第30話 悲鳴

「ユーリィン!」


 レカが鉄格子てつごうし越しに叫ぶ。扉には鍵がかけられておらず、レカは飛び込むようにして中に入り、ユーリィンを抱き寄せた。


「ああ、ユーリィン! 良かった! 生きて……」

「レカ様……申し訳ありません……わたしが失敗してしまったばっかりに……」

「ううん、良いのよ。ああ、ああ」


 レカの瞳から涙が流れ、それがユーリィンのひたい紋章もんしょうを濡らしていく。アルゥはその横から、ユーリィンに繋がれた手綱を、足、手と小刀で切り落としていく。


 ユーリィンはひどく痩せこけ、肌には擦りむいたような傷が無数にあった。体はだらりと力が抜け落ちて、生きていることが奇跡に思える。俺は状態を確認すべく、彼女のステータスを表示した。


 ユーリィン・トメコット――キャラクターランク・LV4。


 残存HPは瀕死領域の赤表示。バッドステータスに低体温、飢餓きが、鈍足化、そして呪いとある。ステータスのほとんどに下矢印――ステータスが下降している証拠、バッドステータスに起因していると思われる――が表示され、戦闘力が著しく低下していた。


 それは、俺にあの日――アルゥと出会った時のことを思い起こさせた。


「レカ様……」


 そのユーリィンが震える手を上げ、レカはその弱った手のひらを力強く握り締めた。


「何、どうしたのっ?」

「良く聞いて下さい……レカ様。わたしを置いて、ここからお逃げ下さい……今、すぐに」

「なに、何を言っているの? 貴方を置いていく訳が無いじゃない。もう離さないわ! ねぇ、イツキ! どうにかしてよっ」


 レカが涙目で助けを求めている。


「任せろ」


 俺は側にしゃがみ、カバンを漁る。採取された薬草やアイテムを組み合わせ、素早くその場で回復ポーションを作成し、ユーリィンに使用する。


 ――しかし彼女のHPは回復しない。


「なっ……」


 俺の知る限り、HPポーションで回復しないのはエネミーだけのはずだ。それができないということは――


 ――この『呪い』がHP回復を阻害しているのか――?


 だが、手元にバッドステータス解除アイテムは無い。


「違うのです、レカ様。ああ、お願いです、レカ様」


 俺はエネミーの毛皮とわらきをかき集め、炎の基礎魔法――ファイアボルト――で着火し、暖を取る。これでとりあえず低体温だけは解除できた。それでもまだ、飢餓と鈍足可、そして正体不明の呪いが残っている。これでは彼女を洞窟から連れ出せても、そこから先に進めないだろう。なぜなら、周囲には遠距離から攻撃できるパニックフラワーが群生している。数発喰らえば、彼女のHPはゼロになってしまう。


 ――せめて飢餓だけでもなんとかしないと――


「何か食えるものを作るよ」


 手早く石鍋とマンモスイノシシの肉を取り出し、先程の焚き火に設置する。これで数分後には、飢餓を治せるはずだ。それでステータスが幾分でも改善すれば、無事に街まで戻れる可能性はある。


「ユーリィン、イツキが食べ物を作ってくれるわ! もう少し待っていてね!」


 しかしレカのその言葉に、ユーリィンは諦めたように、涙を流した。


「ああ。レカ様。もう間に合わない。――彼はもうすぐそこに……」



 その時だった。



「ご主人様」


 アルゥが俺を呼んだのと、辺りの空気が張り詰めたのは、ほぼ同時だった。


「――何か、来ます」


 アルゥが素早く構える。俺達が来た方角――少し広くなった空間だ――の方から、なんとも言えない様な気配が押し寄せてくる。


 ――何かが、いる。


 俺は素早くロングソードを構え、アルゥに並ぶ。少し開けた空間から、冷たい気配が押し寄せてくる。


「――レカ。ユーリィンの側についててくれ」


 レカは声を押し殺し、静かにうなずく。


 耳鳴りがしそうなほどの静寂が数秒続いた、次の瞬間だった。




『ヒョォォォォォォオオアァァァァァ!』




 洞窟に、悲鳴とも風切り音とも言える轟音ごうおんが響き渡った。俺達の体をも共鳴させる爆音の最中さなか、黒い霧が空間に充満していく。黒い霧はやがて渦を巻くように一箇所に集結し、それが霧散むさんしたかと思うと、その中央から巨大な黒い鎌が現れ、を天に向けるように落下した。


 ――そしてその柄を掴むように、白い霧のような発光物体が姿を現した。


「なんだあれは!?」


 それは徐々に明確な形をとっていく。フード付きのコートを被った旅人――しかしその肉体は存在しない――死神のような、その姿が。


 その発光体がその鎌を構えたかと思うと、再び轟音が響き渡った。


『キャアァァアアアアアアア!!!!!』


 女性の悲鳴が幾重いくえにも重なったような轟音が耳をつんざくく。


 ――そして次の瞬間、俺の視覚に、突如としてウィンドウが表示された。



《――レイドボス・イベントについて――》



「レイドボスだと!?」


 俺は驚愕と共に、その発光体を見つめた。ステータス欄には、こう表示されていた。



 ――境界の門番 デス・ゴースト―― HP ?????



 それは俺がこの世界で初めて体験する、ボス戦闘の始まりだった。

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