休日⑤
どうにか寝ることに成功した俺が次に目を覚ましたのは床の上だった。
「……」
ソファの背に沿うように寝ていたはずなのにいつの間にか床に落ちていた。単純に俺の寝相が悪いのか、伊織のせいかは分からない。
「!……う……!うっ……あ……」
冷たい床で横になっていた俺のみぞおちにちょうど寝返りを打った伊織の肘が落ちてきた。
ソファから落ちた伊織を放置し、芋虫のように床を這う。体の芯から響いてくる痛みに吐き気すら覚えた。
這うこと五分。痛みがある程度引いたので腹を抑えながら立ち上がり、へそを出しながら寝ている伊織をソファに戻し、顔を洗いに洗面台に向かう。桶に余っていた水で顔を洗いバスタオルで拭く。
「十時か……」
ソファのふちから落ちていたスマホを拾い時間を見る。時刻は十時を過ぎた頃、四、五時間ほどしか寝ていないため寝足りなさを感じるが、一度起きてしまったため眠気が来るのは当分先だろう。
「んん……」
ソファで寝ていた伊織が苦しそうにタオルケットを蹴り飛ばし身を捩った。
「こんな所で寝るからだよ」
止まらない汗を手で拭いながら伊織をお姫様抱っこで部屋に運ぶ。扉を開けることに難儀したものの無事ベットに寝かし、ついで涼む。
ああ~、生き返る~。
「朝食作るかー」
満足したところで朝食作りに取り掛かる。と言っても簡単なものだが。冷蔵庫の奥に眠っていたいつのか分からないそうめんを沸騰したお湯の中にぶち込む。
麺は腐ることが無いと思うから、たぶん食えるだろう。という安易な考えの元茹でること数十分。ザルにあけ、氷水で満たしたボウルに付け軽く揉む。
気持ち早く冷える気がする。
「いただきます」
十分に冷えたら家にある一番大きな皿に盛り、めんつゆを用意し手を合わせる。口に入れる直前少し躊躇したが匂い味ともに問題は無かった。
腹を壊さなかったら完璧だ。
「……起きたか」
乱雑に開かれた扉の音とリビングに近付いてくる足音で食器を洗っている手を止める。
「おはよう。思ったより早かったな」
「っ!……起きたらいなくて……。怖くなって……っ……!」
リビングの扉を開けた伊織は一直線に抱き着いてきた。夢のトラウマはまだ残っているようだ。
胸元に顔を埋め泣き出した伊織の頭を撫でる。
「寝ずらそうだったからな。……飯食うか?」
「……」
伊織は頷いた。
「準備するから顔を洗ってこい」
「うむ……」
撫でていた手を止め戸棚から伊織分の食器を取り出す。
「あ……めんつゆの賞味期限切れてた……」
ま、いっか。
「いただきます」
「美味しいか?」
「うむ……」
だろうな。
「それは良かった。……ところで近くない?」
「うむ……」
伊織が箸を動かすたびに肘同士が当たる。ほぼゼロ距離。
「食べづらいだろ移動するな」
「……」
箸で服掴まれたんですが……。
「ここにいて」
伊織の小声にドキリとしかけた。
「……はい」
上げた腰を下ろす。
「……」
「……」
二人の間に会話はない。しかし、それを悪いとは思わなかった。
「先に部屋に行っててくれ。食器洗ったらすぐ行く」
「……」
伊織は服の裾を掴みながらフルフルと首を横に振った。
「約束は守るから。な?」
「……」
伊織は頷き指切りをするとリビングを出ていった。俺に抱き着いた辺りから伊織はずっとあんな調子で俺のそばを離れようとはせず、幼児退行をしているようにも見える。
ここで香織さんのとある言葉を思い出した。
『あんな思いはもう二度とさせたく無いからね』
あの言葉がどういう意味を持っていたのかは分からないが、ただ一つ伊織は失うことを極端に嫌がっているということだけは分かる。
過去に何があったか聞きたいことは沢山あるが、友達として話してくれるまで待つことにしよう。
今の俺にできることはそれだけだから。
「……遅い」
ガチャリという音に目を向けると頬を膨らませた伊織が立っていた。時間を見ると十分近くが経過しており、いつの間にか食器は洗い場からなくなっていた。
「噓つき……」
「悪い。今行く」
タオルで手を拭き差し出してきた手を取り部屋に向かう。
「見る……」
部屋に入った俺に伊織がDVDを渡してきた。怖いと噂のホラー映画だった。
「はいはい」
ディスクを入れカーテンを閉め切り部屋の電気を消す。
「ここがいい」
伊織は胡坐をかいていた上にすっぽりとハマる形で座り、胸に体を預けてきた。
「見えねぇ……」
そのせいで視界の七割が伊織の後頭部が占めている。あとなんかいい匂いする。
「……」
「……」
終始震えている伊織とほぼ何も見えない俺は二時間を何のために消費したのだろう。
伊織が驚くたびに俺の顎に脳天が直撃していたので痛かったです。
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