2021-03-27
安心が欲しい。
これまで生きてきた期間と云うものは、
実に不安定で埋め尽くされてきた。
俺は安心が欲しい。
だが、心底哀しことに、生きることとは、常に不安と隣り合わせだ。
生きている限り、安定と云う状況に嵌ることは殆どない。
未来がある限り、不安は消えてはくれない。
それが判らなかったから、努力をすれば安心が見える気がしていた。
この不安定から遠い場所に身を置けると思っていた。
そんなのは嘘だった。
不安の先に待っているのは不安だ。
安心は、至極一時的なものでしかない。
1日やそこらで消え去るような、陽炎のように不安定なものだ。
全く皮肉なことだが、安定とはとても不安定なものだ。
安心とは安心できないものだ。
きっと、人間は不安のない中では先に進めないのだろう。
だから、人生にはきっと不安があったほうがいい。
安心で満たされた人生は、それはもう殆ど死と等しいものではないだろうか。
それでも、不安とはこんなにも生きることにおいて辛いものだ。
ふと、「安心」と「死」はかなり近いものではないかと思う。
死が安心なのではなく、人間の生命活動は、殆ど安心を得るために使われ、
万巻の安心を得た状態では、これ以上生きる必要が感ぜられないのではないかと思う。
どちらかというと、死ではなく大往生といったところか。
よく、人間は死ぬために生きているとか云われるが、
それもあながち間違いではないのかも知れぬ。
人間は安心を得るために生き、安心を得て死ぬのだ。
安心のない死など、それはもう死とは言えない。
なんて、よく分からないことを考えていた。
最近、精神が弱っている。
突き詰めて考えることが出来なくなってきた。
安きに流れるようになってきた。
そんなことではいけないと思うのだが、
利己的にならなければやりきれない不安定だ。
死にたいが、まだ死ぬ時ではないと感じる。
そうならば、一体死ぬ時とは何時なんだ?
面倒臭いから、さっさと死んでしまえばいい。
俺もあんたらも、そんなに価値なんてない人間なんだから。
こんなところで燻っている時点で、負け犬もいいところだ。
安定も不安定も、人生も月明かりも何も要らないから、
ここで全て投げ捨てて死んで仕舞えばいい。
こんな後ろ向きの発言なんて、何の意味もない。
誰からも必要とされる筈がない。
人生に潰されて、思い出を漁るだけの日々だ。
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