第17話 亜人②


「――ここに来るまでに、他の亜人あじんとすれ違いましたか?」


 亜人。亜とは、次ぐ、という意味がある。人に次ぐもの。人ではないもの。それは明確に、人間とは違うということを定義した言葉だと思った。そしてこの状況で持ち出されれば、そこに差別的な意味を含んでいることも、容易に想像できた。


「人間の街、というのは、そういう意味か」


 俺は彼女の言葉を思い出していた。

 ――ここは人間の街ですからね。良い意味でも、悪い意味でも――


「お前達は、迫害されているのか」


 その問に、彼女は何も言わず、寂しそうに笑っただけだった。


「……これは、いつかその時が来るまで待とうと思っていたのだけれど――聞いておかなければならないみたいだ」


 いつか彼女が自分から話してくれるのを待っていた。繊細な話題だ。俺はそれを聞くすべを知らない。だけれども、この状況を見れば、そうも言っていられない。


「――あの日、お前はあそこで何をしていた? いったい、何から逃げてきたんだ?」


 こうして彼女と食事を共にするきっかけ。――彼女があの森で、瀕死の状態で倒れていたという事実。そして赤の他人に、助けを求めなければならなかった理由。彼女の体に刻まれていた無数の傷は、誰から与えられたのか。


「場所を、変えましょうか」


 彼女がそっと立ち上がる。俺はそれについていく。――店を出る刹那、客たちを睨みつけながら。

 




 暗くなった街道を行く。街の灯りから離れ、丘を上っていく。まばらな人影も途絶えた頃、アルゥは言った。


「迫害、というには、それは少し悲劇的すぎるかも知れませんね」


 丘の上に、一本の大木があった。その下に立てば、遠い水平線と、そして眼下にアイデルハルンの灯火が見えた。穏やかな海風が崖を駆け上り、俺たちの火照った肌を冷ましていく。


「人間の社会においては、私達は半獣はんじゅう、つまりその半分は、獣と同じです。獣の中には害獣がいじゅう、つまりはエネミーも含まれます。エネミーは人間の敵。こころよく思わないのは致し方ないと思います」


 彼女は遠景を眺めながら、続けた。


「多くの亜人は、その種族単一で社会を形成します。獣に近いものほど、そうです。しかし私達人狼のように、獣よりも人に近い種族であると、人間社会の方が住みよいのです。とはいえ、その溝を埋めるのは簡単ではない、という話なんです。多くの亜人は奴隷となるか、冒険者、あるいは――愛玩あいがんとなるか」


 ――そういうことか。


 亜人が身綺麗な村娘の格好をして、飯を食べさせられている。亜人が女で、連れているのが男となれば、答えは一つに絞られる。


 ――奇異の目を向けられるだけの理由があった、ということだ。


「申し訳ありませんでした」


 アルゥは、深く頭を下げていた。


「ご主人様が、何処いずこから来た者だと知りながら、黙っていました。この世界のことわりを知らないイツキ様が、それを知った時、私をどうするのか。それを思うと、言いだせませんでした。私に勇気がなかったばっかりに、試すような真似をしたばかりか、ご主人様に恥をかかせてしまいました」


 彼女はそういうと、自身の胸に片手をかざし、そっと瞳を閉じた。


「罰を、私に」


 彼女が震えているのが分かる。

 それが寒さによるものじゃないことくらいは、俺にもわかった。

 だから――


「――――!!」


 ――俺は彼女を、そっと、抱きしめた。


「……俺は、自分のものは大切にする主義なんだ。どんなことがあっても、それを壊したり、傷つけたりはしないよ。それは、お前だって、例外じゃない」


 アルゥは、俺のものになりたいと言った。人をもの扱いするのは、俺の思想に反するけれど、彼女が望む形で答えるのが、一番伝わると思った。


「話してくれて、ありがとうな」

「――ご主人様……」


 彼女の嗚咽おえつが、俺の胸を伝わって響いていた。俺はそれが世界中の誰の耳にも入らないように、包み込んでいた。


「それで、俺はその試験に合格できたのかな」


 言葉は返ってこなかった。

 代わりに、俺の背中に回されたその手を、答えとして受け取っておくことにした。

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