恋人繋ぎ

「水瀬!これ」


「ああ、ありがとう」


 ベンチに座っている俺に御本が缶のココアを差し出してきたのでありがたく受け取る。

 指先が冷えている今、温かい飲み物は本当に助かる。


「頬大丈夫か?」


 俺と同じ缶のココアを飲みながら隣に座った御本がそう聞いてきた。


「痛いけど、別にって感じだな」


「少し触るぞ」


 御本のひんやりとした指が頬に触れる。


「ッ!いたっ」


「わ、悪い……!」


 我慢の許容を超えた痛みが広がる。


「冷やした方がよさそうだな。少し待っててくれ!」


 そう言い残い御本はどこかに向かった。


 男たちとの対峙から約数分。全くと言っていいほど痛みが引く様子はなく、ずっと虫歯があるようなそんな気持ち悪さがいまだに残っている。

 殴られた時のことを思い出す。


御本に拳が振るわれる直前、俺の頭を埋めつくしたのは想像したくもないような光景ばかり、俺の前から、記憶から、隣から、御本が消えるような、そんな不安感に襲われた。

 普段であればもっと冷静を保てていたはずなのに、あの時だけはそんな冷静さもなりを潜めていた。

 気付いた時には走り出しており、そして殴られた。火事場の馬鹿力というのが働いたのか倒れはしなかった物の痛みだけははっきりと伝わってきた。

 殴られた頬に手を置く。痛い。


「あんなに怒るなんてな……」

 

 御本と関わっていたことで沸点が低くなっていると思っていたのだが、あんな単純な出来事であそこまで怒るとは、自分でも想定外だ。

 御本が傷つくと思った瞬間、腹の底から出た感情。怒りと明確な殺意だった。


 あそこで引いてくれてよかった。突っかかってくようだったら何をしでかしていたか分からない。

 自分が怖い。


「お待たせだ!」


 顔を上げると水滴の落ちているハンカチを片手に持った御本がボヤっと見えた。


「痛いと思うが我慢してくれ」


 濡れたハンカチの冷たい感触が頬を伝う。御本が優しくハンカチを押し付けていても痛みは現れる。

 痛みと冷たさの板挟みの出来上がりだ。


「あくまでこれは応急処置だ。痛みが引かないようなら病院に行くしかない」


「分かった」


 プルルルル!!!


 不意に御本のスマホが鳴る。

 

「わ、悪い!」


 御本は着信を切った。


「いいのか」


「今は水瀬の方が心配だ」


「そっか」


 プルルルル!!!


ピッ!


 プルルルル!!!


 ピッ!


プルルルル!!!


 ピッ!


「出てやれよ」


「別に大丈夫なのだ!」


 どこが大丈夫なのか。


 プルルルル!


「自分でも出来るから出てやれ」


「しかし……」


「大丈夫だから」


「水瀬がそう言うなら……」

 

 御本はしぶしぶといった様子で応答する。


「今何時だと思ってんの!!!門限はとっくに過ぎてるわよ!!!今どこにいるの!!!早く帰って来なさい!!!」


 スマホから聞こえるのは女性の怒り狂った声。


 御本は目頭に涙を溜めすがるような視線を向けてくる。


 事情も状況も分からない俺は肩をすくめるだけ、御本は恐る恐るスマホを耳に当てる。


 数分後。


 電話が終わったのか御本はこちらに歩いてた。そして手に持っていたスマホを俺に差し出した


「えっ……」


「事情を説明したら、変われって……」


 えぇ……。御本の泣き顔を見た後だった俺はスマホを取るのを躊躇った。


「もしもし……」


 が結果的には受け取った。


「あなたが水瀬くんね」


 女性はさっきとは売って変わって穏やかな口調だった。


「そうですけど……。何で俺の名前を……」


 最初に出た疑問はそれだった。


「伊織がいつも君の話をしているからね。伊織と友達でいてくれてありがとう」


 唐突の感謝の言葉に動揺と困惑が隠せない。


「感謝するのは俺の方ですよ」


「おっ!ガチ恋かい?ガチ恋なのかい?」


 見なくともわかるきっと画面奥の女性はニヤニヤしていることだろう。


「これからも伊織をよろしくね。少し、いやだいぶ奇行が目立つ子だけど、悪い子では無いからさ。周りが伊織の敵になっても君だけは味方でいてあげて欲しいな」


「あんな思いはもう二度とさせたく無いからね」女性はそう付け足した。


「それってどういう……」


「そういえばけがをしているらしいね。話は伊織から全部聞いたよ。湿布とか貼ってあげるから今から家に来なさい。それじゃあ待っているからねー」


「あ、ちょ。切れた……」


 電話は一方的に切られた。


「電話は終わったか?」


「ああ」


「そうか、では帰るか!」


「そうだな」


 飲み終わった缶を近くのゴミ箱に捨てる。


 と、俺はここで重大な問題に気が付いた。メガネが割れているということだ。


 そもそも、俺がメガネをかけているのは持ち前の目付きの悪さを隠すため、ともう一つの理由がある。

 視力のカバーである。いつからだったか、視力が落ちた。


 それゆえメガネが無いと視界がぼやけてまともに歩けない。


 男たちのせいでメガネが壊れた今、満足に歩けるとはとても思えない。


 仕方ないか……。


「御本!」


「ん?どうしたのだ?」


「手。握ってくれないか」


「えっ……!そ、それって……どういうことなの……だ……?」


「メガネが無くてまともに歩けないんだ」


「そ、そういうことか!分かったのだ!」


 御本は興奮した様子で俺の手を取った。


「何か嬉しそうだな?」


「そう見えるか?」


 はずんだ声。隠しきれていない。


「家に着くまで絶対に離さないのだ!」

 

 俺には御本が嬉しそうにしている理由が分からなかった。

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