外清内濁。
喫茶店には様々な客が訪れる。
珈琲が好きな紳士淑女に待ち合わせ相手を待つ若者。ひと時の休みを求めるサラリーマンや頭を悩ませて原稿に向かう作家先生。
「はぁ…」
そんな混沌ながら落ち着いた風景を一望できるカウンター奥で、長い髪を落ち着いた色のシュシュで束ねた元気盛りであろう少女は珈琲カップを磨きながらため息をついた。
接客業としては零点な行いに少女はハッと顔を上げたが、幸福なことに平日の昼間にしては客入りが少なくカウンター越しに少女の憂いを咎める人間はいなかった。そのことにほっと一息ついて胸をなでおろしていた時。
「村山さん?」
喫茶店の雰囲気によく合う低く落ち着いた声が少女…村山花に声をかけた。
「ひゃいっ!?」
突然のことに花は慌てふためいて奇妙な声を出しその場で飛び上がる。
花が振り返るとそこには自分よりも少し背が高く顎下に白髭を貯えた、花の雇い主でありこの喫茶店のマスターが目を見開いて驚いている姿があった。
「あ、すみません!ちょっと驚いちゃって!」
「急に呼んでしまってごめんね」
何も悪くないマスターが申し訳なさそうに眉を下げる姿にさらに焦りふためく花。カウンター奥は先ほどの落ち着きをかき回すように煩くなっていく。
「は~なちゃん!どーしたの?」
それに吸い寄せられるようにこの喫茶店の雰囲気には合わない視覚が喧しいパーカーを羽織った金色短髪のいかにも陽気そうな男がカウンター席に現れた。
「マスター花ちゃんになんかしちゃった感じ?」
「いやぁそんなつもりはなかったんだけど…」
「変なことなんてなかったですよ!」
「なんかあったら俺にいいなよぉ?」
やけに馴れ馴れしい男の態度に花があからさまに眉を顰めたが、男は一切動じずにあろうことか今嫌悪を示した花に「コーヒーとエッグトーストね」と音符がつくような声色で注文した。
「はぁ…」
「その蔑んだ表情さいっこう!」
「晴山君、その辺にしときなさいって…村山さん頼んでいいかい?」
「あ、はい」
マスターの助け舟に急いで乗り込み、制止にも動じずなおもカウンター席に居座る晴山から逃げるように花は厨房に引っ込む。
食パンをトースターに入れてフライパンに卵を割り入れて火にかけたところで花はまたため息をついた。
晴山が大嫌い…というわけではないのだが、厳格な両親の下で育った花は今まで自分が会ったことのない人種であるこの男はどうも苦手でぞんざいな態度を取ってしまう。
それでもこの店に彼が訪れるのはマスターの人望か、この店の居心地の良さかそれとも…。
「…山さん…村山さん!」
「え?」
「焦げ臭いけど…」
「あっ!」
マスターの声に思考から覚めた花は目の前の元卵の現ダークマターに愕然とする。
「ご…ごめんなさい…」
「失敗はしょうがないよ。それよりも大丈夫かい?」
「え?」
「さっきからなんか悩んでいる様子だったから…」
心配させてしまっていたのだと花は申し訳ない気持ちになった。
相談するべきだろうか。でもマスターには関係のないことだし、もしかしたら自分の勘違いかもしれない。
「村山さん」
花がぐるぐると考えているとマスターはゆっくりと口を開いた。
「言うのが嫌だったら言わなくたっていい…けれどもし、迷惑かも勘違いかもと考えているなら遠慮なく話してほしい」
「遠慮なく…」
「迷惑なんかじゃないし、もし間違っていたらそれを僕は大人として正すことができる。だから話してくれないかい?」
目元のしわを深めながらマスターはにっこりと微笑む。
そんな表情に若干17歳の花はすっかり絆され、今までのため息の理由をぽつりぽつりとこぼし始めた。
「実はその…最近誰かに見られている気がして…」
「見られている?」
「その…家に帰るときに必ず通る古い踏切があるんですけど、そこを通るときになんかその…気持ち悪いというか…不気味な視線を感じるんです」
「ほぅ…」
「多分私の思い過ごしだとは思うんですけど…」
「視線を感じるのはそこだけかい?」
「はい…そこを通らないようにしたいんですけど今そこ以外の道が工事中で使えなくて」
「そっか」
「すみませんこんな変な話してしまって」
「大丈夫だよ…話してくれてありがとう」
花がしゅんと顔を下げるとマスターは花の頭をゆっくりと撫でる。
それはまるで孫をあやす祖父のようで、花の心中にあった先ほどまでの不安はすっかり浄化されていた。
半分に欠けた月が薄い黒雲に見え隠れする深い夜。重そうな革のトランクを持ち、闇に溶けるほど真っ黒な服を身に纏った男が踏切の中央で立ち止まっていた。
その踏切は随分と前に稼働していた踏切で、廃線になった今は動く様子も見せずにただそこに存在するだけの置物になっている。
「いるんだろう?」
男は不意に声を上げた。
それはどこかに隠れている誰かに問いかけるような声色で、独り言にしてはやけに大きな声で。こんな夜更けに反応するような人間もいるはずがなかった。
…あくまでも人間は。
「……ヒヒ」
男を嗤うような高くてきつい声が踏切を覆うように響いた。
そしてその声がどんどんと大きくなっていくにつれて、踏切の外の空間が歪んで白い霧が現れた。その奥に赤い点滅が見え隠れする。
ただの古めかしい置物だった空間が突如として不気味で歪な空間に様変わりしたのだ。
男の様子を確認することもなく高い声は続ける。
「ホントハアノ小娘ヲ狙ッテタンダケドナァ…アノカワイイカワイイ顔ガ恐怖ト苦痛デ歪ム瞬間トカ絶対ニイイト思ウンダヨ」
ぼんやりと黒いやせ細った腕と翼を持つ化け物が霧の中に現れると同時に甲高いキンキンと警告音が響く。
「マァデモアンタミタイナ余裕ブッテル奴ノ情ケナイ表情モ面白ソウダカライイケド」
気持ち悪い引き笑いと警告音に男は深くため息をついた。
「聞いてもいないのにダラダラと話すねぇ」
「ハ?」
「もし何か事情があったなら相談に乗ってあげようと思っていたんだけどね…」
男は再度ため息をついて顎下の髭をゆっくりと触る。
「君は自分の快楽のために人に迷惑をかけているように思う」
「ソウダッタラナンナンダヨ?」
「……ハル」
男がぽつりと呟いたその時。
男の前に金色の髪を振り乱した一匹の怪物が現れ、その場に鎮座していた霧を一気に晴らした。
「ナニ!?」
黒の化け物が男の眼前にはっきりと映し出される。
それを好機と捉えたのかハルと呼ばれた金の怪物は化け物の頭を捕らえてその真っ黒の物質に噛みついた。
騒音に近い声で化け物が悲鳴を上げるがそれを気に留めず、怪物は漆黒をかっ喰らう。
「グギャァァァァァァァッ!」
化け物の赤い瞳が最後に映した景色は、白髭の男がうっすらと不気味に笑った姿だった。
「いやぁ味気ない!」
数分後、口元のどす黒い血を拭ってハル…晴山はそうこぼした。
本人曰く、先ほどの化け物は小さいし弱いしで食べ応えがなかったらしい。
そんな文句を背に受けたまま、男は化け物の残骸を拾って持っていた小さな銀色のケースにそれを仕舞う。
「しょうがないだろう、品定めしすぎてろくに人間を喰らってなかったのだから。腹ごしらえできただけマシだと思ってくれ」
「あんたを食べれば100年は腹持ちしそうなんだけどな」
「生い先短い老父を喰らったところで意味はないよ」
晴山が男の顔を覗き込むようにそう囁くが男は聞く耳を持つ様子もなく鞄から小瓶に入った清めの塩を取り出す。
それを見た晴山はぎょっと目を見開いて慌てた様子で男から遠ざかる。
「それを俺の前で出すなよ」
「じゃあ邪魔をしないでもらえるかい?」
「虫も殺せないような笑顔しといて…あんたあと200年は生きれるんじゃねぇか?」
「私はただの人間だよ、無理に決まっているじゃないか」
「バケモンを脅せる肝っ玉持っといてよく言うよ」
半分聞いていない様子で踏切の全体に塩を撒く協力者に晴山はため息をつく。
「ま、脅されなくても殺さねぇけどな。あんたの淹れるコーヒー美味いし…それに」
「それに?」
「あんたが死んだら花ちゃんが悲しむだろ…マスターさん?」
晴山が悪戯に笑いながらそう言うと、男は撒く手を止める。
「まぁ…そうかもしれないねぇ」
そしてぽつりと呟いて欠けた月を見上げて微笑んだ。
(暗転)
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