仲直り1

 声援や歓声、なにもないはずの校庭にはたくさんの声が飛び交っていた。どんな熱い想いを持ってようが天気に左右するはずもない。


 だが、周囲は少なからず思っていることだろう。皆の気迫が天気を晴れにしたのだ、と。


 そんなわけないが、そうなのだとするならどうしてくれる。夏がすぐ目の前まできている時期の太陽を直射などしていればなにもしていなくても体力を根こそぎ奪われる。


 そんな事をずっと思っていると体育祭も終わりに向かっていく。

 その証拠に僕は昼食もとりおえていた。


 僕の学校の体育祭ではお昼ご飯を全体で食べたりはしない。

 自分の出ていない種目の時間で勝手に食事をとる。ただ、ひとつ目安としてクラス対抗リレーの予選が始まる午後一時までには皆が昼食をとるように言われている。


 その予選がこれから始まろうとしているのだが、僕は出ないのだから関係ない。ただ、願うことしか出来ないのだから。


 今さら自分の承諾した口約束に後悔した。それでも、自分で走るより他人に走ってもらった方が勝てるに決まっている。だから、これで良いと思えた。


 座席に腰を下ろしたまま入場していく一年生を眺めていると、誰かが僕の隣の空席に腰を下ろした。視線を向けた先には帽子をかぶった福森さんがいた。


 僕がなにか目をつけられるようなことをしてしまったのだろうか。そんなことを考えていると福森さんは話し出した。

 

「本当に出ないつもり?」

リレーを指して話していることが容易に理解できた。

「約束したし、願ったり叶ったりだよ」


 福森さんはふふっと笑ってから僕の軟弱なあばらをバスケ選手の鋭い肘で打ち付けてきた。


「杉咲、走れよ。友達の尻拭いは友達がするっていうのが礼儀だ。仁義だ。人の歩む道だ」


 福森さんが何を言いたいのかさっぱり理解できずに首をかしげていると言葉の補足をくれた。


「晴乃が休んだんだからその枠は杉咲が走れっていってんのよ」

「そういうのは僕らが勝手に決めることじゃない」

「でも、本気でやるんでしょ。誰のために?それが晴乃のためじゃなくて、自己満足だとしてもやるべきだよ。言っとくけどもう、クラスじゃ杉咲が走ることになってるから」


 あまり驚きはしなかった。

 それがなぜなのかわからない。でも、だからといって気持ちが高鳴ったりはしない。僕が走ることで勝機が薄れていくのだから。


「僕が走るより他が走るべきだって伝えといてよ」

 そう口にしてから視線を一年生のリレーに向けた。すると、頭のてっぺんに鈍い衝撃が走った。


「いったっ」

 この痛みの原因は握りしめられた福森さんの拳にあるのだろう。


「負けたら杉咲のせい。そう思うのはいいよ、でもそれならさ、勝ったら杉咲のおかげでもあるって思ってよ。少しは自分を認めてやりなよ」


 ここまで僕に付きまとう理由がなにも思い浮かばなくて本当に困る。

 日暮さんとの、縁を切れたと思ったら今度はその友達にめをつけられている。そして、また追い払えないなんて本当に弱い。


「一年くらい前の丁度このくらいの時期にさ私の大切な人が言ってた。人の素晴らしさで大切な第一歩は想うこと。人って生き物は常に行動を間違える。それでも、想うことが出来るのならその人の行動はどう転んでも正解なんだよって」


 夏間近の強い日差しに体力を削られつつも耳を傾けてはいた。その言葉になにも感じないわけではないし、共感できないわけでもない。


 そう思っていると目の前を走っていた一年生の一人が派手に転んだ。こんなにたくさんの人に見られながら転ぶのはさぞ恥ずかしいだろう。


 たぶん、僕なら恥ずかしくてうすら笑みを浮かべ誤魔化したりしているのかもしれない。けど、転んだ彼は最後まで真剣に走り抜けた。


 バトンを渡す頃にはビリになっていた。

 けど、時に人は伝染する。バトンに乗せられた一人の想いが次へ次へと繋がっていく。


 前を走る一人を抜き去り、その前を抜く前にバトンを繋ぐ。そうやって二位までこぎ着けていた。その、クラスのアンカーを勤めているのはいつだかの自販機の一年生だった。


 すぐ後ろに一人、抜けそうな距離に一位が一人。

 こんな状況下で本調子になれるわけがない。緊張とかを考えただけで足がすくむ。


 それでも、自販機の一年生は。いや五代君は笑みを浮かべ前だけをみていた。

 その走りに心が揺れた。

 その燃えたぎるような表情に感化された。


 気がつけば僕は座席から重たい腰をあげていた。

 福森さんに連れられクラスに合流し、ようやくこのときが始まりだす。


 走る順番がくるまでは座って待機なのだが、その時の緊張感というのはやはり想像を越えてきた。胸の鼓動が脳に響き渡り、足や手は寒くもないのに震えている。


 頭の中がボーッとして福森さんが僕を連れ出したときにどんな表情をしていたのかさえ分からなくなった。


 やがて、火薬音が鳴り響きスタートした。

 一走目から三走目の間で僕のクラスは一位に躍り出たのだが、その直後から徐々に抜かれ始め僕の出番になったときには五代君と似ている状況だった。


 前には二位のクラス。すぐ後ろには四位のクラス。

 頭のなかではついていかなければという言葉しか思い浮かばなかった。


 それでも遠く離れていく背中にいつかの風景を重ねてしまった。

 いつか、だなんて遠い話じゃない。一昨日の朝、僕のもとから遠退いていった小さな背中。最近、追いかけ始めていたはずの逞しい背中。


 追い付くだけじゃ何も変わらないじゃないか。

 最近は僕が前を向くとき、いつも君が僕の近くにいた。


 いや違う。僕が君の影のようにくっついていたんだ。そんなことわかっていた。でも、これ以上の変化を僕は恐れた。


 何か理由をつけて大切な場面でいつも逃げる。


 膝の傷口は思っていたよりも痛くは無かったが、体力的にまた転んでしまいそうに思えた。


 それでも、ダメなんだ。僕は日暮さんに教わった事なんか追い抜いて行かなくちゃ、本心から過去を肯定してやれない。


 生きる理由を見つけられない。


 僕が次へとバトンを渡したとき、足がついに限界を迎え力がつきるように崩れ落ちていった。

 前に視線を向けると二位のクラスと並んでいた。距離を保ったまま繋げたことに安堵していると福森さんが肩を貸してくれた。


「ほら、そこは邪魔になるよ」


「どうでもいいけど、僕に肩を貸してくれる男子はいないわけ?」


 普通はこういった力仕事の場面の王道キャラクターと言えば男だ。その役目を女である福森さんがやるというのは明らかにおかしい。


 そう思って聞いてみただけなのだが、福森さんは目を丸くして、そのあとすぐに笑みを浮かべた。


「晴乃は男子から人気あるから。あと杉咲って暗いし、夜な夜な藁人形とかに釘打ち付けてそうだから近寄りがたいんだよ」

 日暮さんとは違った、気持ちの良い静かな笑顔だった。それでも稀に見る程の毒舌ぶりだった。


 そんな福森さんをみて僕は不覚にも笑みをこぼした。

 膝はいたいし、今回は口からも血が出ていた。汚れもしたし最悪なはずなのに、どこか気持ちがよかった。


「福森さん…」

「なに?」


 借りていた肩から離れ、僕はタイミングを逃さぬよう口にした。

「今なら言っても良いと思うから教えてあげるよ」


 福森さんは子首をかしげ「何を?」と呟いた。


「リレーで優勝したら福森さんと仲直りしたいんだって。日暮さんは意外とプライド高いからこういう機会でもないと言えないんだよ。ごめんねって…」


 火薬音がパンパンと二回鳴り響き、リレーは終わった。そのタイミングで福森さんは笑みを浮かべた口を開く。


「知ってたよ。それにね、悪いのは私だから…」

 僕らのクラスが二位で予選敗退となってしまったことをアナウンスで知り福森さんは今一度言葉にする。


「リレーの勝ち負け関係なくさ、私から晴乃の所に行くよ」


 その言葉は嬉しそうに高揚していて、二人の関係を心から羨ましいと思った。

 だけど、僕もいつかはこんな友達を見つけてやる。と、そういった希望を抱いていた。

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