不可思議の本気(終)

 重たい瞼をあげても、日の光が入ってこないことに気がつき天気が晴れてはいないのだと知った。


 カーテンを開け、窓の外をみるとどんよりとした厚い雲がかかっていた。




 雨は降りそうにないのだが、晴れそうにもない。昨日という日にとってはとてもちょうどいい天気なのかもしれない。




 そんな事を思いながらも着替えていると部屋の扉が勢いよく開いた。その先には満面の笑みを浮かべた時子叔母さんがいた。




 手にはお弁当らしきものを持っているようだ。その格好をみて分かることは本当に僕の体育祭を見に来るということ。




「せっかくの晴れ舞台でなにしけた顔してんのさ」


「晴れ舞台じゃないよ。僕みたいなのは全ての競技においてビリをとる。だから結果的には公開処刑みたいなもんさ」




 時子叔母さんはうひゃひゃと大笑いしてからお弁当らしきもの…いやお弁当を僕に差し出してきた。




「はい。これ昼にでも食べな」


「ありがと」


「懐かしいもん入れといたからこれ食ったら元気出るぞ!」




 食べ物で元気が出るほど僕は食に長けてはない。それでも元気が出るというのなら少しばかりは気になるが、そろそろいかなくてはいけない。




 弁当の中身はお昼までお預けだ。




「じゃあ、もういくから。見に来てもいいけど話しかけたりはしないでね」


「了解!」


 ビシッと敬礼をしている時子叔母さんに少しばかり元気もをもらった。




 家族って本当に良いものだ。どん底にまで落ちそうな時に必ず引っ張りあげてくれる。僕は結局のところ変わる必要なんて無かったのかもしれない。




 僕には家族がいる。大切に思ってくれる人がいる。




 外に出ても暑さは感じなかった。だから気持ちよくも悪くもない本当に丁度いい感じだ。


 好かれも嫌われもしたくなかったあの頃に戻ったみたいだ。




 それが良いのか悪いのかは分からないが、一つだけ言えることがあるとするのなら、それは僕自身が僕でいられているということ。




 普段よりも少し人が減っている電車に乗り、高校の最寄り駅に着くと、駅には同じ高校の生徒が多数集まっていた。




 日本人はなぜ集団での行動を好むのか、それが悪いことだとは思わないし、その理由も今ならなんとなく分かる。




 独りよりも二人の方が二人よりも三人の方が互いを守り合える。弱い自分を認め、他人に頼る強さを持ち合わせているのだろう。それが日本人のよいところだと僕は思う。




 それでも、僕にはそんなことできるはずもなく独りを貫き続けている。


 現時点での僕の生きる理由…それは、生まれてきたから。それだけだった。




 校門を潜り校庭に組ごとに並べられた自分の座席に腰を下ろす。日が出ていれば今頃僕は死んでいたかもしれない。いや、現実的に言うのならば保健室のベッドの上。




 独り黙って空を見上げていると組ごとの円陣が開かれていた。無論、僕は参加しおくれてしまった。それを良く見る人は絶対いないが、特別悪意を抱く者もいなかったと思う。




 それほどまでに僕は目立っていなかった。


 緑色の鉢巻を頭に巻き付け、開会式を迎える。暑くはないと言えど立ち続けることは酷だ。なぜ学校の先生方は諸事情を永遠に話そうとするのだろうか。そういったことで一時の憎しみすら抱いていた。




 開会式を終えるとすぐに組ごとの徒競走が始まった。


 この徒競走で僕は足がもつれ転んでしまった。膝からは血が出ていて口のなかには砂が入ってきた。




 さっさと保健室へいってサボろうと思った。だが、保健室は保険委員と担当の先生が受け持っているためゆっくりしてもいられない。




 なによりもゆっくりしていられないのは、その保険委員が福森さんだったからだ。


 僕と目が合い彼女は口を開く。




「見てたよ。派手にいったね」




 この状況で無視などすれば嫌われてしまう。嫌われることは僕のするべきことではない。そう思い僕は笑みをこぼす。




「ま、まーね」


「そこ座んなよ」




 顎をクイっと使い、座席に座るよう指示された。その怖さから座席に着いていても緊張が溶けない。というよりかえって緊張している。




「晴乃休みだってさ」


 突然、そう告げられた僕は自分のせいで…と一瞬思ってしまう。だがそんなことはない。自意識過剰すぎる自分に嫌気すら、わいてきた。




 そんな僕が話し出すよりも早く、福森さんは寂しそうな笑みを浮かべて話を続けた。




「晴乃にね言われてたの。リレーで優勝したら話したいことあるってさ。それなのに一昨日は負けてもいいとか言い出すし、今日は来ないし」




「最悪だな」




 適当に話を合わせようと思い口にすると福森さんは僕をみて首をふった。




「違うよ」


「…」


「晴乃はようやく好きな人を見つけたんだよ。心から愛せるような人を。だから、その人のためなら自分のことなんて二の次でいいんだと思う。なんか、そういう晴乃をみてるとさ、悔しいけど私なんかがとやかくいう権利ないんだなって…勝手に負けちゃったよ」




 はははと声だけ笑って見せた。もっと、ピリピリしてる人なのかと思っていたが案外そういった人ではないのかもしれない。




 それでも福森さんは悲しげに呟く。


「優勝したらなんだったんだろう…ね」




 君と仲直りするつもりなんだよ。そう言いたいのに言ってしまうのはなんとなくいけない気がして声にならなかった。




 窓越しに聞こえてくる完成の声。それよりも劣ってしまうかもしれないが僕は言葉を選び口にする。




「勝てば分かるんじゃない?約束したんでしょ?」




 曇っていたはずの外から二人だけの保健室の空間に光が差し込んだ。その瞬間思ってしまった。




 勝てば日暮さんへの恩返しになるのだと。僕と二人の口約束なら向こうになっていたこの賭けも福森さんが加わっているのなら話は変わる。




 僕のとった行動が結果的に僕のリスクを無くし、日暮さんが福森さんと仲直りするだけの賭けになっていた。


 もはや賭けとも呼べないが、それでも今日のリレーで勝つことこそが恩返しになるかもしれないのは確かだ。




「なんか分かんないけどさ、僕は少しだけ本気でやってみるよ」


 突然の決意表明に福森さんは驚くことすらなく、微笑み、呟いた。


「なんか分かんないけどさ、杉咲って良い奴だね。晴乃が庇う気持ち、少し分かるよ…」




 静けさが満ちるなか保健室から出るとき、背中に声を感じた。その声はクラスメイトからもらった初めてのエールだった。




 頑張ろうね。




 それだけの言葉に胸が熱くなり、やってやろう。なんて、浮わついた気持ちにさせられる。


 きっと、そんな気持ちになったのは『頑張れ』じゃなくて『頑張ろう』だったから。




 福森さんは他人事じゃなく、自身も含めて言ってくれた。それが仲間っぽくて妙に嬉しかったんだ。




 不可思議な気持ちではあるが、僕は決めたんだ。


 本気でやってみよう。

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