第5話 3人目の術者

 会社から帰宅途中、信二は昨日の化蛇ファシェアとの遭遇が夢だったのじゃないかと思い、スーツの内ポケットに入れた赤い小袋アミュレットを出して撫で、あれが現実だった事を再確認していた。

 その赤い小袋アミュレットは、美波が作ってくれた御守りだった。

 撫でるたびに独特の甘い香りがして、ウイキョウというハーブのようなものが入っていると説明された。

 こんなものがなんの役に立つのか?

 たぶん、あの化蛇を倒す現場を見ていなければ、信二も鼻で笑ってしまっていただろう。だけど、得体の知れない犬と化蛇の呪いを見せられては、笑うことなどできはしなかった。


「どうなっちゃうんだ……俺?」


 思わずそう呟いた時、目の前に鋭い眼差しの老人が姿を見せて驚き立ち止まった。


「失礼。後藤信二さんですな?」


「なんで……俺の名前を……」


 白髪の長い髪をオールバックにまとめて、後ろでひとつにまとめた老人。年齢は七〇代か八〇代にも見えるが、その背筋はしっかりと伸びて壮年男性を思わせた。

 なによりもその鋭い眼差しは、人を人とも思っていないような冷たいものを感じさせる。


 ――絶対にヤバイ奴だ……。


 あわててきびすを返して信二は逃げだそうとしたが、老人はいつの間にか回り込んでいて信二の行く手を阻んだ。


「安心したまえ。私はキミの味方だ……」


「どうやってそれを証明する?」


 見ず知らずの怪しい老人に味方だと言われて、はいそうですかと信じられるほど信二はお人好しじゃない。少なくとも二度も怪しげな呪いと遭遇しているのだから、怪しい奴を避けようとするくらいの頭はあった。


「どうやって……かね? そうだな……」


 老人は辺りを見回し、そらとビルとビルの隙間を指さした。


が見えるかね?」


 信二はおそるおそる指し示された隙間に目を向けた。そこには、また得体の知れない二足歩行の怪物が立っており、こちらを覗き見ていた。

 それは青黒い金属質でありながら、まるで両生類のようにぬめ光る肌を持つ奇怪な存在だった。爛々と赤く輝く目と頬まで裂けた蛇を思わすような口を持ち、犬のような犬歯を持つ。


「どうやら、キミの持っている呪いまじない袋が効果を発揮しているようだな」


「これ……が?」


 信二は美波にもらった御守りに目を落とし、それをぎゅっと握りしめた。


「フェンネルの香り……〝エルフのまじない〟か……。確かに防御するには適しているが、それでは身を護ることしかできんよ」


 老人はそう告げると、仕立てのいいスーツのポケットから柔らかそうな黒革の手袋を取り出して手にはめた。その手の甲には、左に六芒星、右に五芒星が銀糸で刺繍されていた。


「コボルドか……。金属を腐らせる程度の魔物をよこすなど、ネタでも尽きているのかね?」


 そう言うがいなや、老人はザッと音を立てて脚を開いて、低く身構えて身体を捻るや、腰だめに拳を構え、正拳突きをするように勢いよく突き出した。


「フルカス・バラム!」


 それは目に見えなかった。だが、信二には感じられた。

 目に見えないなにかが空気を切り裂いて老人の拳から放たれ、その怪物――コボルドを殴り飛ばした。


「いったい……なにを?」


 この老人も美星メイシンの同類だ。そう信二は確信していたが、訊かずにはいられなかった。


「アストラル・パンチという簡単な魔術の一種だよ」


「グギギギ……」


「魂に傷をつけられたのにまだ生きているか……。存外、しぶといものだな。フルカス・バラム!」


 路地裏で身悶えしつつ、なんとか立ち上がろうして呻き声をもらしたコボルドに、老人は眉ひとつ動かさずにもう一度『アストラル・パンチ』の魔術を放ち息絶えさせた。


「あれもまた、キミを呪う者が呼び出した魔物だ」


「な、なんで俺が……」


「キミが中々死なないものだから、焦れて色々な呪術師に依頼をしているのだろうな」


 どうしてそこまで付け狙われなければならないのか、信二には理由が分からなかった。

 会社にいる人間が、信二のことを殺したいと願っている。そう美星メイシンは言っていた。だから即日中に呪詛じゅそを仕掛けてきたのだと。

 だが、どうしてそんなに呪われなければいけないのか、原因が分からない。


「どうして俺ばかりが呪われるんですか?」


「知らぬな。存外、人とは知らぬ間に恨みを買い、知らぬ間に呪われてしまうものだ。理由など、呪った本人にしか分からない」


 それは正論だが、呪われる身としてはなんとかしてその原因を突き止めて呪詛を回避したい。


「あなたは誰なんです? なんで俺を助けてくれたんですか?」


「私かね? 私は乾鏡三郎。〈7=4〉セブン・フォー魔術師ウィザードで、O∴S∴T∴――銀の黄昏会たそがれかい主宰しゅさいだ」


 また訳の分からない名前が出てきて、信二の頭は混乱しはじめた。

 魔術師、魔女、巫術師ふじゅつし。全部ゲームの中の世界にしか存在しない職業じゃないのかとまで思った。


「なんで……俺に?」


「私は魔術的興味からキミを訪ねたにすぎんよ。北池袋の跳ねっ返りが化蛇かだを倒した術を見たね」


「え? ええ……」


 北池袋の跳ねっ返りというのが誰を指した言葉か、一瞬、信二は戸惑ったが、それに該当しそうな人間は美星メイシン一人しかいなかった。


「どのような術を使ったのか教えて欲しい。また、キミを呪う相手に興味があるのだよ。故にキミを訪ねたのだ」


 老人――乾は左手を軽く泳がせるような素振りを見せながら、そう話を切り出してきた。その手の動きを見ているだけで信二はとても落ち着いてくる気分になり、この乾がとても頼りになる自分の祖父のような存在に思えてきた。


「さあ、知っている限りのことを教えてくれたまえ。


 乾の口元に浮かんでいた冷たい笑み。だが、なぜか信二には、それがとても温かみがあり頼りがいのある笑みに感じてならなかった。

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