ポートワインを貴女に
あさぎかな@電子書籍/コミカライズ決定
第1話 彼女視点 前編
「お前のところにいた──ああ、あの死神みたいなやつ。お前に会いたいって事で、セッティングしたから後でメール送るな」
青天の霹靂のような展開に、私は微苦笑した。イザヤ──私の恩人はいつだって急に連絡をしてくる。
翌日、横浜の観覧車が見える
カウンターの端に座りながら、私はグラスを傾ける。ジンベースのフルーティーな味わいのブルームーンを飲み干すと、ため息が漏れた。
「ふう」
ここは会員制なので誰かと待ち合わせをするにはちょうどいい。待ち合わせをしているのは、元弟子だ。十年ぐらい前に忽然と姿を消した不詳の弟子──いやもっと言えば、元恋人でもある。
(今更なに?)
私は薬指にある銀の指輪に触れた。男除けでいつもつけているのだが、外しておくべきだったのでは? そう考えて、私は頭を振った。元弟子が何のために私に会うのか分からない以上、これは必要なものだ。何より私を捨てた男に対して気遣う必要などない。
『俺が絶対に一緒に居る。永劫だろうと、どれだけの長さだろうと、アンタの傍に居る』
そう言いながらも私の前から姿を消した男は一人二人じゃない。
だから部屋から彼の荷物が無くなった時は「ああ、またか」と落胆しつつも、妙に納得したような──そんな気分だった。
運命なんてロマンチックなことは早々起こるはずもない。淡い期待をするべきではないのに。
もう何度繰り返しだろうか。
二百五十年も生きていればいろいろある。私が
私の愛弟子もそうだ。
ひょんなことから拾った子ども。魔法学の才能は全くなかったが、料理がとても上手で、家事や洗濯などを器用にこなしていた。そんな彼が二十歳になった頃、私は自分の秘密を明かした。
『昔、人魚の肉を口にしたことで不老不死になったのだ』と。
この手の話は東洋──日本ではよく文献が残っており、有名どころでは「八百比丘尼」と「戸隠伝説」の話だろうか。「八百比丘尼」の場合は、「人魚の肉を食べると不老不死になり、最期には出家して尼になる」。「戸隠伝説」の場合は「人魚の肉を食べた者は人魚になる」というもので、私は前者──つまりは「八百比丘尼」に該当するのだろう。
故に私は二十八歳のまま生き続けている。
人魚の肉を口にしたことは本当に偶然だったから、最初の百年は日本にいるのがつらくて世界中を旅した。そうしている間に、私と同じように年を取らない人たち──
中でもイザヤ=グリフィンとは馬が合い、魔法使いでもある彼の推薦で私は
私は魔法薬学の才能はなかったけれど、占いに関してはそれなりに才能があったようで、今も人の未来を占う仕事を行っている。
人から外れた存在になりつつも、人間社会と折り合いをつけて生きていけるのはイザヤのおかげといってもいいだろう。そんな彼から弟子を取ったと聞いた時は驚かされた。弟子を取らないで有名だった
その弟子とは二、三度会ったけれど、将来美人さんになると思えるほど可愛らしい子だった。ウェーブのかかった亜麻色の長い髪、目鼻立ちも整っており、愛嬌がある。
「師匠」と呼ぶ声には、親しみと敬愛と心から愛しているという想いが溢れていた。
「
その言葉を聞くたび、出ていった弟子の事を思い出してしまう。
あれからもう十年も経ったというのに。不老不死になってからの二百五十年よりも、十年の方が長く感じられた。やはり下手に情を移したのは間違いだった。
子弟の関係はもっと淡白な方がいい。
イザヤとその弟子のメアリーのようにお互いを思い合い、結ばれるような形は稀なのだ。更につい数か月前にようやく付き合いだした二人の報告を聞いた時には、嬉しさと共に子弟というフレーズに、封印していた記憶が脳裏をかすめる。
もしかしたら、あったかもしれない未来を考えてしまう。
自分が化物だと忘れてしまいそうな、甘く儚い──けれど穏やかな日々。自分がこれほど未練がましく女々しいとは思わなかった。
人魚がハッピーエンドを迎えるなんて話を聞いたことがないように、この呪われた人生は変わらない運命なのだろう。
昔はそれでも前を向いて、生きるだけ生きよう、と思っていたのに。
最近は、少し疲れてしまったような、気だるさが抜けない。
「何かお作りしましょうか?」
ふと、にこやかな笑みを浮かべる
「そうね。ピニャコラーダをお願いできるかしら」
「かしこまりました」
ピニャコラーダ。一九七〇年代に流行になったカクテルの一つで、ラムをベースにしたパインジュースやココナッツミルクを砕いた氷と一緒にシェイクしたものだ。ちなみにピニャコラーダはスペイン語で「裏ごししたパイナップル」という意味らしい。
カクテルというのは花言葉のように意味がある。そう昔、弟子に話をしたのを思い出した。
ピニャコラーダは「淡い思い出」という意味が込められている。
思い出した記憶も全ては過去。
現在も未来にも繋がっていない。
「……マヤ」
低く、こわばった声に私は振り替える。そこには弟子の──最愛の男が佇んでいた。
つい先ほど店に入ってきたのか、肩には雪がかかっていた。今日降るかもしれないと思っていたが、初雪が降り始めたようだ。
そんなことを思っていると、男はジッと私を見つめて佇んでいた。二十歳に出ていって、十年経っているのだから三十歳になった年齢だろうか。それにしては少しだけ若く見えなくもない。
子供っぽさは消えており、どこぞの若社長と思えるほどの貫禄があった。黒い髪も切り揃えられ、インテリアっぽい眼鏡をかけている。ふと左の薬指に光るものが目に止まった。
それを見た瞬間、なぜ私の元を離れたのかようやく腑に落ちた。
一緒に居られない理由。私とは別に付き合っている子がいたということ。
(ああ、だから……)
「……隣に、座っても?」
絞り出すような声に、私はハッと考えを現実に引き戻された。女の顔から師としての仮面を素早く被る。そうすれば喚き散らすような醜態を晒さなくて済む。
「座るならさっさとしなさい」
「ありがとう」
別にお礼を言われる筋合いはない。場の空気は一層静かに重くのしかかる。遠くで聞こえるジャズピアノの明るいメロディーが唯一の救いだ。忘れていたが明日はクリスマスだった。
そんなことを今更思い出した自分に笑ってしまう。
「それで、要件はなに? わざわざ
「…………」
私は重苦しい空気に耐え切れず、本題に入った。
彼は少しだけ困ったような、複雑な顔で微苦笑する。
「せめてカクテルで乾杯をさせて欲しいのだけれど? それも駄目か」
あまりにも切ない声に、良心が痛む。まるで自分が聞き分けのない子供のようで、そんな些細なことにも落ち込んだ。
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