2020-12-18

人間として生まれてしまった以上、なぜ生きているかを語れるまで追及すべきだ。


人間というのは、他の生物と比べて圧倒的な知性を持っている。

そんな生物の生きる理由が、「本能だから」ではあまりに滑稽千万。


だからこそ、人生において固執することが、人間に依ってはならないと思う。

人間と関わることが好きだと言う奴が嫌いなのは、俺がこう考えるからだ。

人間に固執していては、人間を通した価値観しか生まれない。

誂え向きの、その場しのぎで生きるための価値観に汚染されて仕舞う。


人生をかけて追及することは、必ず個人で完結するものであるべきだ。

それが他人から見てどれだけ稚拙で滑稽であろうとも、

独りで長い時間考え抜いたことに価値を感じる。


当たり前に生きる人間と居ては、生きる理由など偽物しか浮かばない。

当たり前に生きることは、気持ちが悪い。

世に蔓延る「楽に生きるための考え方」も人生観も、

結局は生きることを前提に置いた実に保守的なものでしかない。


憲法に書いてあるから、人間は皆生きる権利があるとでも言うのか。

命は、欠けても換えなど幾らでもある。

その中で、個に一定の価値を付与するものは、その個がどう生きたかだ。

そこに他の人間が入り込む余地なんて有りやしない。

個の価値は、そのまま自明だ。

そう言えるだけの根拠を、俺たちは持たなければならない。

そんな根拠が、俺には美しく見える。

君達は少し傲慢すぎやしないか。


俺だって、ただ生まれて落ちただけの至極無価値な人間だ。

金を食い、時間を潰すだけの解消無しだ。

だから、自身の価値を自明とするだけのものを探さなければならない。

勿論、独りで探すのだ。

うまく言えないが、それは決して「自分磨き」などではない事を分かって欲しい。


人間に恵まれ、人間と生きることを心から楽しむ様なことはしたくない。

それが負け犬の遠吠えと云うのなら、それが善い。

君達になど、人間になど、一生勝てなくていい。

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