背中合わせの恋人1
十二月二十五日。
今日はメリークリスマスです。いつもは楓から電話がくるのだけれど、今日はだけは私から電話をしたかった。別に大した理由はない。ただ、こういうイベント事でだけは私から何かをしたいというわがまま。
ただ、楓も最近は前ほど暇人ではなくなっているみたいだ。色んな係の仕事をして帰宅する時間すらも遅くなった。
いつ頃なら楓に迷惑がかからないだろうか。そんなことを考えながらも時間は過ぎていき、病室から眺める外はオレンジ一色に染められていた。
そろそろ頃合いだろうか。そう思ったとき、コツコツとドアがノックされた。
「どうぞー」
今日は検査などは無いのだが、それでもナースさんが頻繁に患者の様子を見に来ることは当たり前だ。
「やあ、元気してた?」
「な、なんで!?」
ドアが開くと楓が現れた。私との約束がありながらも彼が現れた。驚きや約束を破られたことよりも幸せが勝って言葉になら無かった。
「なんでって。約束は約束だけどさ。僕だって約束を破りたい特別な日くらいあるんだよ」
私が嬉しさのあまり黙り混んでいると、楓は「怒ってる?」と機嫌を伺ってきた。私は首を降り、手招きした。
そして、まんまと近寄ってきた楓の首もとに腕を絡め抱きついた。
「メリークリスマス!」
触れた肌越しにも楓の同様が伝わってくる。この人は相変わらず面白い反応をする。
「話してよ。病室は抱き締め合う場所じゃないんだよ」
「楓は、相変わらずそうで何よりだよ」
「そりゃーね。そう簡単に変われるものなんて数えきれるほどしかないからね」
「んじゃ、何が変われないの?」
私が深い意味も込めずに尋ねてみると、楓はらしくなく頬を赤らめて私から視線をはずした。
「晴乃を好きな気持ち…とかは変えらんない」
楓は根本的に変わった。数ヵ月でどこまで変わったのかと言えばたかが知れている。けれど、以前よりも自分の心の声のままに言葉を選ぶようになった。
今の楓がいる学校はさぞかし楽しいのだろうと思う。叶わないと知っていても想像してしまう自分がいる。
受験シーズンに入ったら、会う時間が減って、たまには喧嘩なんかもして。けど、結局は仲直りしてなんだかんだ恋人としての関係を保っていく。そんな当たり障りのない普通の未来が私はほしい。手に入らないと知っているけれどほしい。所詮、無い物ねだりなのだとしても…。
「ねぇ!」
楓に話しかけると満面の笑みで私を見てくれる。でも、私は見逃したりしなかった。楓一瞬だけみせた暗く寂しそうな表情を。
「楓?」
「なに?」
「なんで無理をしてるの」
替えでは何も答えなかった。だから深くは問い詰めなかった。けれど、私は楓の不幸せな表情をみて気が付いてしまった。
今、彼を不幸にしている張本人は私だということに。
楓が帰宅してから一時間が経った。時刻は十八時半頃。流石の夏希も帰宅しているだろう。
私は大の親友である、夏希にお願い事をした。自分の全ての秘密を話す代わりに。
ただ、私は嘘をついた。
手術が成功する確率はほぼ無い。例え、成功したとしても私は確実に何かの後遺症を伴ってしまう。そして、その後遺症でもっとも有力なのが植物人間。つまり、永眠状態で生きていながら死んだ状態になるということ。
手術前夜。
私は楓の傷つく言葉を考えて口にした。そのあと、夏希に電話をして色んな事を伝えた。遺言みたいになっていることに気が付いた夏希には、その考えを消してもらうために強がってみた。
そして、なぜ、私がここまで生にしがみつくのかを問われて気持ちが少し壊れそうになった。本心は、楓が夏希をふってくれたから。楓はなにもしてあげられない私を選んでくれているから。
けど、夏希には適当に濁す形で伝えた。この先、生きていけるかもわからない私が、この世に残すものはあまりなくていいのだから。
そして、手術当日。
「頑張ってね、晴乃」
「大丈夫だからな、晴乃」
必死で笑顔を作る二人を見て、涙がとまらなかった。お医者さんも気を使って少しだけ待ってくれているみたいだった。だから、一つだけ二人に言っておくべき事を口にした。
「二人には悪いけど…私ね、必ず起きるから!じゃあ、またね!」
手を上げて精一杯の声で強い自分を演じた。
涙を隠すことなく、弱い自分をさらけ出した。
手術室のベッドに横たわり、マスクをつけた愛紗さんが点滴に麻酔を入れると合図をしてくれた。見上げる天井は眩しい光で覆われていて、よくドラマで見るような皆も知ってるあのライトだ。
まだ、二回目なのに歯医者さんに来ているような気分だった。不思議と落ち着いていて、生きてやろうという強い意思だけは胸の内にしっかりと秘めていた。
『楓…まっててね』
ふと、目が覚めた。
目の前には楓がいて、お父さんお母さんがいて、夏希がいて。皆泣いているけれど私は生きている。
「皆、なんで揃ってるの?」
皆は泣いたまま誰一人として言葉を発してくれなかった。けれど、これはこれでまあいいのかな。なんて思ったりもした。
それから、一ヶ月。私はみるみる回復していった。もともと私は脳に少しだけ血の塊を持っていたらしいのだが、それを取り除くために脳にダメージが蓄積されて永眠の危機だったとか。
ただ、病気のことなんてもう関係ない!
私は三年の始まりには間に合わなかった。けれど、明日から学校へ戻るのだ。
季節は夏に代わり始めたばかり。少しだけ体力に難があったがそれでも学校にいって楓と夏希と皆とまた生活できる。そう思うだけで高揚を抑えきれない。
そして、待ちに待った学校復帰の日。
懐かしい校舎の懐かしい教室に入った。何一つとして変わらないこの場所には、まだ人影はなく早く来すぎてしまったことを反省する。
けれど、人影ひとつとして見ないのは不自然だ。外を眺めても運動部が活動していない。校内も静かすぎる。気が付けば怖くなってしまった。
「誰か、いないの?」
教室をでて、声を出してみるも、私の声が反響するのみ。今日は学校が休みなのだろうか。そんな事を考えもしたが、だとすれば校門が空いているのはおかしい。
「君が遅いから…」
「キャッ!」
耳元から声が聞こえてきて、私は驚き振り返った。けれど、そこにいた楓の姿をみて私は胸を撫で下ろした。
「驚かせないでよ。てかさ、皆いないんだけど何かのサプライズ?」
笑いながら話す私とは対照的に楓は無表情を貫いていた。
何かかが違う。
無表情のまま機械かのように楓が話し始める。
「君がいつまでも寝てるから皆卒業したよ。今頃それぞれの人生を歩んでる。君は眠っていたから一瞬だったかもしれない、けどね、色々あったんだよ」
「そ、そーなの?」
「僕も君の入院費を出しながら夏希と幸せな家庭を築いた。でも、良かったよ目覚めて」
「あ、そっか。色々あったんだもんね。夏希と、ね」
別に悲しくなんて無い。そう自分に言い聞かせているのに、涙が止まらない。起きるのが遅かった私の責任なのに悔しくて仕方ない。
「ごめんね、晴乃。楓とっちゃって…」
「な、夏希!?い、いつの間に来てたの」
夏希も無表情のまま多くは語らずごめんね、とばかり繰り返していた。
「別にいいんだよ。私は二人が幸せなら」
心にもないことを口にすると、人はかなり苦しい想いをすると今知った。けれど、今の私は思い出の残党のような存在なのだからでしゃばってはいけない。
「うん。本当に晴乃が目覚めてよかった。これで入院費を払わずに済む。楓との子供を産める。あとは独りで頑張ってね。私は晴乃を応援してるよ」
「え、」
楓が夏希の腰に手をあて、廊下の暗闇へと歩いてく。待って!そう言いたかった、けれど言えなかった。だって、私の中に生まれた言葉そんなに優しくて可愛らしい言葉をじゃなかったから。
私は消え入るかのような声で囁いた。
「楓は…楓は私が先に目をつけたのに…。楓は私だけの私だけの人なのに…」
その場に腰を下ろし、両足を抱え込み私は孤独になった。この一ヶ月を思い返そうとすると両親の顔すらも思い出すことができず、ましてや、どんなリハビリをしたのかさえも定かではなくなった。
もう、目覚めなければ良かった。
私にとっては最近の出来事も皆にとっては古い過去の話。私が楓を好きになって、楓も私に好意を向けてくれていた、あの幸せなら一時でさえも今では遠い過去にしかならない。
ようやく、目が覚めてこれからちゃんと生きれるところまでこれたのに、もう、私は前を向けない。
校舎の窓を開けて、外を眺める。人影はなく相変わらず無かった。言葉通りこれが本当の孤独というやつだ。
私は自殺を決意した。
そう簡単に命を落としていいはずがない。でも、何となく分かっていることがある。ここは私の生きた世界ではない。ここには私の知ってる人は一人もいない。
何故だろうか、窓を開けて飛び降りようとするも恐怖心がまるでなく直ぐにでも死ねそうだ。
窓の淵に足をかけて空を見る。どこまでも青く澄んだ空は気持ちがよくて、死ぬ前に目にする景色にはもってこいだった。
「よし、なんか薄っぺらい時間だったけどこれで終わりにしようか」
思い切り祖とに飛び降りようとした途端、強い風が吹き荒れ、私は校舎内に押し戻された。
『良かった。本当に良かった…』
楓の声がする。
『あ?良かったじゃねーだろ。晴乃は目を覚まさねーんだよ!』
今度はお父さんの声。
『あなた、静かにして!』
お母さんも。
なんで、三人の声が私に聞こえているのかはわからない。けれど、確かに聞こえる。
『病気が治ったのなら、晴乃は絶対目を覚ましますよ』
楓、何をいってるの。私はもう起きてるじゃん。それになにをむきになってるの。
『楓君はなんで冷静なの。晴乃がこうなってること知るわけもなかったのに』
私がどうなってるの。お母さんも楓も何を言ってるのか理解ができない。それに…。
突然、脳が揺れるように動き始めた。脳が動き始める感覚なんて生まれて初めてなのにそんな言葉が的確だと思う。
眉間に針でも刺されているような痛みが走り、後頭部にはゴンゴンも重たく痛みがのしかかる。
痛い、助けて。私、本当に死ぬの…。
『正直、ここまで落ち着いてる自分が怖いです。でも、晴乃の顔が見れて安心しました。晴乃は約束通り病気に勝って生きています。生きているのならば眠りについて起きないことなんて僕はないと信じてます。なにせ、僕の知る晴乃は眠っているよりも、起きてドタバタ生活することが好きな人ですから』
あー、そっか、そういうことか。
良かった。本当に良かったよ。私はまだ起きてないんだね。まだ夢なんだね。私はまだあなたを誰にも取られてはいないんだね。
脳がぐるぐると揺れる感覚は気持ち悪くて本当に死にそうだった。これに耐えられる程の精神力が私にあればきっと、この先も明るい未来がある。負けたくない。死にたくない。楓を取られたくない。私が独り占めしていたい。
もう一度お父さん、お母さんの笑顔がみたい。
夏希ともっと、いろんなお話がしたい。
やりたいことが私にはまだ山程あるんだ。起きなくちゃ。楓か私を信じてまってくれているのだから。
薄暗い廊下の奥から、一転の光が見えた。震える脳をなんとか抑え込み、重い身体を起こし私は一歩一歩踏み出した。
踏み出すごとに色んな感情が溢れてくる。色んな記憶が戻ってくる。幼い頃から最近のことまで。
私は本当に愛されて育ってきたんだな。なんて、考えるくらいには余裕が出てきた。あと、少しで私は光の先まで手が届く。
目が眩み、視界が失くなった。そして、痛みも気持ち悪さも全てが消えた。
左手が熱い。誰かに握られている感覚だ。誰に握られているのか、気になってしまい目を開けた。
「かえ、で。あ、いたかった」
聞こえたかはわからないくらいに小さい声だったと思う。けれど、楓は目に涙を浮かべて私を強く抱き締めた。
痛い。けど、こんなに幸せことがあっていいものか。私は本当に愛されている。
この痛みの分だけ、楓は私を想ってくれていた。どれだけの時間が経ってしまったかはわからないけれど、楓は約束の場所で私を待っててくれた。
「晴乃…」
泣きじゃくる彼は私の名を呼んだ。
「な、に?」
「生きててくれて、いや。生まれてきてくれてありがとう」
上手く言葉を話せないのが悔しい。本当なら私の方から伝えたいことが沢山あるのに。でもまあ、私は要らないことまで話しすぎるから、これくらいの日もあっていいのかもしれない。
「ずっと。会いたかった、よ」
室内に沢山の泣き声が聞こえた。お母さんもお父さん、そして楓の泣き声。ナースコールの音なんて聞こえもしないのに三人のわめき声でナースさんが駆け寄ってきた。
そして、私をみたナースさんがすぐに、先生を呼びに行った。
目覚めたばかりだけれど、頭は落ち着いていて色んなことが良く分かる。
夏希…。ほらね、私ちゃんと生きてるでしょ。
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