第37話 天使

 突如、暴風が吹いた。


 それは俺の背後から、目を開けていることが出来ないほどに。気を抜けば、体が吹き飛んでしまうのではないかというほどの。洞窟という閉鎖された状況では絶対に吹かない風が、俺たちを通り過ぎていったのだ。


 風は独房から吹いてきていた。行き止まりであるはずの、独房から。

 そして一人の少女を見て、俺は息を飲んだ。


 風の中心にいたのは、レカだった。


 彼女の体は重力から解き放たれたかのように、わずかに宙に浮いていた。いや、違う。強烈な風が、彼女の体を浮かび上がらせていたのだ。


 そしてその背中には、翼が生えていた。


 ガラスのような透明のプレート状の翼が、虹色の光を放っているのだ。まるで、極限まで圧縮された風が質量を持ったかのようなそれは、間違いなく生まれて初めて見るもので――


 それを気持ちよさそうに伸ばしながら、しかし祈るように両手を合わせる彼女を見て、俺はこう思った。


 ――天使みたいだ、と。


 真紅のフレアスカートと金髪をたなびかせた、レカ・スメンド・ティアールカという、天使だった。


「これが……わたくしの力――。これが――わたくしの――」


 視覚化された風は、彼女の翼に吸い込まれていくように収束し、やがて姿をけした。それは、この空間にある空気が全て彼女の翼から生まれているようにさえ思えた。俺はその神々しさに、しばしの間、言葉を忘れた。



「――愛の力なのね!!!」



 しかしそんな雰囲気も、彼女の発言によって台無しになった。


「……は?」


 俺は思わず呆けてしまった。愛の力ってなんだよ!? 愛を覚えたら翼が生えてくるっていうのか? そんな訳ないだろ! どんだけ乙女脳なんだよ!


 と、思わず心の中で突っ込んでしまう。


「ははっ! 見なさいイツキ! この翼はまさしく、あんたを守るために生えてきたのよ! みてこれ! 超キレイ! 超可愛いわ!」


 彼女は背中とお尻をふりふりしながら、翼を輝かせ、超絶テンションが上がっている。顔も火照って、なんだか攻略済みのヒロインみたいな顔つきをしている。それに思わず俺も顔が赤くなった。


「ばっ、バカなこと言ってないで! さっさと今のうちにユーリィンさんを連れて逃げ――」


 彼女の陽気さに気をとられすぎていた。


「ご主人様!」


 アルゥに叫ばれるまで、気が付かなかった。再び死神の鎌が振るわれていることに。


「やば――」


 死んだ――

 と思った瞬間。

 またしても激しい風が吹き荒れる。


 目を開けると、こちらに向かって手を広げて立っていたのは、レカだった。


 レカの背後には、確かに死神の鎌がある。しかしそれは彼女を貫いておらず、彼女の背中から生えた翼に受け止められていた。いや、正確には、彼女の翼から放たれる超質量の風圧によって、鎌が押し返されているのだった。


「言ったでしょ、あんたを守るって」


 死神は再び鎌を大きく振りかぶり、レカに振り下ろす。しかし結果は何度やっても同じだった。その鎌が彼女を貫くことは出来ないのだ。


「――どうして」


 俺が思わずそういうと、彼女は優しく笑った。


「あんたはわたくしの大切なものを守ってくれた。ユーリィンと、わたくしの命、そしてなにより、わたくしの魂を救ってくれたわ。そう、わたくしは救われたのよ。だから、次はわたくしの番。――今度はわたくしが、あんたと、あんたの大切なものを守るのよ」


 レカはそういうと、虹色の翼を羽ばたかせ、その衝撃で死神の鎌を押し返した。そしてゆっくりと振り返り、髪の毛を払うと、その人差し指を死神に向けて、言った。


「そこののっぺらぼう! よくも好き放題やってくれたわね! お仕置きの時間よ、覚悟しなさい!」

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