第18話 椎名さんの闇
美咲がいない。さっきまで僕の側にいたはずなのに……! 前にもこういうことがあった。でも今回は違う。ほんの数分、怜と電話をしている間の僅かな時間に美咲の姿が消えてしまった。
電話に夢中で部屋を出て行ったのに気付かなかった? 違う! 絶対にそんな簡単なことじゃない! 美咲のやつ、まさか瞬間移動出来る未来の道具とか持っているんじゃないだろうか。猫型ロボットが持っているどこにでもいけるドアのようなものとか、実は隠し持っているんじゃ……。
「そ、そんなわけないだろ……冷静になろう。美咲は未来の人間って言ってもたかだか20年くらい先の未来からやってきたんだ。2040年代にワープ装置が出来てるわけないだろ。きっと電話してる僕に気を使って席を外したに違いないさ……そうに決まってる」
僕は思っていることをそのまま言葉に出した。まるでそうであって欲しいと願うように。もし僕の考えが間違っていたら、そう考えると怖いんだ。美咲のことは信頼している。でも心のどこかでまだ信用しきってない部分があるんだろうか。
一階へ降りてみても美咲の姿はなかった。出かけているんだろうか。ちょうど父さんがリビングでテレビを見ていたので聞いてみることにした。
「父さんさ、美咲見てない?」
「美咲ちゃん? 見てないよ。ここ数日どこに行ってるんだろうなぁ、変な事故に巻き込まれてなきゃいいけど」
「何言ってるの?」
「いやこのご時世だろ? 若い子が一人でずっと出歩いてるのも不用心じゃないかと思ってな」
「そうじゃなくて!」
おかしい。どうも話がかみ合わない。美咲は昨日家に帰ってきたはずだ。なのに父さんは数日間美咲を見てないと言っている。あり得ない。この年齢で早くもボケ始めたのかと心配してしまう。
「昨日いたよね、美咲。ちゃんとこの家に」
「え、いたのか? 父さんは見てないぞ」
「母さんも見てないわよ」
ネトゲの休憩からか自室から出てきた母さんも会話に加わってきた。しかしそれでも美咲を見た者はいないという。おかしい。昨日は玄関から帰ってきて、靴も並べて自分の部屋に戻っていったはずだ。それなのに見てない?
もしかして二人とも美咲を認識できていないのか? SF作品でよくある話だ。未来の人間が何らかの事情で観測できなくなるような事態。過去の事象を変えたことで未来の人間の存在があやふやになるとか、そんな感じのアニメを見たことがある。
僕は美咲の父親だから認識できていたけど、関係の薄い二人にはそれが出来なかったとか。
もしくは――
「僕が見ていた美咲は……美咲じゃなかった? 僕はずっとひとりで話していたのか……?」
背中に冷や汗が流れる。本当は美咲は帰ってきて無くて、学校で見た美咲は僕の生み出した幻想? あの夜美咲を抱いたのも孤独に怯えてる僕の妄想だったのか? もしかしたら部屋に戻ってすぐ寝て、その跡のことは全部夢だった可能性だってある。
自分がどんどん崩れていく感覚が内側に走った。
「大丈夫か遠矢。随分顔色が悪いけど。今日学校休むか?」
「いや大丈夫だよ。ただ気分が優れないだけだから」
両親の前で平静を装う。それが僕に出来る精一杯だった。
◆
「おはよ~」
「おはよう、寒いねー」
通学路はいつもと変わらない光景。みんな当たり前の日常を当たり前の感覚で過ごしている。僕だけが非日常という違和感を抱いている。朝日はこんなに眩しいのに僕の心はどんよりと曇り空だ。
そんな風にうつむき加減で歩いていたけど、僕はあっと声を出した。だって見つけたんだ。すぐ目の前にいるじゃないか、あの子が! ずっと探していた娘が!
僕は走ってその子の肩を掴む。少し強くしすぎたかも知れない。でもそれほど会いたかったんだ、大目に見て欲しい。
「美咲! どこいってたんだよ! 僕がどれだけ心配したか……」
「え……く、久遠くんどうしたの?」
「あ……椎名、さん」
美咲じゃなかった。僕が美咲と見間違えたのはクラスのアイドル椎名さんだった。後ろ姿まで完璧に可愛くて、どこからどう見ても美咲そっくりだ。
「あ、おはよう。もう脅かさないでよ~いきなり後ろから肩を掴まれたんだもん」
「あの、その……ごめん」
「私びっくりして本気で不審者かと思ったんだからねっ。でも久遠くんでよかった、あははっ」
「マジでごめん、ちょっと知り合いと勘違いしちゃって」
「ううん。大丈夫だよ、許してあげる」
「ありがとう椎名さん。さすが未来の嫁……天使過ぎる」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でも無いよ! ただの独り言だから!」
椎名さんは相変わらず天使だ。僕の不審な行動も特に追求せずに流してくれる。こんな優しくて美人な子を奥さんに出来るなんて、未来の僕グッジョブすぎる。この時代の僕も必ず椎名さんと幸せな未来を……。
「……どうかしたの久遠くん、急に黙り込んじゃったけど」
「あのさ椎名さん。歩きながらでいいんだけど聞きたいことがあるんだ。いいかな」
「うん……別にいいけど。何聞かれちゃうんだろう、怖いな~なんちゃって」
僕は今思い出した。それは初詣の時、椎名さんがあのタクヤとかいうDQNと一緒にいたのを目撃したことだ。あの時は美咲と話していて見逃したけど、どうして椎名さんがあんなやつと一緒にいたのか問いたださないと。
「元旦のさ、初詣でなんだけど。僕もあの時、あそこにいたんだよね」
「えー久遠くんもいたの? それなら声かけてくれればよかったのに。あ、それとも彼女といたから話しかけづらかったのかな?」
「いないよ彼女なんて」
「嘘」
その一言で世界が凍った。言葉一つで空気が変わるということが現実にあるもんなんだと、僕はこの時初めて実感した。
「いたよね、久遠くん。あの神社に女の子と一緒に、楽しそうに笑ってた」
「な、なんでそんなことを椎名さんが……」
「だって私も見てたんだよ。久遠くんのこと」
「み、見てたっていつから……」
あの時は人混みも多かった。僕が椎名さんを見つけられたのだって偶然だ。ほんの数秒送れていたらきっと目にも留まらなかったはずだ。きっと椎名さん流の強がりだ。おちゃめなところがあるじゃないか。
美咲のことが椎名さんに知られるのはまずい。直感的にそう思った僕はどうにか椎名さんの言葉を躱すことに専念した。
「椎名さんが僕を見つけられるはずがないよ。僕だって大変だったんだから……」
「一緒にいたよね、可愛い女の子と。誰なの、あの子。彼女さんかな?」
「い、いたっけな~そんな子。もしかしたらその場で会っただけの人かもしれないよ?」
「あはは、そうだね。でもそれにしてはやけに親しげだったよね。まるで家族みたいに」
「か、家族なわけ……あ、もしかしてうちの姉さんかも! この時期は実家に帰ってるからさ。なんか姉さんの大学って長期休暇が長いんだよね。夏休みなんて丸二ヶ月は休みでさ」
「嘘だよね」
再び、時間が凍り付いた。まるで僕たち二人が世界から切り離されているかのような、そんな緊張感が辺りを包む。椎名さんの目が少しずつ疑惑の目を伴って俺を見てくる。気付けば俺は椎名さんと二人きりで誰もいない廊下に立たされていた。
「ねぇ久遠くん。私前からずっと聞きたかったんだ。あの女の子、誰なの?」
「だ、誰って……椎名さんの言ってることがわからないよ」
「じゃあこう言えばわかってくれるかなぁ。図書館で久遠くんの電話を私に貸してくれた子。久遠くんの誕生日会に私を誘った子。私に似ているあの子は誰なの」
「だ、誰って、それは……」
未来の君の娘だ、なんて言えたら簡単だっただろう。でもそれを言えばきっと美咲は消えてしまう。禁則事項がどうとかで、未来に強制送還されるのがSF作品では王道の展開だ。だから椎名さんに美咲の正体を伝えることは出来ない。
そもそも未来で君が産んで、僕と再婚して育てた子だよと真実を告げても僕の頭の方が心配されるのがオチだ。つまりどうやっても詰みなわけで、こんなことを考えている間にも椎名さんどんどん疑心暗鬼の眼差しになっている。
苦肉の策で僕が言った答えは――
「うちの……居候、だよ」
「居候?」
「ほ、本当だよ! 両親に聞いてくれてもいいよ! 本当にあいつはただの居候で、僕はあいつの初詣についていっただけで……! それに大体椎名さんだってそうじゃないか!」
「私が? なにかあったかなぁ」
「誕生日会に来てたタクヤってやつと、どうして神社に一緒にいたんだよ!」
「タクヤ……ああ、あの人ね。道に迷ってたみたいだから教えてあげてたの。その後友達と合流出来たみたいでよかった~」
「道案内……? ほ、本当にそれだけ?」
信じられない。歴史の修正力とやらが働いて、どうあがいても椎名さんとタクヤが結婚してしまう未来が待っている。そう考えてしまう自分がいる。それに椎名さんはモテるから、あのタクヤが既に手を出してしまっていてもおかしくはない。
「信じてないって顔だね。でもね、私もそうなんだよ」
「な、何が……」
椎名さんは僕への距離をずいと詰めて、お互いの顔がくっつきそうな程の至近距離でニッコリと笑う。正直いつもなら心臓の鼓動が早くなって興奮しそうなもんだけど、今の僕は全然喜べそうにない。
純粋に、怖かった。
「久遠くんのこと、信じられないってことだよ♪」
その言葉を最後に椎名さんはいつもの天使の表情に戻り、教室へ向かっていった。残された僕はただ、腰が抜けて床に座り込むだけしか出来なかった。
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