第104話
全身を何かに包まれながら漆黒の中を引っ張られる。只ならぬ倦怠感と胸に圧し掛かる焦燥感がへばり付く。逃げられないし、逃げる気力も湧き上がらない。心地が良く、馴染み深い何かが明滅して止まらない。
人肌の感触は無数の手の様に蠢いた。不快感など微塵も無い温かさに連れられ、俺の意識は現実まで浮上する。
「――――生っ! 先生っ! 聞こえますか……起きて下さいっ!」
「レオ……ナ……? どうして……ここに……」
目を覚ませば視界一杯にレオナの顔が広がる。慌てた表情が明瞭になり、心の底から俺の身を案じてくれているのだと理解出来た。
自分自身がどんな風になっているのか分からない。自分の肉体の様でありながら、まったく別の何かに作り替えられたかのような違和感。
久し振りに見たレオナの顔に安堵をすると同時に、末恐ろしさも滲み出る。
「レオナ……俺は――――」
「良かった……! 良かった……! ホントに……ホントに良かった……!」
意識が浮上したのを確認したレオナは俺の頭を抱える様にして抱き締める。そこで初めてきちんと意識が覚醒し、思考の溝に溜まった泥が吐き出された。
「――――そうか。レオナ……お前……特聖を」
――――『抱擁』。
名称しか読み取れない。効果の検討を続けていると、やがて答えの方から落りて来た。
「先生のおかげというか……先生が居なければそもそも在り得ない特聖ですよ」
心に重たく圧し掛かる何か。思考出来るだけの人間らしさ。
レオナに抱かれ、戦いを振り返る。レイベルと向き合い、静かな決着へと導いた。それら全てを、ザインという個人として感じられる。
無限に湧き上がる喜怒哀楽がストンと胸の中へ落ち着く。今までの様に情報統合体から転写せずとも、自分が何を感じて考えているのかが理解出来る。
今まで積み重なった記憶の全てが感慨となって、涙に変わる。久し振りに感じた人間らしい感情をしかと受け止め、優しく抱いてくれているレオナの背に手を回す。
「そっか……そうか……本当、変な力に覚醒するな……レオナは」
「はい。ザインという個人に対しての絶対保護。人間として本来備えているべき機能を取り戻す。本当に、たったのそれだけです」
一体どんな風に思い願い、渇望すればこんな特聖が発現するのか。人間としての正常なザインが欲しい。健康に生きるザインが欲しい。
良い意味で狂っている。常識レベルに欲したモノがその程度だなんて。不変である自身の答えをそんな事に使ってしまえるだなんて。
けれど今はレオナが誇らしい。こんな俺の事を心の底から愛してくれて、こんな所まで付いて来て抱き締めてくれるだなんて。
「先生の事が好き過ぎたからですよ? それと、何時もお預けを食らってたからですかね?」
「それは……そうか。確かに、ほったらかしにし過ぎたもんな」
愛おしい。目の前で俺の事をここまで想ってくれている彼女の事が。今まで迷いに迷ってしまった俺をきちんと抱き締めてくれたレオナが、心の底から愛おしい。
散々な道を歩いて来た。後悔ばかりが胸に積もって、立ち向かうべき課題ばかりが押し寄せていた。何をすれば良いのか。何をすれば良かったのか。道半ばで繰り出した理論や理想に嘘は無く、傷付けた人達に対しての懺悔は降り頻る。
そんな俺が……ここまで来た。ここまで来る事が出来たのだ。
「レオナ……後悔はしてないか?」
「後悔はしてますよ。褒められる様な人生じゃ無かったんですから。けど、それを飲み込んで生きなくちゃ駄目ですから。苦しくても、この人の為ならって思える人に出会えましたから」
「俺が道を踏み外しそうになったら……この先でどうしようも無くなって……駄目になった時は、きちんと喝を入れてくれるか?」
「入れますよ。その後にきちんと抱き締めます。絶対に力になりますから……どうか末永く健康に生きて行きましょう」
これから俺がやろうとしていること。過去の全てに目を向けた。レイベルとの決着を付けた証として、心臓の奥で未だに彼を感じ取れる。
『オレはオレで納得してるさ。今は目の前の子に、言うべき事があるんじゃないか?』
以前の様に、何時もと同じ様に心の奥底から聞こえてくるのはレイベルの声。完全に融合した俺達は本来であれば互いを食い合い、意識が浮上する事の無い生命体に成り果てていた。
だが、レオナの『抱擁』により主人格として俺が形成され直し、こうして肉体の主となる事が出来た。
ザインとレイベル。二人の特徴が混ざり合い、俺本来の黒髪の中に銀色が混ざる。俺達の力すら混ざり合い、溶け合い、共有し合う。
――――分かってるさ。男だものな。決める時は決めないと。
「あの時の返事を返す訳じゃ無い。これは間違いなく俺の本心で、これからも一生消える事の無い感情だ」
俺はこれから、あらゆる世界のあらゆる不浄を滅ぼし続ける。誰からも望まれない搾取するだけの悪人。意思も無いままに大多数を破壊し続ける現象生物。明確な悪を滅ぼした後には、全ての人達が住み良い世界になる為に調整する。
行う所業は紛れも無く神そのものだろう。今まで関わろうとして来なかった事を率先して行っていく。
人を助ける。命を救う。線引きしていた筈の地平へと向かうべく境界線を跨ぐ。
だって俺は本来、人の助けになりたいのだから。何処かの知らない誰かの不幸すら、本来許せない質なのだから。
もう逃げない、目を背けない。救える命は全て救う。その果てで力としての、現象としての俺には決してならない。
何故なら、彼女が側に居てくれるから。
「好きだ、レオナ――――愛してる。これからも、俺と一緒に居て下さい」
返答は確定しているとは思うけれど、やはり少し怖い。もしかしたらと思ってしまう。個人の女性を心の底から好きになった事の無い俺だからこそ、こんな所でも気持ちが上擦ってしまうのだろう。
「はい――――ずっと待ってました。先生は思うままに人を助けて下さい。貴方の待つ家に、アタシはなりますから」
少しだけ見合った後に、磁石の様に求め合う。ロマンもムードの何も無い次元の狭間。眩い銀河の煌めく波間で、俺達は人として持つべき愛を形にする。
本当に、一瞬。霞の如くに消え失せそうな感触に背筋が伸びる。触れあった唇に意識を向ければ、自分でも驚く程に高揚しているのが理解出来た。
今までのどんなキスよりも深く突き刺さる。心から愛した女性と肌を重ねているだけで幸福感が止まらない。
小振りな胸と身長も、俺本来の好みとかけ離れているなど関係が無い。レオナの全てが好きなのだ。
君が居るから頑張れる。君が居れば、これからの全てに恐怖の一縷も抱きはしない。
愛してる。大好きだ。
思わず溢れ出てしまう笑みに最大限の祈りを込めて。
――――俺達の未来に、幸福な光がありますように。
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