第7話 屋上の魔術師

 高田馬場――

 一見すると早稲田を中心とした大学や専門学校が集中する学生街だ。だが裏通りには、昭和臭が漂う老朽化した小規模ビルが時代に取り残されたように建ち、利便性の悪さから借り手もつかず、かといって再開発するには狭すぎる土地面積ということもあり、無人のまま放置されている幽霊物件がある不思議な街に変貌へんぼうする。


 筮竹とそろばんが弾き出した信二が危険に晒されているという場所は、そんな幽霊物件と化した七階建てのビルだった。


「古い建物ね……。昭和三〇年築?」


「あんたより新しいんじゃない?」


「私より年上のくせにティーンのフリして大学に行ってるあんたに言われたくないわ」


 美波みなみに指摘されてそれ以上なにも言えず、美星メイシンはペロッと舌を出して誤魔化した。

 美波は二〇代半ば――いっても二〇代前半程度の姿をしているが、美星は高校出たて程度の外見でしかない。だが、その言葉を信じるのなら、二人の年齢は六〇歳以上ということになるのだが――


「年齢で足の引っ張り合いをしても虚しいだけよね……」


「先にふっかけたのはどっちよ! ねえ、ミス・モリー」


 ブラウン・タビーの毛並みを持つノルウェージャンフォレストキャットのモリーは、仕方なさそうな顔をしてニャンとひと声だけ鳴いて応えた。


「さて、どうするかな……」


 窓ガラスは中の様子を窺うことなど出来そうもないほどに、長年の雨埃あまぼこりで汚れきっていた。


「どれだけ窓を拭いてないんだろ……」


 少なくとも一〇年は窓の掃除もしてなさそうなガラスの汚れを見て美波は顔をしかめ、美星は軽く跳んで二階の非常階段の手すりを掴み、その手がメチャクチャ汚れたことに嫌そうな顔を見せた。

 だが、すぐにその顔は真顔に戻った。

 非常階段の中央部分だけ、妙に汚れが落ちていることに気づいたためだ。


「いるね」


 美星は音もなく非常階段に降り立つと、身を屈めて階段の様子を窺った。金属製の非常階段は所々がびて穴があいており、かなり危険な状態だった。であるにもかかわらず、そこには無数のひっかき傷が残されていた。しかもその傷は真新しいものばかりだ。


「静かに追うよ……って、なんでずっと下にいるのさ」


 美星が足跡を調べている間、美波はモリーを腕に抱いたまま、ずっと彼女を見上げていた。


「あんたじゃないんだから、私は軽身功けいしんこうなんか使えないんだから、素で上がれるわけないでしょ」


 美波の答えにハア? と言うように美星は眉根まゆねを寄せた。

 確かにこの非常階段は地上に降りる部分は柵に覆われていて入ることができない。


「魔女ならホウキで飛びなさいよ! なんならデッキブラシがいい?」


「そんなものドコにあんのよ。バッカじゃないの? あんたが準備もさせずに引っ張り出したから、出来ることと出来ないことがいっぱいになっちゃってんのよ!」


 そう言いつつも、美波もこのままでいるわけにはいかない。腰のポーチの中を探り、ロードストーンとベニバナセンブリセントーリーのハーブ・エッセンスを詰めた小瓶を見つけた。


「無茶振りだけどやるしかないか」


 美波は天然磁石ロードストーンの粒を耳の耳甲介艇の溝に押し込み、ベニバセンブリセントーリーのエッセンスを口に含んだ。本来ならハーブティーなどにして味わうハーブの苦みが脳に染みる。そのエッセンスで潤った唾液を耳のロードストーンにこすりつける。すると――


「ホウキなくたって飛べんじゃん!」


「念じてる間、浮くだけよ。だから手伝って!」


 美波が差し出した手を美星はつかみ、非常階段に引寄せる。その感覚は、風船をつかんだように頼りない感覚だった。

 美波は苦いものを口にしたという様子で舌を出していたが、非常階段を上がれた以上、ここでムダに時間を浪費するわけにはいかない。

 美星は上の階の様子を窺いながら、階段を登ろうとした。しかし、美波はそんな美星のシャツを掴んで引き留めた。


「これを左前のベルトループにつけておいて。護身の御守りチャームよ」


 渡されたものは、爪楊枝ほどの小さな黒褐色の木の棒を、何本も束ねて麻紐あさひもで縛ったものだった。


「ありがと」


 効果がどんなものか、美波にたずねなくても美星には分かっていた。美波が無駄なものを渡すことなどないのだから。

 美星はそれを言われた通りに、左前のベルトループに結びつけてから、気配を殺して非常階段を再び登りはじめた。

 可能な限り音を立てず。可能な限り素早く。

 そして屋上に上がった瞬間――


「フルカス・バラム!」


 不可視の拳が飛来し、美星の胸部に直撃した。その直後、ベルトループに縛った先ほどの護身の御守りが砕け散った。

 美星は一切のダメージを受けていない。そのすべてを御守りが受け止めたのだ。


「てめえ!」


「なんと……北池袋のじゃじゃ馬と、ソロール・ディアーネだったか……」


 美星を攻撃したのは乾鏡三郎だった。彼の背後には、錆び付いた手すりに縛り付けられた信二がぐったりとして横たわっていた。

 それを見た美星は木剣を引抜き身構え、その後に続いて上がってきた美波も、隕鉄で作られた魔女の短剣――アサミィを引抜いた。

 いかに乾が高位の魔術師であったとしても、魔女と巫術師の二人を同時に迎え撃つのは難しいはず。しかし、乾は気にした様子もなく目線を横に逸らした。


「お前たちの敵は、そっちだ!」


 その叫びと羽ばたく気配に美星が目をやると、半ば腐りかけた鳥が腐臭ふしゅうを放ちながらその蹴爪けづめを彼女に向けて降下する姿が飛び込んできた。


「なっ!?」


「フルカス・バラム!」


 そして再び放たれた乾のアストラル・パンチが、その腐鳥ふちょうを弾き飛ばした。


「お前たちの敵は私ではなく、今は周りを囲む呪物じゅぶつどもだ!」


 乾の言葉通り、ビルの上空には何羽もの腐鳥たちの姿があり、それらは旋回しながら攻撃のチャンスを伺っていた。

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