壊された立ち位置(終)


 二年生エース君との一件もあり、僕は多数の人からの視線のさきにいることが多くなってしまった。




 バスケ部の林田にボコられた奴だ、とかひそひそと話しているようだが、僕本人に聞こえているのだから逆に悪質だ。でも、こういった経緯がなければ僕は林田一樹はやしだかずきという彼の名を知ることはなかっただろう。




 昔から勉強だけはできていた僕でも、他人の名前を覚えることだけは不得意すぎた。それも、友達のいない理由のひとつだ。




 興味が湧かなければ名前すら覚えてあげられない。そんなポンコツな僕は今も昔も変わらない。ただ、変わったことがあるとするのなら興味が湧いたということだ。




 彼は、僕を殴った翌日から敬遠されてきた。でも、たったの一週間で信頼を取り戻したのだ。




『俺は確かに間違ったやり方をしたけど、このクラスで体育祭やれんのは一回限り。本気で勝って思い出を作りたかった。もう一度だけでいい、俺についてきてもらいたい』




 貫禄のある口ぶりに僕自身震えそうになった。だが、まんまと心打たれているおめでたい周囲の人とは違い、すぐに彼の言葉が事故防衛のための虚言だと気がついた。




 彼は自らの過ちを認めその上で人の同情心を煽ってきた。




 それが、本当に勝ちたいという純粋なものから来るのならまず僕のようなやる気のない人間に話をするだろう。




 だからこそ、彼の口からは嘘の臭いがしたんだ。




 それでも彼の信頼度はうなぎ登り。中には僕のようなどうしようもない協調性のない奴は殴られてようやくわかる。だなんて古い考えを述べる者までいるらしい。




 ちなみに、この要らない情報は日暮さんが提供してくれた。ヘラヘラと笑いながら陰口を言われている当の本人に伝えるあたり、やっぱり変わり者だ。




 今日もまたリレーごときのミーティング擬きに盛り上がる彼らを見て、僕は溜め息をつく。




 そんなときには決まって日暮さんと目が合う。そうなると彼女は持ち前の笑みを浮かべ近寄ってくる。




 彼女が席をたつと視線が集まる。その事に自覚がないため僕には多大な被害が及ぼされるのだ。




 本当に無自覚というのはどんな罪よりも重たい。




「ねえねえ」


 他人の目など気にもせず僕に話しかけてくる。


「なに?」


 どれだけ上手くやれているかは分からないが、昨晩鏡を見て練習した、嫌がる表情を作って見せた。




「私が来ると迷惑なわけ?」


 日暮さんを拒んだことで距離が遠くなった事もあったが、それでも僕は嫌なものは嫌だと主張したい。それに、彼女自身少し前よりは大人になった。




 だから「うん、迷惑」と告げた。


 日暮さんは「うんうん」と相づちをしながら頷いていた。そして、口を開く、




「楓君にとって迷惑なのは存じ上げておりますが、生憎君の意思よりも私の意思の方を優先するように定められているのです」


「は、誰に?」


「私に、って言ったら?」




 明らかに僕を挑発している。弁護士でもたてて人生のドン底まで陥れてやりたいと口にしたいが、そう答えれば日暮さんはきっと喜ぶ。




 喜ぶ理由は本当に謎だが日暮晴乃とはそういう人なのだ。


「もういいよ」


 結局、僕が先に折れてしまい日暮さんが優位にたつのだ。優位にたてば用件を言われる。




「明日買い物いこうよ。てか、来て荷物もって」


 なぜ、土曜日という休日を使ってまで荷物を持たなければならないのか、なんて疑問を抱いていると周囲の空気が変わったことに気がつくのが遅れた。




 僕の机に腰をかける日暮さんに詰め寄るようにまた一人厄介な人が僕に接近してきた。


「晴乃、あんた何言ってんの?明日はバスケ部の練習だよ?」




 高身長のショートカット女子が日暮さんを睨みながらも問い詰める。


 僕がふと、視線を向けた名札には福森夏希ふくもりなつきと書かれていたので驚いた。




 僕は彼女の名前を知っていた。




 高校でのテストには五科目の合計点数ごとに順位がつけられ学年の掲示板に張り出される。その掲示板には上位五名までしか乗らないのだが、各自が渡される成績表には各々順位が記されている。




 つまり、上位五名以外は本人だけ順位を伝えているというシステムだ。




 問題なのなこのシステムじゃない。福森夏希という生徒は入学してからこれまで常に五位をキープしていた。




 そして、勉強にだけは少しばかりの自信があった僕は常に六位をキープしている。つまり、彼女は僕の一歩上の存在だ。




 個人的にライバル心すら燃やしていると言っても過言じゃない。


 だが、それよりも哀れむべきなのは僕の視野の狭さだ。新しいクラスになって一ヶ月は過ぎたというのに彼女の存在に気がつかなかった。




 顔事態は知らなかったとは言えど出席確認でいくらでも知れただろう、それ程までに周囲に興味がなかったのか。




 僕に友達がいないのは全面的に僕が悪いと自分で証明しているみたいで、そういった意味でも福森さんが今現れたことは辛かったと言える。




 それからもう一つ。


 福森さんが口にするまで、僕は日暮さんがバスケ部に所属していたことを知りもしなかった。でも、日暮さん自身も色々と悩んでいるということは分かっている。




 だから、せめて上手く誤魔化そうと思い席を立ち上がろうとした。が、そんな僕の肩に手をおいた日暮さんは「大丈夫だよ」と温かい笑みを僕に向けた。




 日暮さんは福森さんを真っ直ぐ見て口にする。


「バスケはやめる。このミーティングが終わり次第先生にも話してくるつもり」




 そう、言い切った日暮さんはやはり強い。結局、彼女は悩み苦しみ自らの道を自らの答えで決めたのだろう、だから強くて優しい。




 日暮さんの部をやめるという、告白が余程ショックだったのか福森さんは口を開けたまま一方後退した。




 声のでなくなった福森さんの代わりというべきかは分からないが僕を殴った前科のある林田君が日暮さんに問う。




「バスケよりもそいつの方が良いってのか。そいつには、これまでの頑張りと同等の価値があるのかよ」




 彼の最もな意見を前に日暮さんは僕に一度笑みを向けてから二人に顔を向け直した。


 僕を見て笑っていた日暮さんの笑顔からは普段の忌々しさがまるでなく、作られた笑顔だとすぐにわかった。




 なんの話をしているのか知らない人ですら息を飲む室内は、静まり返り彼女の声が響き渡った。




「楓君の価値をスポーツなんかと比べないで…」


「スポーツなんかって…あんたねぇー」


 怒りに満ちていた福森さんは日暮さんの肩を強くつかみ揺らしていた。


 すると、暗く冷めた声が僕らの耳に響いた。




「人の命は…。人生はスポーツじゃない。人生は生きるか死ぬか。その状況下で生きている人間の価値をスポーツ程度の遊びと比べないでって言ってるの」




 鳥肌がたった。恐怖心なんてものじゃない。


 日暮さんの言葉にはなにか説得力があり、かなりの重圧があった。とても、高校生の言葉とは思えない程の重圧。




 この場にいる僕を含めた生徒は日暮さんの強い意思のようなモノに圧倒されていた。




 僕らはこの時、言葉を失っていた。だが、気が付くべきだった。彼女の強がりから並べられた嘘に。

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