落ち着く匂い

「「ごちそうさまでした」」


豪華な夕食を終え、使った食器を洗い場に落としていく。

今の俺に最低限出来る事はこれだけだ。


「おっ、気が利くねぇ。ありがとう」


香織さんは缶ビールを一口啜る。


「夕食をごちそうになったんでこれくらいはしないと」


「水瀬くんはほんと良い子だね〜、伊織にも見習って欲しいものだよ」


香織さんは俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、おっさん臭く笑う。


「むっ、それはどういう事なのだ!私だってそれくらい出来るぞ!」


俺に対抗するように御本も使った食器を洗い場に雑に落とす。


「おー、偉いねー」


香織さんは棒読みで御本を褒めた。


「ふふんっ!どうだ水瀬!私も偉いだろう!褒めても良いんだぞ!」


御本は得意げに鼻を鳴らした。


「御本は凄いなぁ」


香織さん同様に若干棒読み気味に褒める。


「それだけか?」


御本の言葉にハテナが生まれる。


御本の方に視線をやると何かを待っているように俺を見ていた。

テレパシー使いではない俺には御本の望むことは分からない。


「撫でるんだよ」


香織さんの耳打ちで理解する。


「御本は偉いなぁ」


先程よりもできるだけ感情を乗せて御本を褒めながら頭を撫でる。

よく手入れがされているのかふわっとした髪質は撫で心地抜群で癖になりそうだ。


「ふふ、そうだろう。もっと褒めても良いんだぞ」


御本の言葉に応じるようにさらに撫でる。


「んん〜」


御本は気持ちの良さそうな声を出しながら目を細めた。

しばらく撫でて続けた所で御本がストップを掛けたので頭から手を離す。

御本は心底満足そうに笑っていた。


「それじゃあ。この辺で失礼します」


帰り支度を済ましバッグを横脇に抱え玄関に向かう。


「もう帰るのかい?」


「ええっ、夕食ありがとうございました」


「気を付けて帰るんだよ」


「水瀬また明日な!」


御本のバイバイに短く返し御本家を後にする。


御本の家を後にし、ボヤけた視界のまま歩き出す。


ゴチンッ!


直後電柱に頭をぶつけた。


「痛い……」


「大丈夫かい?」


ぶつけた箇所を撫でていると香織さんが近付いて来た。

まだ家の中に入っていなかったようだ。


「もしかして、前見えて無いのかい?」


香織さんの的を射ている質問に「はい……」と答える。


「そういう事は早く言って欲しかったね。伊織!」


香織さんは半ば呆れ口調で御本を呼んだ。


「何なのだ?」


湯気の立ち込めるマグカップを持った御本が出て来た。


「水瀬くんを家まで送ってやってくれ」


「うむ!了解なのだ!」


言うが早いが御本は家の中にマグカップを置きに帰って行った。


「準備は万端だ!帰るぞ水瀬!」


やけに張り切っている御本に手を引かれ歩き出す。

香織さんへの感謝は忘れていない。


「ふんふんふん、ふん」


鼻歌を歌いながら上機嫌に歌う御本と横並びに歩きながら静寂に包まれた住宅街を歩く。


「手を繋ぐ必要は無いんじゃないか?」


「水瀬が離れ無いようにするためだ!」


恋人繋ぎの理由が実に子供扱いな事に心でツッコミを入れながら、たまにはこんなのも悪くないと思ってしまう。


「着とけ」


寒そうに白い息を吐いている御本に着ていたブレザーを掛ける。

そんな薄着で来るからだ。


「ありがたいが、寒くないか?」


「お前の方が寒そうだろ。着とけ。風邪なんか引かれたら困る」


「そうか、ふふ。水瀬はやはり優しいな……。……水瀬の匂いがする」


ブレザーを羽織り裾の匂いを嗅ぐ御本に恥ずかしさから顔が赤くなる。


「臭いだろ。やめとけ」


恥ずかしさを紛らわすため自虐する。


「そんな事は無い。むしろ、落ち着く匂いだ」


恥ずかしげも無くそんな事を言う御本に赤面が止まらない。

街頭に照らされた御本が不思議と可愛く見えてくる。


「どうした水瀬。顔が赤いぞ?風邪か?」


「そんな訳……。!」


御本に背を向けている事を指摘された俺はすぐさま御本の方に向き直る。

直後、目の前にあったのは御本の顔だった。

陶器のようにどこまでも白い肌。芸術品のように整った顔立ち。長いまつ毛にぱっちりと開いた瞳。俺が気付きたく無かった事実が視界に広がっており、その全てが俺の心を奪い。惑わした。

額に伝わるのは御本の微かに暖かい体温、嗅ぎなれた御本の匂いは俺を更なる混乱に陥れる。

情報過多により脳がショートし氷漬けにされたようにその場に固まる。


「熱は無いようだが……体調管理には気を付けるんだぞ!」


「……あ、ああ」


数秒遅れで反応した俺に御本は不思議そうな視線を向けたが、俺の「早く帰ろう」と言う言葉を聞いて手を繋いだまま歩き出す。


俺は気付きたくは無い。気付いたらいつもの俺は出せない。御本に挨拶されただけで胸が高鳴り、きっとまともに会話なんて出来なくなる。

気付いちゃ……ダメなんだ……。


俺は御本と友達以上恋人未満の関係を続けたいんだ。この距離感が一番互いに心地良いのだから、よそよそしい互いに気を遣うようなそんな関係は望んでいない。

俺がこの一年排除していた感情が暴れ出した。

御本は自他ともに認める美少女だ。本人にその自覚があるかは知らないが、少なくとも俺は気付いている。

だからこそ。知らないふりをしよう。


認めたら俺は御本と友達で居られなくなる。


「道はこっちであっているのか?」


「ああ」


御本に手を引かれ自宅まで案内する。


「ここまででいいぞ」


毎朝御本と待ち合わせている曲がり角に着き、御本の手を離す。

ここから自宅までは一直線であり、ぶつかるような障害物も無い。

つまり、今の俺でも安全に帰れるのだ。


「ダメだ!」


御本は明らかな拒絶を見せる。


「もし事件に巻き込まれたらどうするのだ!?それに、今の私には水瀬を安全に家まで送ると言う使命がある!それを疎かにする訳には行かない!」


それっぽい理屈を語っているが、ただ俺の家に行きたいだけにしか聞こえない。

自意識過剰では無い。


「大丈夫だって、心配し過ぎだ」


感謝の意を込め御本の頭を撫でてから歩き出す。


「私では不満か?」


俯き気味の顔を上げた御本の顔には薄らと涙が溜まっていた。


「そういう訳では……」


「なら、良いでは無いか!私は水瀬が心配なだけだ!」


困った。そう言われると言い返せない自分がいる。

しかし、夜も遅い時間だ。これ以上御本に時間を使わせて帰りが遅くなるのはこちらとしても落ち着かない。

もし帰りに御本が襲われたらと思うと気が気ではない。


「夜も遅いし、これ以上遅くなると香織さんが心配するだろ」


「それでも、私は心配なのだ!」


尚も引かない御本に困り果てる。


「分かった。悪いけど送ってくれないか?」


結果的に俺は折れた。


郷に入って郷に従えという訳では無いが、意地を張っている今の御本に勝てる手段が見つからなかった。


「うむ!最初からそう素直になっていれば良いのだ!早く帰るぞ!」


一転し上機嫌になった御本に手を引かれ見慣れた道を歩く。

握った御本の手が冷えている事に気付き、家に帰ったら温かい物でも上げるかと思うと同時に御本の頑固さに呆れる俺だった。

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