最高の友と眠り姫(終)
互いに言い合い、想いをぶつけて友情は固くなるのかもしれない。それが気がつくと信頼になって、気が付けば大切な人になっているのだろう。
学校の敷居の外に出られた頃には、既に夕焼けがオレンジ色に染められていて。微かに匂うのは冬の香り。澄んだ空気を一息吸えば鼻先がツンの冷えてしまう。
けれど、夕日は暖かくて寒さすらも調和してくれる。
一歩、また一歩。
踏み出す先には三つの人影。右側の影は一番遠くまで伸びていて、左側が一番短い。真ん中の影…つまり僕はどちらとも言えない程、本当に中間くらいの長さだ。この差は身長の差なのだが、影にして見てみるとかなり差があるのだと思わされる。
「そう言えば、三人で帰るの初めてだな」
長らく続いてしまいそうな沈黙は一樹が壊してくれた。僕と夏希はすんなりと彼の話に乗っかっていった。
「確かにね。僕はいつもどっちかと帰ってるけど」
「へー、林田は私を避けてるってことか~」
そう言って薄ら笑みを浮かべる夏希を見たであろう、一樹はまた怯えていた。
「そ、そんなことないです」
僕の頭の中は疑問でいっぱいだが、まずはこの手短な疑問から解決していくべきかもしれないとおもった。
「あのさ、二人に聞きたいんだけど」
一樹と夏希は、なに?と声を合わせた。少しだけ鼻で笑ったあとに僕は言葉にした。
「なんで一樹は夏希に怯えてるわけ?」
僕の質問は、あまり触れてはいけない問題だったみたいだ。何故触れたら行けないのかは定かではないのだが、この場の異様な空気が僕に教えてくれた。
そして、数十歩程進み、夏希が溜め息混じりに声を漏らした。
「私を避けてんのよ。その男は」
「べ、べつに避けてねーよ!」
夏希の言葉に被ってしまうほどに素早い否定だった。思わず、肩を浮かせてしまった。
一人会話に取り残されそうな所、夏希の気遣いで説明を受けた。
「私が楓にフラれた後からこいつのこと好きになって、毎日ラブコール送ってたら怖がり出してさ、もう本当に傷付いちゃうよ」
「えーー!」
今度は僕と一樹が声を合わせて目を合わせた。
「な、なに、楓もこいつの犠牲者だったの?」
「いやいや、あの夏希が倍率の高い一樹を狙ってるの?」
僕と一樹は沈黙の末に、お互い深く溜め息をついた。
その光景を見かねた夏希が割って入ってきた。
「林田君?私に好かれた人を犠牲者にするのはやめて。杉咲も私が倍率の低い男を狙ってるって解釈違うからね?」
頬を膨らませてみせる、夏希は少しだけいつもより女の子らしくて、可愛らしかった。それにしても、一樹と夏希がこんなことになっていたとは気が付きもしなかった。となれば、聞かなくてはいけないことがある。
「で、二人はいつから付き合ってるの?」
「付き合ってねぇー!」
「え?そうだったけ?私達、もう二ヶ月は経つんじゃない?」
「経たねーよ。まだ、始まってもねーよ」
「ふーん。軽いジョークなのに必死に抵抗しちゃってさ、可愛い通り越して惨めな男」
「あ?」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。特に一樹」
一樹も夏希もブツクサ言いながらまた、歩き始めた。
話をまとめれば、夏希の片想いなのだろう。けれど、夏希ほど真っ直ぐな女の子ならば男にとってこれ程のことはないのではないか。
きっと、一樹も分かってる。分かっているから、本当に今にも引かれてしまいそうだからあんな言い方をしているんだ。
まだ、始まってもねーよ…か。
頑張れ、夏希。というよりも、もう本当はとっくに…。
「楓、人の顔じろじろみてんじゃねーよ」
「あ、ごめん。何となくね」
本当は一樹も夏希が好きなんじゃないか、そんな考えが浮かんでくると次第に笑えてきてしまった。僕が笑うと一樹は怒るのだが、夏希も一緒になって笑うと怒らなかった。
何も知らなければ、怒らなかったのではなく怒れなかったのだという解釈になり得る。けれど、何となくわかってきた。一樹が夏希に弱い理由。それはきっと…。
★★★
一樹と夏希と別れてから一時間ほど経過した。日はまだかろうじて顔を出していた。けれど、時期に見えなくなっていく。まだ、季節的には秋なのだろうが、日の傾く時間帯は夏場に比べ圧倒的に早くなった。
時刻は十八時。
ここへ来るのは、一年ぶりだろうか。
いつみても、どんな大病も治してしまいそうなくらいに立派な病院だった。踏み入れることすら少しだけ躊躇ってしまう。けれど、院内に踏み入った僕は颯爽と面会受付を済ませようとカウンターへ向かった。
前回は夏希が全部やってくれたが、今回は僕がやらなければならない。けど、前回と違って僕は晴乃のお母さんのことを知っている。それだけで心強かった。
「すいません。面会したいんですけど…」
「はい、患者様のお名前、もしくは病室番号をお伺いしてもよろしいですか?」
受付のお姉さんは、にこやかに応答してくれた。
「はい、日暮晴乃さんです」
「少々お待ちください」
お姉さんは手元のパソコンをカチカチといじりはじめ、数秒で顔をあげた。
「日暮晴乃様の面会はご親族の方の了承が必要になりますので、只今確認して参ります。恐れ入りますがお名前よろしいですか?」
「杉咲楓、です」
「杉咲楓様ですね、もう少々お待ちください」
数口にして、お姉さんは席をたち何処かへ行ってしまった。僕はどれだけ待たされるのだろうか。実のところ晴乃に漸く会えるというだけで心臓はバクバクだ。
数分が経ち、カウンターのお姉さんが戻ってきた。そして、その横には晴乃のお母さんがいた。
慌てて会釈をすると、スッと僕に近寄り「少しだけお話しましょうか」と呟かれた。僕は頷き、晴乃のお母さんと休憩室に入り、近くの椅子に腰を下ろした。
途端、震える声が僕の脳裏に鳴り響いた。
「なんで、なんで約束、守ってくれなかったの?」
「約束…。ごめんなさい。口で言うよりも簡単ではなかったです。僕はどれだけ晴乃さんに拒まれようとも毎晩やり取りをするつもりでした。でも…嫌われたくなかった」
嘘ひとつない真実だ。僕は連絡を取らなくなってからも毎晩、晴乃に電話を掛ける一歩手前まで指を進めるのだから。
晴乃のお母さんは「違う」と呟き、僕の腕を力強く握った。
「あの子は、大好きだった楓君からの電話で嫌がったりしない。そんなの楓君が一番分かってるじゃない。楓君自身の弱さの言い訳に晴乃が丁度良かっただけでしょう」
晴乃のお母さんの言葉は怒っているように聞こえるが声色は決して怒っていたりするようなものではなかった。何処までも温かくて、初めてあったあの日と変わらない優しい人。
「そ、そんなこと…ありますね」
そんな、優しい人を前に僕は自分を正当化し続けることがアホらしく思えてきた。
「でも、いいのよ。正直に言ってくれるあなたは自分の弱い部分も理解してる。今さらこんな叔母さんに言われなくともあなたは本当に立派よ。それに、私が一番言いたいのは楓君自身の幸せを見つけてほしいって事なの。もう、晴乃に執着しなくていいのよ。あの子があなたの重荷になる姿を私も、あの子自身も望まない」
え…。何それ。どういう事?
僕が感じた疑問を口にする暇もなく、晴乃のお母さんは僕の頭を撫で下ろし優しく呟いた。
「一年間。晴乃のために色んな辛い思いもして約束を果たす努力もして、そしてここまで来てくれた。もう十分だよ。これ以上は楓君のご両親や、楓君自身に申し訳ない」
涙をこぼしながら話す、晴乃のお母さんをみて思った。僕はこの人の涙ばかり見ている。晴乃を強く想う気持ちが、この人を何度も泣かせている。
大切な娘が大病におかされているのは心底苦しいのだろう。
それに、一つだけ分かった事がある。
ここへ来る前から薄々は覚悟をしていたことだが、いざ泣きじゃくる晴乃のお母さんを目の当たりにすると僕自身、踏みいることが悪いことかのように思えてしまう。でも…。
「晴乃さんは自分勝手すぎますよ。それで、僕と晴乃のお母さんは甘すぎます。実は、つい一、二時間前に大切な友達と喧嘩をしたんですよ。晴乃を引っ張っていけるような人間になるためだけに、変わり続けた僕と一緒に、変わり続けてくれた大切な友達と」
晴乃のお母さんは、黙り混んで僕の話を聞いてくれる体勢をとっていた。
上手く纏められるだろうか。上手く伝えることができるだろうか。僕の意志は間違ってはいないだろうか。想いを口にすることに不安は沢山ある。けれど、僕はもうあの二人から学んだんだ。別に否定されたって構わない。自分の幸せのために、時には誰かとぶつかることだってあるんだ。それならば、晴乃のお母さんの反応なんか気にするな。口を開け。
「言われたんです。晴乃のために頑張る僕が苦しむのは、納得いかないって。友達だから、僕の事も晴乃同様に幸せになってほしいって」
「それは、夏希ちゃん?」
晴乃のお母さんの問いに頷き、僕はまた話し始める。
「僕はもっと自分の幸せも願えるような人になれなきゃいけなかったんです。そんなの口で言うほど簡単ではないです。だから、まず僕の望む一番の幸せを考えました…。それはどんな形であれ、晴乃という一人の女性に尽くすこと。僕は、誰かに愛されていれば、誰かを愛せれば生きていける。それが晴乃以外だって大丈夫なんだって分かってます。けど、理屈じゃなくて意思の問題です。僕は晴乃がいい…それだけです」
実の母親にそんなことを口走るのだから、僕の頭は相当イカれていると思う。気持ち悪いと思われていても仕方がない。どこまでも気持ち悪くて愛に溺れているような、荒んだ気持ちが僕の本心なんだから。
こんな気持ち悪い僕を並みの人間としてあしらえるのは、後にも先にも晴乃一人だけだから。
晴乃のお母さんは大きく深呼吸をして「晴乃とはお話をさせてあげられない」と呟いた。
やはり、出直してまた来るしかないのだと諦めそうになった。けれど、ここで退いてしまえば今度はいつになることか。考えるだけで怖かった。
「でも、僕は晴乃に会いに来たんです」
「だから、話は出来ない。それだけよ。ついてきて」
晴乃のお母さんは、力ない言葉に力ない足取りで休憩室を出た。トツトツと廊下をゆったり歩き、僕はその後ろをゆっくりと歩いた。
エレベーターに乗り込み、晴乃のお母さんは九階のボタンを押した。そして、二人だけの沈黙の間が始まった。たったの数十秒なのに、物凄く長く感じて仕方がなかった。
そして、九階につきドアが開くと晴乃のお母さんは確認するかのように僕に問う。
「何があってもあの子を晴乃を哀れまないで」
「はい」
どういう意味なのかは分からなかった。
それからさらに数秒ほどで晴乃のいる病室に着いた。緊張と不安で視界がいつもより狭まった気がする。
晴乃のお母さんがドアに手をかけ開くと、中から男の人の声がした。
「晴乃の友達は、追い返せたの…か?」
目が合ってしまった。途端に鋭い眼光で晴乃のお母さんが睨まれているのに気がつく。
なんだ…この違和感。
「お前…晴乃には俺とお前だけしか会わないようにしようって決めたじゃないか。それもお前が言い出したことだろ!」
「わかってるわ」
突然の罵声にも物怖じしない晴乃のお母さんは、またしても泣いてしまいそうな、そんは表情をしていた。それがいつかの晴乃に被ってしまったからなのかな。僕は晴乃のお母さんを庇うかのように二人の間には入った。
そして、綺麗な顔で眠っている晴乃には視線を落とし、言葉を漏らす。
「晴乃は今眠ってるようですね」
その一言に晴乃の父親であろう男の人は「今?」と強ばった声をあげた。そして、直ぐに言葉を付け加えた。
「今じゃなくて、ずっとだよ。病気は治ってんのに身体がもたねーなんて話、本当にあんのかよって感じだよな…。ほら、分かったらさっさと帰れ、晴乃はおしゃべり一つも出来なく…」
途中から何を言われているのか聞こえては来なかった。ただ、病気が治ったと聞いて嬉しくて嬉しくて堪らなかった。そして、気が付くと僕は静かに眠る晴乃に抱きついていた。
「良かった。本当に良かった…」
「あ?良かったじゃねーだろ。晴乃は目を覚まさねーんだよ!」
「あなた、静かにして!」
眠ってる晴乃が横にいるのにこの両親は本当にうるさい。そんかことを感じて一つもわかった。それは、僕が病室に踏み入った時に感じた違和感の答えだ。
恐らく、僕の考え方と晴乃の両親の考え方は異なる。それこそ、晴乃の両親は現実的で、僕は感情にまかせるだけの無根拠な自信。
「病気が治ったのなら、晴乃は絶対目を覚ましますよ」
そんなの二人だってはじめは思っていただろう。けれど、日が経つほどに眠ったままなのではないかという、思いが大きくなってしまった。
「楓君はなんで冷静なの。晴乃がこうなってること知るわけもなかったのに」
晴乃のお母さんからの問いにすかさず答えた。
「正直、ここまで落ち着いてる自分が怖いです。でも、晴乃の顔が見れて安心しました。晴乃は約束通り病気に勝って生きています。生きているのならば眠りについて起きないことなんて僕はないと信じてます。なにせ、僕の知る晴乃は眠っているよりも、起きてドタバタ生活することが好きな人ですから」
そう口にして、晴乃の手を軽く握ってみた。けれど握り返してくれることはない。
それでも、悲しくなんてない。晴乃のためだけを思っていた数時間前ならばきっと僕はショックのあまり気絶まであり得ただろう。でも、僕自身のことも考えるよう、あの二人に言われたからもう大丈夫だ。
僕は、君さえ生きていれば何年でも何十年でも待っていける。
今この瞬間にも、一つも分かった気がする。
愛とは、時に自己犠牲にすら見えることも幸せに感じてしまう。
たった一人の女性を愛するだけで、この世界は違った景色に変わりゆく。
これは、最良の友と今は眠ったままのお姫様が僕に教えてくれたこと…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます