対してもカインはため息を吐くばかりである。アレックスにとっては新たな発見だったとしてもカインにとってはすでに何回も繰り返されたやり取り。ため息が増えるのも頷ける。


「そんなにため息ばっかり吐いてると幸せが逃げるぜ?」


 アレックスはそんなカインの心情など気にも留めずに今日も暮らしている。これにはさすがのカインも頭にきたのかガンッとスプーンを机に置くとゆっくりと立ち上がりアレックスの近くまで移動した。


「はぁぁぁぁぁ……」


 大きく息を吐き出すカイン。瞬間、アレックスは本能で逃げ出そうとするがカインの方が先に動いた。


「ッせいやぁ!」


 カインの大振りの瓦割りがアレックスの頭を真っ二つに切り裂かんとばかりに襲い掛かった。もうだめだとアレックスは目を瞑りその瞬間を待つ。


 とはいえ、所詮は子供のじゃれあい。本人たちにはそう見えているかもしれないが大人から見るとそれは可愛いチョップでしかない。学級担任の先生がすかさずその手を食い止めた。


「はいはい。喧嘩はよくないよ」


 給食終了のチャイムが鳴り響いた。それはつまり……


「お昼休みだ!」


 アレックスは我先にと校庭へと飛び出していった。カインは先生に一礼すると、残っていたカレーを流し込みアレックスを追いかけて外に飛び出していった。

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