壊された立ち位置1
昨晩は浮かれ気分だった僕も水曜日と言う朝には勝てない。木曜日なら明日行けば終わりだと思えて、金曜日なら今日で終わりだと思える。だが、水曜日はあと二日もあると考えてしまう。
水曜日というだけで憂鬱になる。重たいからだを起こして朝食を食べこともせずに駅へと向かった。周囲には僕と似た、浮かない顔つきの社会人が数人いた。
電車の中でもその浮かない表情をしている人はたくさんいて、僕だけが辛いんじゃないのだ、なんて考えながら少しだけモチベーションを上げた。
それでも、一駅ずつ高校の最寄り駅に近付くたびにモチベーションは底まで落ちていく。
ドア側の壁に寄りかかり外を眺めていると窓ガラスに映る同じ高校の女子生徒が僕を見ていることに気がついた。
トンネルに入っているというわけではないためはっきり見えるわけではないが、窓に映る人物が誰なのかくらいは分かった。
僕は日暮さんの方を向き「おはよう」と告げる。
「うん、おはよう。今日は良い朝だね!」
「は?どこが…。あと二日も学校にいかなきゃ行けないのに良い朝な訳がない」
「楓君はそういうネガティブな所変えないと本当に腐っちゃいそうだな」
日暮さんは呆れた表情を作りながらも僕を心配しているようだったが、完全には信じない。なぜなら日暮さんが僕を気にかける動機がわからないからだ。
ただ、暇潰しにされているならごめんだ。無論、盗めるコミュニケーション能力は盗んでいくつもりだが。
日暮さんを気にせずに再び窓の外に視線を向けると、袖を引っ張られた。少し、うざったく感じたが振り返ることにした。
日暮さんの方を見るとしかめっ面だった。何かに怒っているようだったが今回はなにもしていないからそれほど怖くは感じない。
「何でメッセージの返信しないの?友達いなすぎて返信の昨日知らないとか?」
「あー」
前言撤回。この件に関しては僕だけが悪い。というより今日怒られることを予測して返信しなかったのに忘れていた。
どう説明したものか、と思ったがこう言うときは嘘を突き通すべきだと思った僕は真面目な表情を作り言葉にする。
「悪いけどどうやって返信するのか教えてもらっても良い?」
「は?マジなの?」
「うん」
そういって僕は自分の携帯を取り出し、日暮さんから送られてきたメッセージを開いた。すると、文字を打ち込み右下の矢印を押せば送信できる、という知らない人はいないだろう機能を丁寧に説明してくれた。
ここまで天然で素直な対応をされると逆に申し訳なさが出てしまう。だが、本当は気がついているんじゃないかとも思う。
「じゃあ、試しに何か送ってごらんよ」
「うん」
そう言われて、僕は一文字選び送信した。
『あ』
すると、日暮さんの表情がパーっと明るくなり僕との距離をつめてきた。そして自分の携帯の画面を僕に見せてきた。
「ほらみて、楓君のおくった文字が私に届いてるでしょ」
この様子を見て、僕の些細な嘘を本気で受け入れてくれているのだと確信した。だから、これからは日暮さんに嘘をつかない努力をしようと思った。
ただし、今だけは嘘だったことを口にすれば怒られそうなので口にはしない。ずるいかもしれないが人間ずるいやつが生き残るってものだろう。
「次からはちゃんと送信までするよ」
僕が日暮さんにそう言うと僕の話なんか聞いていないのか携帯をいじっていた。
無視されていい気はしないがうるさくされるよりは幾分かましだと思えた。
それから数秒で僕の携帯に通知がきた。携帯を開くと日暮さんからメッセージが来ていたのだ。
『うん、期待しないで待っててあげる』
わざわざ面倒臭い事をする日暮さんを見て僕は呟く。
「このメッセージは返信しないからね」
日暮さんは携帯で自分の口元を隠し、んふふと笑っていた。なにが楽しいのか理解してあげることは出来ないだろうし、理解したいとも思えない。
こんな至って普通な状況も僕にとっては異常だった。
まず、二人以上で学校にいった事がなかった。それから女子と朝から話した事もなかったし、メッセージを受け取ったことも返信した事もなかった。
日常は少しずつ変わっていくからなにも壊れない。現在の変化速度は実に緩やかで僕にとっては最良のスピードだと思う。
ただ、問題があるとすればこのまま日暮さんと高校へ向かうのはまずいということだ。見ず知らずの人間に逆恨みをされてもかなわない。
「ねえ、日暮さん」
「お、なんだい楓君」
些細な口調の変化にイラッとする気持ちを押さえながら僕は別々に登校することを提案した。
日暮さんのことだから気にしないのだと思っていたが日暮さんも、すんなりと頷いてくれた。
僕はようやく分かった。
日暮さんと言えど校内に好きな人の一人くらいいてもおかしくはない。そんな人に僕といるところなんて見られたらたまったものじゃない。
日暮さんの好きな人が、どんな人なのか気になりはするが僕の立ち入ってはいけない範囲の中だ。仕方ないがこの件については忘れることが一番だろう。
電車が高校の最寄り駅に着くと、日暮さんは「じゃあ教室でね」といい、駆け足で階段を降りていった。
そんな日暮さんの小さな背中を数メートル高い位置から見下ろし、僕の水曜日は幕を上げた。
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