黄昏小路
平中なごん
一 狭間
それは、新年号の平成となって、早二年目となる年のある秋の出来事だった……。
世界に目を向けてみれば、ゴルバチョフ大統領の誕生によってソビエト連邦から離脱する国が相次いで現れ、ルーマニアの共産体制が崩壊したり、東西ドイツも統一したりと、ようやく東西冷戦が終わりの兆しを見せ始める一方、イラク軍がクウェートに侵攻するなど、今度は中東で新たな戦火の火種が燻り始めている……。
だが、東の果ての島国に住む一貧乏学生の僕にとっては、そんな大それた世界情勢などまるで関係のない、まさに文字通り
国内では昭和の終わり頃からなんだか景気がすこぶるよく、都会暮らしの金持ちな若者なんかは毎夜ディスコ通いなどして派手に遊んでいるが、しがない地方公務員の家に生まれた僕のような者としては、やはりそんなギラギラとした生活も大変に縁遠い。
……いや、縁遠いというよりも、むしろ毛嫌いしているような感もある。
ここ数年、この国に蔓延している金と欲にまみれたギトギトの拝金主義文化には、正直、辟易としているのだ。
だからなのだろう。 この頃、僕はそんな世間に背を向けるかのようにして、精神的な世界――即ち〝オカルト〟というものにだいぶ傾倒していた。
と言っても、昨今流行りの宗教や自己啓発セミナーに通うようなわけではなく、月間『モー』やその手の本やテレビ番組を漁りまくるぐらいの、あくまで趣味程度のものなんだけれども……。
さて、そんな僕の住むこの一地方都市では、ある超常現象のウワサがいつの頃からか囁かれていた。アメリカの民俗学者ブルンヴァンの言葉を借りれば、〝都市伝説〟というものになるのだろうか?
この街のしがない商店街に、「日々書店」という本屋と「月影堂」という和菓子屋が並んで建っており、その店と店の間が狭い一本道になっている……ほんとに狭い、人ひとりがやっと通れるくらいの道幅だ。
そこを抜けると、普段は商店街の裏にある大通りへと出るわけなのだが、これが夕日の沈みかけたまさにその瞬間、その裏小路は異次元の世界に繋がるというのだ。
つまりは昼と夜のちょうど境目の時間、空間的にも日々書店の〝日〟=昼と、月影堂の〝月〟=夜の狭間が、時空を超えるワープホールを作り出すというのである。
昼と夜の狭間の薄明時……人の顔の識別が難しいことから〝
古くより村と村の境だったり、川の此岸と彼岸だったり、山と里を隔てる麓だったり、何につけ〝境界〟というものは異界に通じていると云われてきた。
おそらくこのウワサも、そんなイメージから生まれたものなのだろう。
まあ、店の名前なんか明らかにこじつけっぽいし、普通に考えれば眉唾物の話なのだが、うっかりその時間にそこを通ってしまい、行方不明になった中学生がいるんだとかいないんだとか、そんな話も地元民の間ではまことしやかに囁かれていたりする。
だからと言って、本気でみんな信じているわけでもないんだろうが、意外と夕方にその小路を使おうとする者は少ない。
確かに昼間でも薄暗く、両脇を壁に挟まれたひどく圧迫感のある道なので、不気味といえば不気味であり、好んでそこを使おうという気にはならないだろう。
みんな、信じてはいないつもりだけども、心のどこかではもしかしたらという思いを抱き、はっきり嘘だと割り切ることができない……ま、そんな心境なんじゃないんだろうか?
かくいう僕にしても同じような印象を抱いていたが、特になんの変わり映えもしないある秋の日の夕刻、暖かな
その狭く薄暗い隙間が視界に入った瞬間、なんの気なしに僕は足を止めてしまう。
振り返ってみると、最後の一瞬、その輝きを増した黄金色の夕日は、今にも軒を連ねる商店の稜線に姿を隠そうとしている。
そういえば、今がまさにウワサで言われている
もしかしたら、これはウワサの真相を確かめてみる絶好の
意図的にこの場で夕暮れを待っていたりでもしない限り、今を逃せばもうこんな機会は巡ってこないかもしれない……そんな思いに捉われた僕は、もしウワサが本当だったらなどという恐怖心よりも前に、真相を確かめたいという好奇心…いや、使命感にも似たものに突き動かされてその隙間へと足を踏み入れていた。
無論、この時間帯には初めて通ってみるのだが、昼なお暗いその道はさらに不気味な夕闇に支配されている……左右のコンクリ壁の圧とも相まって、まるで洞窟の中を歩いているような思いだ。
いざ入ってみると、その異様な雰囲気に今さらながらに恐怖心が湧いてきたりなどして、決意が腰砕けになる前にと僕はズンズン早足に進んで行く……。
左右の店舗はいわゆる〝うなぎの
30秒と経つか経たない内に、僕は薄暗い洞窟の狭間から、赤い夕陽と
すると、そこには…………
なんの変哲もない、よく見慣れた大通りの景色が広がっていた。
車も普通に走っているし、歩道には帰宅を急ぐサラリーマンや学生、買物に出た主婦なんかが行き交っている。
「なんだ。やっぱりただのデマだったか……」
ま、ウワサ話なんて得てしてみんなこんなもんなんだろう……というか、異次元への通路ができるなんて話、信じる方がどうかしている。
「何やってんだ、僕は……さ、早く家帰ろう……」
我ながらバカなことしてるもんだと急に醒めてしまう反面、なんだかちょっと残念な気持ちも内心、抱きながら、僕も街行く人々の列に混じって家路を急いだ――。
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