2021-02-11
人生において、迷いなく幸せを探究することは、
其んなに善いことなのだろうか。
そんなに幸せを望んで、一体何になると言うのだろうか。
煌びやかな君達は、絢爛な身形をした君達は、
幸せであることがとても重要な様だ。
幸せな状態は、一体どんなものなのだろう。
俺は、幸せになることは、他人に迷惑を掛け、
そのことを正当化できる自尊心を手に入れることと大差ないと思う。
SNSには、様々な自尊心向上のためのTipsが溢れている。
自分の嫌いなことは、やらなくてよい。
自分の嫌いな人とは、関わらなくてよい。
自分の思想には、正義がある。
自分は、十分に頑張って居る。
そんなことを間に受けた馬鹿共が、今日も他人を蹴落としながら生きている。
この大っぴらな自己肯定と他者否定の波は、
幸せになりたい人間の悪意を、大きく増長させている。
少なくとも日本では、全ての人間が幸せになるべきだと云う
建前が蔓延している。
その建前に乗じて、あらゆる行動や我儘を正当化しようとする連中が居る。
まあ、マジョリティとなった我儘が「正義」と名乗るのは世の常なので、
別に取り立てて悩むことではないのかもしれないが。
ただ、そういう連中の言い分は非道いもので、
番を隷属させようという魂胆があるのかと推察してしまうほどだ。
そしてその我儘が全て正義となって罷り通った状態が、
君達の幸せということなのだ。
だから、君達の用いるところの幸せという言葉が嫌いだ。
俺にだって、心を波立たせることが極力少ない場所に身を置きたい
という欲求はある。
だが、その欲求を幸せと名付けて主張したくないのだ。
君達の考え方が嫌いだから、君達からなるべく遠い思考に縋りたいのだ。
その思考が美しいと思えるようになりたいのだ。
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