不可思議の本気3
水曜日とは僕が最も嫌う曜日だ。だからこそ、水曜日というだけで五月病にすらなり得る。
普段通りの電車にのって、そこにはいつの間にか当たり前となってしまった日暮さんがいる。彼女がいることに慣れ始めてはいた。
それでも、クラスで向けられる凍てつく視線にはあまり慣れない。なぜなら今まで周囲から好かれも嫌われもしなかった僕は人から憎まれたことがない。
勿論、日暮さんのような人と接したこともないのだがべつに怖いわけではないためか意外と馴染んでいくものだ。
「ねーねー、」
静かな車内に合わせたのか、小声で僕に話しかけてくる。だから視線だけを向けると日暮さんは本題に入り始めた。
「来週の日曜、暇?」
「…」
「月曜は?」
「…」
予定はない。それでも日暮さんに馬鹿正直に答えてしまえば予定が出来てしまう気がした。だから黙るというずるい技を使わせてもらう。
「そっか、じゃあ日曜と月曜付き合ってね」
「は?なんでっ」
つい、反応してしまうと日暮さんはゆっくりと口角をあげ、笑みを浮かべた。
「約束したじゃん。私達のクラスがリレーで一位とれなかったら言うこと聞くって」
「あー、そんなこともあったね…」
実は昨日、体育祭予行練習がありリレーだけは練習として学年別の予選の練習のみ通したのだがビリだった。
僕も真剣に走りはしたが所詮は学校に行く以外引きこもり。後ろに抜かれないように走ることだけで手一杯。
僕一人が本気になってもならなくても結局クラスに及ぼす影響はなにもなかったのだ。
「なにー?昨日負けたの悔しかったの?」
「べつに…」
「違う。とは言わないんだね」
日暮さんの言い方は気に入らないが、それでもまちがってはいないのかもしれない。確かに悔しかった。
本気になれば何かしら変わるかもしれない。なんて思っていた考えの甘さを思い知らされた。
欲しいものを全部大切にすることは出来るのかもしれないが手に入れようとすれば話は大きく変わる。欲しいものを全部ほしいなんて思っていた訳じゃない。
それでも僕は全てを手にするためのやり方をやっていたのだろう。
高校の最寄り駅につき、日暮さんとはここで一旦別れることになる。日暮さんには日暮さんの関わるべき友達がいるのだからそれが普通なのだ。
「悔しかったよ」
なぜ口走ったのか分からない。それに日暮さんが発した言葉からはかなり時間も空いていた。
なんのことなのかすら分かって貰えないかも知れない。そう思ったが、どうやら日暮さんは意外と話の分かる人らしい。
笑みを浮かべて、人混みのなか僕に呟く。
「期待しないで期待しとくよ」
「裏切っても知らないからね」
「まあ、気楽にいこうよ。負けたら私とのデートなんだし少しは慰めてあげるよ?」
日暮さんの言葉には日暮さんの言葉で返すことが一番いいのかもしれないと思いつき、数秒前の彼女の言葉をコピペのように使ってやった。
「期待しないで期待しとくよ」
「あー、真似したっ。著作権!罰金!」
大勢の人混みのなか本当にうるさいやつだと思わされる。てか、日暮さんごとき一般人の言葉に著作権なんてあるわけがない。
人に押され彼女の肩が僕の上腕部に触れると、出会った頃を思い出させる。
どうすればいいのか分からず挙動不審になっていたかもしれない僕に犯人を捕まえるための指示をして、ついでに僕までも捕まえる破天荒な有名クラスメイトに本気でひいた。
あれから約一年。
僕は少しずつ変わり始めた。
「あ、もう皆いるから先行くね」
「うん、気をつけて」
友達の方へと踏み出した日暮さんの足が止まり、彼女は僕の方を振り返り目を丸くしていた。
なにも言葉を発することなくじっと見られているのは気持ち悪くて、僕から「なに?」と問う。
「ううん。なんでもないよ!」
向けられた笑みにもいつの間にか慣れていて、気が立つこともなくなった。
日暮晴乃は笑う生き物だからその笑顔に苛立ちを感じていてはきっと友達ですらいられなくなる。でも、僕は我慢をしてる訳じゃない。
最近の僕はなんとなく変なんだ。あの忌々しい笑顔を見るだけで笑いそうになるし、うるさい彼女がいるだけでどこか安心している。
その安心は強い人の影に隠れると安心するような感覚だと思う。女の子を盾に安心するなんて相変わらず弱っちい男だと思うが、それがまた僕らしいんだ。
憂鬱な水曜日が僅かに気持ちのよい水曜へと転び始めた。
教室へ向かう足も重くはなく、ドアにかける手なんかは凄く軽くてすんなりとドアを開いた。
教室内に一歩足を踏み入れると周囲の視線が僕に集まった。
しまった…と言わんばかりの表情をしている多数のクラスメイト。その理由は黒板にすべて書いてあった。
黒板にはリレーの走る順番通りに上から名前が書かれていた。一見、リレーで勝つために作戦を考えているようにも見える。というより、始めはそうだったのかもしれない。
黒板に書かれた名前の横にはアドバイスがかかれていて、それを参考に頑張ろうと言うことなのだろう。
でも、僕の名前の横にはアドバイスなどなかった。それどころか僕の名前だけは白く塗り潰されていた。
僕が変わることを望まない人間がいる、彼らのように。変わると言うことは以前のどっち付かずだった平和という立ち位置を捨てるようなこと。
それを理解した上で僕は日暮さんと関わることを選んだ。
人として今までとは違う生き方をすることを選んだ。
僕なんかの生きる理由を探すことを選んだ。
呆然と立ち尽くしているとバスケ部二年生エースでクラスのまとめ役、林田一樹が僕のすぐ目の前まで近寄ってきた。
また、殴られるかもしれない。そう思うと少しばかりの怖さがあった。それでも、なんとなく退けてはいけないような気がした。
林田一樹は真剣な表情、口調で話し始めた。
「俺はリレーで優勝したい。優勝したらやりたいことがあるんだよ、だから本気じゃない奴が足を引っ張るのは見過ごせない」
「足遅くてごめんね」
本能的に敗けを認めて謝ってしまうのは僕の悪い癖だ。でも、そうすれば一時的にだが保留扱いになる。
そう思っていたのだが、そんなことはなかった。
「杉咲、当日は仮病使って休んでくれよ。そうすればお前は嫌々走ることもないし、他の奴が走れば勝てるかもしれない。俺らにとっても杉咲にとってもいい提案だと思うが…」
その提案に周囲は納得しているようだったが、僕よりも一足先に教室に来ていた日暮さんは納得がいかないのか勢いよく立ち上がった。
来るなよ…日暮晴乃…。
僕の想いは口に出していないがために彼女に届くことはない。
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