第3話 彼目線

 俺は人の生き死にを見守り、人生の最期には魂を回収する「死神」だ。

 ケースナンバー20201224。澤野真彩さわのまや。1770年に人魚の肉と知らずに口にした結果、不老不死を得る。

 その後、江戸時代の終わりと共に世界を放浪。初代担当の死神以外の者たちは、彼女と恋仲だったそうだ。腹が立つことに。

 しかし彼らはみな死神条約に違反し消滅。彼女の認識ではある日突然、「姿」という記憶だけが残る。


 事故案件。

 そういった諸々の事情を知った上で、俺が派遣された。

 俺の死神としての権能は「近くにいる者の寿命を削る」というものだ。つまり、人間界で親しく接してれば、その人間がより死に易くなる。もっとも事故死やら殺人のような突拍子もない幕切れではなく、ゆるりと回る毒に似た倦怠感と睡魔によって永眠するものだ。


 魂は人によって形も大きさも熱量も異なる。けれど、それは白く尊い光そのもの。人間は人生でどれだけ魂を輝かせられたのかによって、次の転生に影響する。逆に魂の色が黒く濁り、光を発しなくなった場合、この世界から消滅した。線香花火のように、散って落ちる。

 殺人、自殺は勿論、魂の輝きを仄暗いものにするが、言葉による暴力が魂には最も堪えた。何百年も歴史を見ている中で、そんな仕事をしていれば死神だって魂は摩耗する。

 けれど──。


「行くところがないなら、私とくる?」


 彼女は俺に声をかけてきた。最初は俺が死神だとバレたのかと思ったが、違った。ただの善意、いや気まぐれだったのだろう。

 書類だけの情報と異なり、彼女は何というか放っておけない人だった。家事全般が苦手なのか、要領が悪い。それに危なっかしいのだ。近くで見るといつもアワアワさせれた。

 けれど、彼女は野に咲く花のように笑う。

 その笑顔に惹かれていったのは言うまでもない。

 彼女は不老不死だというのに、魂の色は真っ白なままでキラキラと光り輝いていた。事故で不老不死になる人間も稀にいるが、彼女はそのどれとも異なる。


「せっかくなのだから、楽しんで生きることにしたの」


 そう一度だけ呟いたことがある。

 それが「不老不死」だということを俺は知っていたので、この人はとても強い人なのだと思った。気づけば他の担当者と同じように、彼女を愛していた。

 けれど、このままでいけば俺は彼女の担当から外れるか、最悪の場合魂が消滅する。死神と人間の恋は御法度だからだ。


「俺が絶対に一緒に居る。永劫だろうと、どれだけの長さだろうと、アンタの傍に居る」


 運命だとか呪いだとか知ったことじゃない。

 俺は口にした言葉は、何が何でも実行に移す。それが俺の信条だった。

 どうすればこの先彼女と一緒に居られるだろうか。


「一つだけ方法がある」と、引退した死神は俺に教えてくれた。

 彼がまさか横浜のbarでマスターをやっているとは予想できなかった。


「それは恋人ではなく、生涯連れそう伴侶を得ることです。そしてそれにはいくつか条件があります。まず一つは『自身が死神だと意中の相手に伝えて相手が信じること』。もう一つは『プロポーズを受け入れてくれること』。この二つの条件がクリアされれば、死神の力を失わずに傍に居られるでしょう」


 簡単といえば簡単だが、言うは易く行うは難し。

 そもそも死神が現世の人間に正体を明かすこと自体がタブーなのだ。相手に受け入れられなかったら──信じてもらえなかったら、死神の力を剥奪されて俺は消滅する。

 だから前の担当者たちは彼女の元を去ったのだ。あるいは消滅した。


 彼女は不老不死だけれど、ある意味リアリストで、魔法使いソシエールの存在は認知しているが、人外の存在に関してはかなり疎い。人魚と出会っているからか、そういった類の存在を極力関わろうとししないし避けていた。


「俺が絶対に一緒に居る。永劫だろうと、どれだけの長さだろうと、アンタの傍に居る」


 そう約束したのだ。

 俺は躊躇わなかった。

 すぐさま冥界職場に戻り、手続きを済ませて戻るつもりだった。けれど人手不足で死神の仕事が急激に増えた為、俺は駆り出されることなる。

 冥界の亡者たちの鎮圧に三年。

 けれど、それは現世では十年経っているなんて知らなかった。


 十年、人間にとっては長い時間だけれど、彼女にとってはそこまで──。

 そう思っていた。

 けれど、そう思っていたのは俺の驕りで、都合のいい妄想だ。


 再会した時、俺は息をのんだ。

 彼女は相変わらず美しかった。濡れたような黒い髪に、真珠のような白い肌、凛とした顔立ち、目が眩むようないい女。豊満な体形は変わっておらず、深紅の背中の開けたドレスに、銀のアクセサリーは彼女の美しさを際立たせた。

 そして見てしまった。


「連れ合いが……できたのか?」


 情けない声が出た。十年という月日は俺と彼女にとって関係を終わらせるには十分な時間だった。俺にとっては三年ちょっとだったとしても、彼女にとっては十年だ。それも唐突に消えたのだから、恨まれても仕方がないだろう。

 全部、自分が蒔いた種だ。これで同情を引いて、彼女の幸せを壊す権利など俺にはない。

 彼女の笑顔を砕いて、それで──? その後は?

 誰も幸せにならない。

 そんなのは嫌だ。

 たとえ俺が消えてしまうとしても。


 老紳士マスターがいないうちに、俺はレジに金を置いて店を出た。

 店の外に出るとしんしんと雪が降り落ちる。

 五センチほど積もった雪の上を当てもなく歩いた。死神だと名乗らなかったが、申請を出してしまった以上、条件を満たさなければ消滅する。


 時計の針は二十三時五十五分。

 日付が変われば、俺は──。



 ***



 気づけば、人通りにない公園で雪の上にしゃがみ込んでいた。

 ここなら、観覧車からの時間がよく見える。

 あと三分。

 幸せを手に入れようとして、俺はいつも空振りばかり。もっとスマートなやり方があっただろう。後で後悔ばかりが蘇る。

 詰めが甘い。本当に。


れん!」


 叫ぶ声に、俺は顔を上げた。

 雪の上を裸足でかけてくる彼女に、俺は目を瞠った。片手には赤いヒールを手にしている。毛皮のコートを羽織っているが、ボタンを留めていないので、白い肌がちらちらと見えた。


「マヤ」


 手を伸ばすが、その指先が透けて見えた。

 もう時間はない。

 ぼろぼろと泣いている彼女を見て、胸が軋んだ。


(アンタには幸せになって欲しいのに……)


 俺は瞼を閉じた。

 最後に彼女の姿が見れたのは嬉しかったが、出来るのなら笑っていて欲しかった──。


「言わなきゃ、わからないわよ!」

「な──げふっ!?」


 まさか彼女が、電柱を蹴ってムーンサルトプレス(空中で円を描いて相手にボディ・プレスを駆ける技)を決めるとは夢にも思わなかった。というか、その後流れるようにアンクル・ホールド(かかとをひねり上げて、相手を這いつくばせる技)を決める。

 この流れならスープレックス・ホールドでもいいのではないかと思ったが、そんな事を言っている場合ではない。ものすごく痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。何だこれ。


(あーそういえば、昔に護身術ってプロレス技を仕込まれたって──なんでだよ!? せめてバーティツ武術を教えておけって!)


 というか足に胸とか色々当たっているのだけれど。しかも以前と変わらない香水が鼻腔をくすぐる。


「──って、ギブギブギブ!」

「煩いわね。なに勝手に終わらせて消えようとしているのよ。マスターから色々聞いたわ。貴方、死神なんでしょう。私を殺す気なら、最期までちゃんと付き合いなさいよ」

「え?」

「大事なことは言わなきゃ分からないわ。私も蓮も」


 怒っている。けれどその声は優しい。


「もう! 貴方に会うのに、見栄を張った私も悪かったけれど。蓮も蓮だわ。私の指輪は男除けよ! 十年前に勝手に消えた人をずっと待っているために自分で買ったの!」

「なっ、……え!?」

「十年! 蓮がいなくて寂しくて、苦しくて忘れようとしても忘れられなかった。本当は貴方から会いたいと言われた時、死ぬほど嬉しかったのよ!」

「!」

「でも、怖かった! 十年よ。人は変わるわ! 他の男たちと同じように私が怖くなって逃げたんだとずっと思っていた」


 彼女は俺の足から手を離すと、荒い息を吐きながらその場に座り込んだ。

 俺は痛みを引きずりながらも、彼女を抱きしめた。近いようで遠かった距離が一気にゼロになった。


「マヤ」

「……!」


 ポカポカと胸を叩くが痛くない。泣きじゃくる彼女は、師匠という仮面の外れた──俺の愛しい人だった。

 強く抱きしめると、彼女は肩を震わせて泣いた。彼女は強いけれど、涙もろくて、割と泣き虫だった。


「一人ぼっちにして、すまない」

「うっうっ……」


 抱きしめた彼女の肩はとても細くて、力を込めたら壊してしまいそうだった。


「薬指の指輪を見た瞬間、本当の事が言えなかった。俺の我儘や身勝手を押し付けると思ったから。……でも、ずっと、ずっと会いたかった。もっと早く迎えに行くはずだったんだ」

「私は……貴方を……許さないわ」

「マヤ」


 彼女は顔を上げると、俺についばむようなキスをする。


「こんな気持ちにさせた責任を取りなさい」

「……ああ」


 今度は俺から、彼女に口づけをした。先ほどよりも長く、情熱的に。白い吐息が漏れた。


「俺が絶対に一緒に居る。永劫だろうと、どれだけの長さだろうと、アンタの傍に居る」

「馬鹿ね。……でも、死ぬほど嬉しい」


 ああ、そうだ。彼女は意地っ張りでもあった。

 自分の弱さを極力見せないように、仮面をつけるのも得意だった。彼女を抱きしめることで、一緒にいた頃の記憶がゆっくりと戻っていく。

 彼女は再び泣いた。今度は幸せそうに。

 アンタの運命を狂わせる歯車に、俺はなれただろうか。

 なあ、マヤ。

 








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