最高の友と眠り姫4
口にすることは躊躇ってしまうような恥ずかしい本心を紙になら書くことが出来た。これを読む晴乃の顔を想像しながら書き続けるのはとても楽しくて、凄く自分に酔っているような感覚だった。
「何書いてんの?」
「うわっ」
「うわってなんだよ。俺らのこと待っててくれたんだろ?」
「あーうん。どうだった?」
少し前に想像した展開がやってきたことに驚きはしたが、すぐに平静を装い二人に初クラス委員の仕事を聞いてみた。
いや、二人ともクラス委員の経験はあるらしいから久しぶりのクラス委員の仕事について聞いてみた、というべきなのだろう。
「あーまあ、うん」
林田君は曖昧な返事をした。表情はどこか暗くていつものイケイケムードが丸でない。
それに対して、福森さんは上機嫌という感じだ。浮かべる笑顔に鬼の形相が隠れてやしないような素直なものだった。
それが、なんとなく不思議に思い福森さんにも話をふってみた。
「福森さんはどうだった?」
「ん?まあ、、悪くないねって感じかな」
「その割りに随分と機嫌がいいね!」
あら、そう?と冗談めかして福森さんはふふっと息を漏らすように笑った。
僕が首を傾げていると、福森さんは「ところで」と話を切り出してきた。
「杉咲の書いてるそれは何?」
「あ、これ?」
僕が手紙を指さすと二人はこくりと頷いた。数分前はバレたらバレたで構わない程度だったのだが、今はなるべく恥ずかしくない文章にするために読んでもらうべきだと考えていた。だから、簡単に差し出してしまった。初めに手に取ったのは林田君だ。
「うわっ。この時代にラブレターかよ。全く笑えねー。書いてる内容読んだらもっと笑えねー」
「え、変なところあったら言ってよ。直すから」
林田君は手紙を福森さんにも手渡し、僕の目を見てくすりと笑った。そして、僕を馬鹿にするかのように「訂正不可能」とだけ告げてきた。
「晴乃に変だと思われたらどうすんだよ」
「あの人は、元から変だろ。楓の事を好きになった時点で」
あー確かに。なんて頷いてしまいそうになる首を気合いで止めて、「そんなことないから」と言い切った。
それを見て、林田君はわははと結局大笑いだった。
べリッ、ベリッ。
紙を切る音がして、僕らは福森さんの方に視線を向けた。その最中、林田君の顔が視界に入り彼が大きく目を見開いているのが分かった。
そして、僕も同じくらいに目を見開いているだろう。
「おま、何してんだよ。頭…イカれてんのか?」
林田君は力なく震える声で福森さんへの嫌悪感をあらわにした。口は悪かった。けれど、この場合林田君が何も言わなければ僕が言っていた可能性すらある。
両手に破れた紙をもった福森さんは僕のもとに歩みよってきた。眉に皺を寄せて怒っているようだ。本来ならばぼくが怒る立場だというのに、福森さんは何に腹をたてているのか。
その答えを考える間もなく、福森さんは口を開く。
「いい加減にして。なんで会いに行かないの?演説に負けたから?約束があるから?その約束はいつになったら果たせるの?この紙に書くほど晴乃を愛してるのに、なんで踏み出す勇気はないの?この一年で杉咲は沢山の人に認められてきたじゃん。変われたじゃん。それなのにまだダメな理由は何?」
沢山の問い詰められ、困った僕は林田君に視線を向けた。けれど、彼もそういうことか…と言わんばかりの表情で僕を助ける気など無さそうだった。まあ、この場を福森さんを回避する手立てなんて元から何もありはしないのかもしれない。
僕は僕なりに福森さんの問いに答えることにした。
「演説に負けたから…その通りだよ。確かに林田君や福森さんが言ったように僕は一年間で晴乃を迎えに行ける価値のある人に近付いたと思うよ。でも、僕は半年前に晴乃から拒絶されてるんだよ。僕はまだ人として成長しなくちゃいけない。晴乃を一生支えられるくらいの立派な人間にならないといけない。それまでは絶対に会えやしないんだよ!」
なぜ会いに行かないのか?会いに行きたいのを我慢してるからに決まっているだろう。僕が情けないから入院中の晴乃でさえも傷付け続けてしまったんだ。
それなのに中途半端の僕なんかが会えるはずないじゃないか。晴乃の求める理想の男になれないようじゃ、会う資格にはならない。だから、僕はそのために。そのためだけに…。
「ねえ」
福森さんが小さな声で呟き、僕は少しだけ鋭くなってしまっているかもしれない眼光を彼女に向けた。僕の視線を浴びて一歩後ずさる彼女を見て分かるのは、僕の眼光は思っているよりも鋭く酷いものだということだ。
福森さんは息を呑み、ゆっくりと口を開いた。
「杉咲楓…。あんたは一番ダメなところが変われてないんだね。それに気が付けもしない」
「どの辺が?僕はダメなところをなるべく減らしてきたじゃん。致命的なものはないでしょ。皆のためにハズレくじも引いてきたし、皆と楽しむときにはたくさん楽しんだ。高校生のノリとか言うのにも合わせてきた。コミュニケーション能力や信頼だって以前よりも…」
「そうだよ」
林田君が僕の言い分に割って入ってきた。というよりは福森さんを論破してくれるのだろうか。そんなことを思って、一瞬で違うと分かった。
彼が、福森さんじゃなくて僕と向き合ったからだ。それがどういう意味なのか分からない僕じゃない。彼のそうだよはきっと、福森さんの言葉を後押ししている。
「楓、もういいんだよ。たぶん、もういいんだよ。お前はいっつも他人の事ばっかり気にして、自分の事ばっかり犠牲にする。それを優しさだなんて思ってたけどさ、お前のは度がいきすぎてんだよ」
「そんなことないよ。そんなこと言ったら僕は晴乃に見合う人間になるためだけに皆を利用してるようなものじゃん」
いつになく悲しげな表情を見せる林田君を前にすると心のざわつきが収まっていくのを感じた。
僕の言葉を否定するかのように福森さんも口を開く。
「じゃあ、杉咲に利用された皆は助かってるのに。利用した側の杉咲はなんでそんなに苦しそうなの」
「別に苦しくなんて…」
「苦しくないなんて言えねーよな。俺は底の浅い人間だからお前から手紙を手渡されたとき素直に、気持ちが届けばいいな、なんて思ってた。けどそれじゃダメなんだよ。俺らは納得しない」
林田君の言葉足らずな部分を補うかのように、福森さんが話し始める。
「うん、納得いかない。晴乃を通しての関わりだった頃ならこれでも良かったかもしれない。けど、二年間も同じクラスになって必死に変わっていく杉咲を見て私も林田も変わってきた。もう、分かってるでしょ。私達は、もう晴乃あっての関係なんかじゃない。杉咲の築き上げた人間関係に晴乃は関係ない」
「福森さんは友達の事をよくそんな風に言えるよ、関係ないだなんて…。晴乃がいたから、君の友達がいたから僕は独りぼっちじゃなくなったんだ」
全部、晴乃が根底にいる。晴乃がどうするのかを考えて行動してきた僕には晴乃という人間性を真似していたにすぎない。
それに、そもそも僕は手紙を破られたことに腹を立てているんだ。林田君も福森さんも話をそらしすぎてるんだよ。
「杉咲。私は晴乃の友達だから晴乃の幸せとか色々と願ってるよ。女の友情って恋と紙一重なんだからね」
「じゃあ、何でだよ!」
そう言って、微笑む福森さんに対してつい声を荒げてしまった。けれど、福森さんの笑顔に一切の曇りはなかった。
「簡単な事だよ。私と林田はさ、とっくに杉咲の幸せも考えるようになってんだよ。幸せを願うとか、少し大袈裟かもだけど、友達が頑張ってるのに報われない姿なんて見たくない…。杉咲は頑張った分だけわがままになっていいんだよ?もっと自分の気持ちを剥き出していいんだよ?」
言い返す言葉が沢山、沢山脳裏に浮かんでくるのに口を開くことができない。別に、福森さんの目から涙が数滴流れたからじゃない。
じゃあ、僕は何で何も言い返せないのだろうか。
「楓。お前は俺に恨みすらあっていいのにそんな感情に囚われず、俺とも接してくれた。初めはうざかったけど、思い通りにならない事に挑むお前を見て気付かされたよ。他人を見下して。全部、自分の思い通りになると思ってて、ならなかったら腸煮えくり返る感情が止められなくて。そんな弱い人間が俺なんだって。人より抜けた才能がないけど必死でぶつかって現状を少しずつ変えていく強い人間が杉咲楓なんだって。日暮晴乃がバスケよりもお前をとった理由がはっきりと分かった気がした。なんていうか、言い出すと止まんないんだけど…俺は!」
何で…。何でなんだ。林田一樹という人間は、バスケが上手くて男女問わずに人気者で後輩からも憧れるような人間で、それでいて自己中心的な一面を持ち合わせた僕の嫌いなタイプじゃないのか。それなのに、なんでここまで熱い言葉が彼の口からあふれてくるんだ。
なんで、林田君の言葉に瞼が熱くなってくるんだ。何かくすぐったいものが頬を伝う感覚。
思い返されるのは福森さんと林田君の言葉。そして、二人と過ごしてきた晴乃のいない日々。
些細な喧嘩もあった。本気で笑うことで腹部が重くなったりもした。そういえば、いつからだっけかな。福森さんに対して林田君が弱くなったのは。
そういえば、林田君って周囲にいじられるような人じゃなかったような。
そうだよね。僕は何もわかってなかった。今、二人が散々言ってくれたのに理解していなかった。
知らず知らずの間に僕が変わっていったように、二人も変わっていたんだ。だから、福森さんは僕を好きだと言ってくれた。だから、林田君は僕の事を楓と呼んでくれるようになった。
二人は僕に僕自身を大切にしろって怒ってくれたんだ。それなのに僕は何も理解せずに、いつまでも破られた紙切れの事に意識を向けていた。本当に僕はバカだ。察しが悪すぎる。
「一樹。夏希。ごめん。僕は二人の意見なんか理解せずにいつまでも、その紙切れの事に腹をたてて本当に馬鹿だと思うよ」
いつの間にか、涙を拭っていた福森さんはあははとわざとらしく笑って見せると「もっと自分の事も想って」とだけ呟いた。
僕は頷き、涙が地面に落ちる瞬間を目の当たりにした。俯いたところから顔をあげるのが怖くて、頭が重くて。僕は本当にどうしようもない。
二人に優しく肩を叩かれると頭がスッと軽くなり、簡単には顔をあげることが出来た。二人の微笑んだ顔を見れて安堵してしまう。
あー、僕は本当にどうしようもないくらいに人を愛しすぎてしまう。今だけは晴乃を差し置いて、目の前にいて僕を支え続けてくれた二人が愛おしい。
僕らは、恥ずかしくて大切な一時をこの教室の静寂と共にここへ置いていくことにした。
鞄を手にし、泣き顔を誰かに見られぬよう三人で学校を後にした。
校門を出たとき、胸の中につっかえていた何かが透き通っていくような感じがした。
二人がいなければきっと、この胸の突っかかりにすら気が付けなかったのだろう。
今少しだけ分かった気がする。僕の生きる理由は、晴乃に限った事じゃないのだと。生きるとは愛すること。
じゃあ、愛とは何か。疑問がなくなれば新たな疑問が生まれる。そんな時、やっぱり晴乃の悩む姿が目に浮かぶ。
僕は晴乃のためじゃなく、自分のために晴乃と話し合ってみたい。生きる理由の先に生まれた、愛とは何かという掘り下げても掘り下げても堀足りない難題を晴乃と解いてみたい。心の奥底からそんなことを思った。
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