第19話 椎名さんは無罪!?
「この数式を使って先程の式に代入し――」
授業中だというのに僕はまったく先生の話を聞いていなかった。学生って言うのは勉強が本分だ。だというのに授業に集中できていない僕は学生失格なんだと思う。でも仕方ないじゃないか。先程の椎名さんとの会話が脳裏に焼き付いて、どうしても椎名さんの方を見てしまう。
あれは一体なんだったんだろう。椎名さんってあんな風に誰かを疑うような人だったっけ。いや僕も彼女のことはよく知らないんだけど。それでも僕の抱く椎名さんのイメージとはかけ離れていたように思う。まるで別人のようだった、そう思ってしまう。
「…………!」
椎名さんと目が合った。どうしよう、どうすればいい。目を逸らすか? いいや駄目だ、既に一秒以上経ってしまっている。今更目を逸らしたら露骨すぎるだろう。
結局僕は椎名さんの宇宙のような黒く美しい瞳に吸い込まれるように、見つめるだけしか出来なかった。
「…………ふふ♪」
笑った? どうして笑うんだろう。僕と目が合って嬉しいのか? そんなわけあるか、さっき僕のことを信用できないって言ったばかりだ。椎名さんにとって僕は気味の悪いクラスメイトでしかない。目が合ったら引かれるくらいの存在なんだ。
じゃあなぜ笑ったんだろう。椎名さんってやっぱり少しおかしな人なんだろうか。
「――ということで今日はここまで。宿題として教科書64ページの問い3を解いてくること。以上」
いけね、先生の話を完全に聞き逃してた。えっと、どの問題をやればいいんだっけ。駄目だ、全然わからない。こういう時教えてくれる友達がいたら、と今更ながらに自分のぼっちっぷりを後悔しそうになるよ。まぁ自分で選んだ道だから仕方ないけどさ。
◆
「そういえば転校生ってどこのクラスだっけ……」
昼休み、僕は美咲の手がかりを探すために廊下を散策していた。美咲が姿を消してからそろそろ半日になる。もしかしたら学校に来てるかもしれない。美咲も自分が転校生だというようなことを言ってた気もするし、見つけ出して朝のことを問いただしてやろう。
そんな風に廊下を歩いていると、どこかのクラスの男子たちの会話が聞こえてくる。
「お前例の転校生見た?」
「ああ、なんかめっちゃ可愛いって噂の子だろ? 5組にいるって聞いたから見に行ったけど、そんなに可愛くなかったよ」
「だよなぁ。本人には悪いけど期待外れって感じだったわ」
なんとタイミングのいいことだろう。ちょうど転校生の話題を話す男子たちの会話を盗み聞きすることが出来たじゃないか。今年はひょっとすると運がいい年なのかも知れないな。
それにしてもこいつら見る目がないな。美咲が可愛くないだって? 美的感覚が狂ってるのか。美咲はあの椎名さんに瓜二つの美少女なんだぞ。そこらのアイドルにだって引けを取らない容姿じゃないか。それをよくもまぁ父親の前で言えたもんだ。
なんかこれだと僕、親バカみたいだな……。いやでも美咲が可愛いのは事実だ……と思う。
とりあえず5組に行ってみるか。美咲のやつ、現代っ子ばかりのクラスに馴染めてるかな。いや美咲は現代を通り越して未来っ子なわけだが。
「それでさー、前の学校だと自販機にドクペばっかあって~」
「ええ~ドクペとかなくない~? マジ田舎から引っ越してきたんだね~」
5組の教室までやって来たところで女子たちの会話が聞こえてきた。どうやらお目当ての転校生が囲まれているようだ。なんだ美咲のやつ、人気者じゃないか。よかったというか……拍子抜けしたというか。心配して損した気分だよ。
周りに人がいるから話しかけるのは難しいけど、せめて顔だけでも見れれば僕の午後の活力になるんだけどなぁ。周りの野次馬をかきわけてからどうにか前までいくしかないか。
「ちょっとすみません、あのすみま……ぶごぉっ! 誰だよ今肘入れたやつ……! すみません通してください……!」
主張出来ない悪い日本人の地が出てしまう小市民な僕は、時間をかけてようやく人混みの前までやってこれた。あのいかにもクラスカースト上位ですって感じの金髪女子が5組の女子を仕切ってる子だろうか。その向かいに座ってるのは金髪さんの取り巻き、もといお友達だろう。
美咲がさっそく面倒くさそうな人間関係に取り込まれていて僕は心配だ。顔を見たら手でも振ってあげようか。
「美咲~……元気かぁ……あ?」
「え、また知らない男子来たんだけどw何? 私そんなに人気な感じ?」
誰だ。この女子が転校生? 美咲じゃない。美咲じゃない。美咲じゃない美咲じゃない美咲じゃない美咲じゃない! 誰だよこいつは!?
僕の美咲は? 転校生だって昨日言ってたのに!
「何見てんの~? もしかして私に惚れちゃった的なw」
「あ、いや……君以外に転校生っていないの?」
「いないけど。何その言い方、何かムカつくんですけど」
まずい、5組の女子たちが僕の方を一斉に向いた。これは早めに撤退あるのみだ。僕はアメフトのランニングバックばりの躱し能力で人混みから脱出した。一瞬しか話さなかったし、5組にはとうぶん用事も無い。きっとすぐに忘れられるだろう。
◆
廊下を走り、中庭の端っこにあるベンチに腰を下ろす。今は肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。ゆっくり息を整えよう。
「美咲……転校生だって言ってたのに。あれ……そもそも美咲が転校生だって、どうして僕は決めつけてたんだっけ……?」
確か怜から変なメッセージが送られてきた日と同日に学校に美咲が現れて……そのままなんとなく転校生=美咲だと脳内で結びつけてしまっていた。でも美咲だって自分から転校生だって言ってたはずだ。だとしたらどうなってるんだろう。
「まさか全部、僕の妄想だったとかいうんじゃないだろうな……だとしたら笑えるだろ。僕は枕相手に腰振ってたってことになるのか……ははっ」
自分がもう分からなくなった。何が本当で何が真実なのか。あるいは最初から全部、僕が自殺した後に見ている走馬灯なんだろうか。もう一回あそこで死ねば、今度こそ真実が分かるのかな。
「なに暗い顔してるの、久遠くん」
「うわっ冷たっ!」
「あはは、ごめんね。ちょっと元気なさそうだったから驚かそうとしちゃった」
後ろを振り向けば天使の笑顔を咲かせる椎名さんがジュースの缶を二つ持って立っていた。いつ見ても可愛らしいけど、朝の件があったから素直に喜べない。全面的に僕が悪いんだけどね。
「何があったか知らないけどさ、元気出しなよ。はいあまにゅうコーヒー」
「げっ、これゲロマズなやつじゃないか。椎名さん、こういうのが好きなの?」
「うん、砂糖みたいに甘くてスウィートな感じがたまんない! 久遠くんはどんな味が好き?」
「僕は普通にブラックか微糖かな。ドリップコーヒーだともっといいね」
「うわー大人っぽいなー。図書館で勉強した時も思ったけど、久遠くんって大人っぽいよね」
そうだろうか。どちらかというと中二病まっさかりといった感じだけど。同年代から見たら大人びてる風に見えるんだろうか。どっちにしても椎名さんから悪くない印象を抱いて貰えてるみたいで、ちょっぴりいい気分だ。
でも朝のあの会話がどうしてもひっかかるんだよなぁ。普通「お前のこと信用できねぇから」って言い放った相手にこうやって絡むかなぁ。言った方も言われた方も気まずくて関わりを持とうとしないのが普通じゃ……?
なんかこのままだと凄い気分がよくないので、いっそのこと椎名さんに謝罪ついでに聞いてしまおうか。そうだそれがいい。こういうのは先に謝る勇気が大事って聞くしね。プライドとか捨ててごめんなさい言った方が勝ちなのだ……たぶん。
「椎名さん、朝のことだけどさ。僕、本当に申し訳なく思ってるよ……。あんな風にはぐらかして、その上自分のことは棚に上げて椎名さんには酷いこと言ってさ。だから……ごめん! 僕が悪かった!」
誠意を込めて顔を下げる。この気持ちが少しでも伝わればいいけど……。
数秒、十数秒は経っただろうか。椎名さんからの反応がない。流石に頭を下げっぱなしというのもアレだし、顔を上げてみる。すると椎名さんは困惑しきった顔で僕のことを見ていた。
「久遠くん……朝のことって何のこと? 私、教室に入るまで久遠くんと話してないよね?」
「なんですと……」
これはあれだろうか。さっきのことはお互い水に流して、もうその話に触れるのはやめましょう的なやつか? いやそうだとしても椎名さんの反応はやけにリアルだ。本当になんのことか分かっていない。そんな顔をしている。
それから僕は朝の一件を椎名さんに説明し直した。自分の恥部を事細やかに話すのは気が引けたけど、最近色々とおかしなことが続いている。情報を共有しておかないとややこしいことになるからな。
話し終えた後に椎名さんは黙り込んだ。そしてかたかたと肩を震わせて、唇もなんだか青白くなり、明らかに様子がおかしくなった。
「ね、ねえ久遠くん……その話が本当だとするなら……。私の知らないところでもう一人の私がいたってことになるんだけど……」
「ドッペルゲンガーってお化け的なやつはいるけど、まさか実在するわけもないし……。ねぇ椎名さん、もう一度確認なんだけど朝登校してきたのって俺より遅かったんだよね?」
「う、うん。今日は病み上がりもあって歩くのが遅くなって、あやうく遅刻しそうだったから。私が教室に入った時にはみんな席についてたと思うよ。もちろん久遠くんも……」
「確かにホームルーム直前で教室に入ってきたけど、僕はてっきりどこかで時間を潰してるのかと……」
「そ、そんなはずないよ! だって私、下駄箱から教室まで一直線で来たんだもん! 久遠くんが話した『私』はその数十分前には学校にいたんでしょ?」
つまり僕たちの話を纏めると、朝僕が話した椎名さんは偽物で、それ以降の椎名さんは本物ということになる。偽物がどうして僕にあんなことをいったのか、理由は不明だが椎名さんを装っての犯行を見過ごすことは出来ない。
「ねぇ久遠くん……久遠くんで居候してるあの子……。もしかしてあの子が私のふりをして――」
「あり得ないよ! だって美咲が、僕の……があんなことする理由なんて何一つ……」
「でもそれ以外思いつかないよ。久遠くん……私、怖いよ……」
椎名さんの小さな腕が僕の袖を弱々しく掴む。クラスのアイドル、生まれながらの天使でも人並みの心を備えた椎名さんだ。自分に似た人間がよく分からない行動を起こしているとなれば不安になるのもしかたがない。
そしてこういう時こそ僕の出番だ。だって僕は美咲の最高の未来を作るために、椎名さんと添い遂げてみせるんだから。
「椎名さん安心して。僕が椎名さんを守るから!」
「久遠くん……ありがと……。最後の久遠くん、ちょっとかっこよかったよ♪」
「ふふ、へへへ……」
せっかくいい感じに締めたのに、最後にキモオタ笑いが漏れてしまった。でも絶対に椎名さんにまつわるこの件を解決してみせるぞ!
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