第16話 娘と寝た

「え……」


 怜の部屋に入った瞬間、僕は呆気にとられた。



「怜が……いない?」


 怜の部屋には誰もいなかった。それだけじゃない。血が、怜の血で書かれた文字が壁から消えている。僕に送られてきた写真には確かにあったのに。綺麗に、まるで最初から無かったように壁から消え去っている。



「これは……どういうことなんだよ……」


「パパ、落ち着いて」


「落ち着けって、この状況でどう落ち着けば良いんだよ! LIMEで変な写真送られてきて! 変な文章も書かれて! それなのに部屋に怜がいないんだぞ!」


「だから落ち着いてよ。とりあえず怜さんに電話してみよう、ね?」


「そ、そうだな。もしかしたら部屋にスマホがあるかもしれない……」


 僕はこんなに取り乱しているのに美咲はどうして冷静でいられるんだよ。いや、今は美咲に当たるのはよそう。この子の言うとおり、怜の安否を確認する方が先だ。焦っていても事態が好転するわけじゃない。

 僕はLIMEで怜宛てに通話をかける。だが怜が電話に出ることはなかった。



「駄目だ、返事がない。スマホもこの部屋にはないみたいだし、怜のやつどこいったんだ……」


「家にはいないってことは、パパにメッセージを送った後に移動したってことなのかな。だとしたら学校からここまでの30分くらいでいなくなったってことだけど……」


「それだと部屋がこんなに綺麗なことと矛盾するよ」


「だってそれしか無いじゃないですか」


 確かにそうだけど……。でも普通に考えてあり得るのか? だって壁いっぱいに血で僕の名前を書いていたんだぞ。それをたった30分で跡形もなく消し去って、姿をくらませることが可能なのか。仮に壁の文字を全部消せたとしても何かしら掃除の痕跡とか残ってそうだけど……。



「仕方ありません。一旦家に帰りましょう」


「え、学校には帰らないの?」


「どうせ今から帰っても午後の授業には間に合いませんし。それなら家でゆっくりするのが一番です」


「それは、そう……なのか?」


 美咲の言っていることは一理ある、気がする。だがどうにも僕は納得できない。確かに学校に戻れば無断で授業をサボったことで怒られるかも知れない。それでも6時間目の授業には間に合う。なら今からでも学校に行くべきじゃないか。

 そう思い美咲を説得しようと思った直後、美咲の体が僕にもたれかかる。



「つらいなら休んでいいんですよ……パパ。怜さんのこと、ショックだったと思います。でも私にとってはパパが一番大事なんです。だから……今はゆっくり休んで、また明日から元気なパパに戻ってください」


「美咲……」


 美咲の目には涙が浮かんでいた。そんなにも僕のことを思ってくれているのか。美咲は僕を少しでも励まそうとしてくれているのに僕は自分のことしか考えていなかった。娘が父親に気を利かせているんだ。ここは少しでも父親らしく、娘の言うことを聞くことにしよう。たとえ血の繋がっていない、未来から来た娘でも。



「わかったよ。今日は一旦家に帰ろう。明日になってもう一度怜に連絡して、それでも駄目だったら警察とかに相談する。もしかしたら怜のやつ、どこかに出かけてるだけかも知れないしね」


「そうですよ。前向きに考えましょう」


 こうして僕は怜の家から帰ることにした。美咲は念のため、ベッドの下や玄関の周りにスマホが落ちていないかなど調べていたみたいだけど、特に目新しい情報はなかったようだ。



 ◆



「はぁ……」


「大丈夫、パパ……大丈夫だから。ほら、こっち来て……ぎゅー」


 美咲の柔らかく細い手が僕の頭を撫でる。まるでクッションのような感触に僕は少しくすぐったくなる。

 娘にこんなことされるって、なんか変な気がするけど……いいのだろうか。



「美咲、今日はありがとう。美咲がいなかったら僕、頭がどうにかなってたよ」


「ふふ、私がパパの役に立てたなら嬉しいです。これからもいっぱい、私のこと頼ってくださいね。だって私はパパの娘なんですから」


「ああ……そうだね。美咲は僕の娘だ。今までは少し疑ってたけど信じるよ。こんなこと、未来からきた美咲じゃないと対処できないもんな」


 最初は頭のおかしい女の子と思っていたけど、違うんだ。きっと彼女は僕のために時を超えて現代にやってきてくれた正真正銘の久遠美咲なんだ。だから僕が彼女を疑う必要なんてない。美咲の言うことは全て真実で、全て正しい。僕は美咲に言われるがまま幸せな未来に向けて歩んで行けばいい。いつかきっと、本当の家族になるために。



「そうだよな、美咲」


「うん、パパが分かってくれてとっても嬉しい。大好きだよパパ」


 そういうと美咲は僕の唇に――美咲の唇を重ねてきた。親子でするのは変じゃないかと思ったけれど、小さい娘に父親がキスをするなんていうのもよくある話だ。別にやましいことじゃない。僕が子供だから分からないだけで、これはきっと普通のことなんだろう。だって美咲がやることなんだから。



「美咲……」


「パパ……♥」


 美咲の笑顔がとても輝いて見えた。口角が上がりきって、嬉しくてしょうがないといった表情だ。僕に信じて貰えたことがそんなに嬉しいのだろうか。でもまぁ子供は親に認められた時がいちばん嬉しいって聞くし、そういうもんなんだろう。


 明日になったらまたいつもの僕に戻ろう。だから今日は……美咲と一緒にいたい。

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