第2話 初めての異世界生活①

 冷たい感触がほほに伝った。


 眼を開けると、そこは知らない洞窟だった。静かで、薄暗くて、岩盤がき出しになった、しかし他には何もなさそうな洞窟だった。


「生きて……いるのか?」


 最初に体を確認した。制服はボロボロに破けているが、しかし、体に異常はなかった。確かに男の膝がめり込み、肋骨数本はいっていそうだったのに、打ち身もなければ、傷も無い。腕も足も思い通りに動く。あるとすれば、まるでずっと眠っていたあとのように、ひどい倦怠感けんたいかんを覚えたということくらいで、それも、体の確認が終わった頃には、とっくに無くなっていた。


 そしてその頃には、この洞窟の薄暗さに、大分眼が慣れてきていた。見上げれば、鍾乳石しょうにゅうせきとおぼしきから、透明な液体が滴っていた。俺が目覚めることができたのは、あれのお陰らしい。そして、俺はこれが夢の世界ではないということを、理解し始めていた。

 周囲を確認すると、やはり何もないように思えたのだが、隅の方に、人影があった。目を凝らしてみると、地面に倒れ込んでいるその人が身につけているのは、うちの制服――特徴的な緑と黒の千鳥格子柄――だとわかり、俺は跳ねるようにして駆け寄った。


井波いなみさん!?」


 倒れていたのは井波さんだった。俺と同じように制服はボロボロになって、ところどころはだけてしまっている――井波さんはクラスで一番かわいくて、スタイルが良い――が、今はそんなことで鼻の下を伸ばす気分にはなれなかった。そこから覗く白い地肌を見て、やはり彼女も俺と同じように無傷であるのだとわかり、胸をなでおろした。


「井波さん、井波さん」


 俺は彼女を仰向けにして、上半身を抱きかかえた。体温があり、そして呼吸がある。井波さんが生きているのは間違いない、が、なかなか目覚めない。


「どうして」


 あせる俺。肩をすっても、声をかけても、反応はない。気を失っているのだろうか。それとも、彼女はこのまま目覚めないのだろうか――。


 そう思って、彼女の顔を凝視したときだった。


 ――彼女の輪郭が、白く発光した。


 その発光は、わずかに点滅していた。まるで、ゲームでオブジェクトが選択されているときのような。


 そう思った次の瞬間、俺の視界に、濃紺の何かが浮かび上がった。


「――なっ――」


 それは、まるでRPGのウィンドウだった。彼女と俺の間に、たしかにウィンドウが表示され、そこに、文字が書かれているのだった。



『未アクティブのユーザーが選択されました。アクティブにしますか? ――残り回数 1/1』


「な、なんだこれは!」


 言葉ではそう発しつつ、しかしそれが何なのか、俺にはすぐに理解できた。



 ――そう、これは、ゲームだ。



 異世界転生――。アニメやラノベでお決まり展開の、異世界転生。それに違いない。


 体の感覚は、現実のそれと全く変わりがない。鏡がないから実際のところはわからないが、少なくとも俺の視界に入る自身の体は、自身の体に違いがなかったし、そして目の前にいる井波さんも、俺がよく知っている――かわいいからだけじゃなくて、ある程度特別な意味でたくさん見ていたから――彼女自身に違いがなかった。


 だけれど、この環境。まるでファンタジーRPGのど定番のような、薄気味悪い洞窟と、そして何より決定的なのが、このメッセージウィンドウ。アクティブだとかユーザーだとか、登場するワードだって、ゲームの世界にある定番のワードだった。


 異世界転生は、現実のものだったのか? 

 仮にそうだとするなら、やはり俺達は現実で死んで――


 そこまできて、俺はその先を考えるのを辞めた。


 これが現実か夢か、異世界か。そういう話よりも今重要なのは、目の前にいる井波さんをどう助けるかということだった。


 そこで俺はもう一度メッセージを見た。メッセージウィンドウには、はい、と、いいえ、の項目が浮かび上がっていた。視線を泳がせれば、まるでカーソルに追従するかのように、項目がハイライトされたりする。つまり、この要領で「はい」を選択すれば、彼女を目覚めさせることができるのだろうと、直感的に理解ができた。右下の方に「ヘルプ」の項目があったが、説明を受けるまでもないと、俺はすぐに「はい」を選択した。


 ウィンドウは音を立てて、その後透明になって消えていった。そしてそれに続くように、井波さんの輪郭は明点しなくなり――


 次の瞬間、井波さんがゆっくりを眼を開けた。

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