第103話
黒に濡れた光の中。音も無く、涙の様に黒が降り頻る。中央には小さなパラソルとテーブルとイスが置かれるのみ。
「ここは……」
「俺の心の中だ。随分と殺風景だろ?」
テーブルを挟み、俺とレイベルは向かい合いながら座る。人間性を失くしてしまった俺にはピッタリの風景が黒となって表れた。情報を弾ませる事しか出来ない抜け殻にはピッタリだ。
「そうか……オレと兄さんが……一つになったのか……」
「表現に問題はあるけど……まさしくその通りなんだよな。俺の心に『烈火』の彼が宿っていた様に、今まで生み出され続けた彼等の様に、俺の中にレイベルを仕舞い込んだって事だ」
「拒まない訳だ。兄さんと一つになれるだなんて……これ以上の喜びは無い」
「だろ? 否定しないって思ったから、こんな事をやってのけた」
どうしても殺せないのなら、共存する以外に道は無い。そもそも、殺したくは無いのだから。
随分丸く収まってくれたなと安堵の背伸びをする。
「外の様子は? 兄さんの体は何処へ?」
「さっきの所へ置き去りだ。レイベルの魂と融合したんだから……きっと、もう目覚めない」
「そこまでして……」
「そこまでしなくちゃ解決出来ないと思ったんだよ……まったく、独占欲の強い弟だ」
今のレイベルは落ち着いており、敵意は感じない。いいや、そもそも彼は敵意なんて持ち合わせていなかった。
俺を連れ戻すこと。目的といえばズバリそれだ。
ついでに俺に害を為した人達を殺し尽くすと言っただけ。行き過ぎてはいるものの、理解できる節はある。
俺だって大切な人を傷付けられたら、きっと容赦しない筈だ。
「オレの魂の質量に圧されて意識が浮上しないのか。実に良いね、気に入ったよ。兄さんを真の意味で独り占め出来るだなんて……」
「それならけっこう……」
これで全て終わりだ。俺は永遠にレイベルと共に過ごす。
『烈火』の彼には少しだけ荷を背負わせ過ぎたかもしれない。悪い事をしたな。彼にも自分の人生を歩いて欲しかったというのに。
それに……レオナ。
彼女と最後に語らった事を思い出す。もう一度……いいや何度でも語らいたい。愛おしい家族の頭を撫でてやりたい。せめてもの心残りであった俺の真実を伝えられた事は幸いだった。
レオナは強い子だからな。俺が居なくてもきっと大丈夫だろう。
今まで積み重ねた絆を振り返り寂しくなってしまう。吹っ切れようとしても、どうにも調子が出ない。
「今、他の女の事を考えているな?」
「他の女って……お前な……せめて家族の事……を……と……」
バキバキ、ゴリゴリ。
皮膚と骨が擦り合わされ移動する。俺の耳にすら音が届き、レイベルの肉体は棘の生えた肉スライムへと変貌した。随分と奇妙な姿に変身したものだと目を背けたくなる。
そこから一秒。レイベルは見事に弟から妹へと変貌を遂げていた。
「……どちら様?」
「オレだよオレ。いや……ここはワタシ……ウチ? どんな一人称がタイプだろう? 兄さん、好みはあるかな?」
肩に届く程の銀髪を揺らし、頬を赤らめながら首を傾げる。肩を寄せて強調される胸をこれでもかと見せつけ、あざとい態度で眉根を寄せた。
駄目だと思ってしまうけれど……凄く可愛らしい。
「兄さんの好みに合わせたのだけど。胸も盛ったんだよ? ほら」
「待て待て待て……オーバーロードの科学力で……その……そうなったのか?」
「これは元々備わっていた機能だよ。科学力と言えば科学力だけどね。兄さん以外には見せた事は無いんだ」
「……そりゃあ……どうも」
一体何に気を使っているのか。別に誰かに女体を見せた程度で動じる筈が無いだろう。
それよりも、弟が妹に変化した事の方が困惑が大きい。行き過ぎた愛は構わないけれど、男として見られてしまうのはどうした物かと悩んでしまう。
「ふむ……へえ……ちゃんと柔らかいのか」
「……いきなり積極的だね」
人差し指で頬を突くとマシュマロの様な感触が指に奔る。肌が超合金で出来ていても違和感が無いのだが、ベースの部分はきちんと人間らしい。
暫く触れば頬を赤らめる所を見ると、やはり俺のツボを押さえている様だ。好きな人の好みに合わせる。実に人間らしい感性だ。
「べ、別にオレは構わないのだけれどね……ずっと触ってくれても。温かくて……心臓の奥が沸騰してるんだ……ほら、兄さんの感触でもうこんなに――――」
「はいはい、気味悪いから戻ってくれ。見た目は確かに可愛らしいけど、変な気分だ」
目をパチクリと動かして数秒悩み、変身したのと同じプロセスを通って元に戻る。何でも出来るというのも考え物だな。
「ああ、正常って感じだ」
「見た目として好きなのは女性型の筈だろう? 兄さんならさっきの容姿に性を感じる筈だ」
「人を万年発情期の兎みたいに言うなよ……三大欲求はバランス良く保たれてるよ」
「だけどね、これは好みの問題だ。どちらがどれだけ好意的であるかという……」
「男として生まれて、男として一緒に過ごしただろ? 俺の中でのレイベルは男であり弟だ。そうじゃないと変な気分になる、それだけだ」
どうやら俺の中にある性癖には女体化が無いらしい。創作物や妄想の中だけで嗜む様な類いだが、現実で目にするとは思っていなかった。
「それで……本当にこのままでいいの?」
「このままでいいって……こうでもしなくちゃ、世界を滅ぼすんだろ?」
「それはそうだね。兄さんを傷付ける世界は許さないもの」
「だったら一々聞くなよ。倒せないからこんな手段を取ったんだ。こんな決着があってもいいだろ?」
レイベルは目を伏せて哀しげな表情見せる。だが、次の瞬間には飄々とした顔へと切り替わり、先程までの色を感じさせない。
いつまで経っても俺は彼を理解出来ないらしい。きっとこれからも振り回され続けるのだろう。
「どうだったよ、俺が居なくなってから。親父殿と変わらずに家業に専念してたのか?」
「それがオレ達の生き方だって知っている筈だよ」
「勢力下に加わるか……でなければ死か。そんな二択を他者に迫り続ける様が嫌いだった」
「オレ達が支配、管理する事で数多ある世界での争いは終息している。意味がある支配なのだと兄さんも知っている筈だ」
「そもそも、誰かにいきなり支配か死かの選択肢を投げる事が最低だって言ってるんだ。それに……管理される世界や種族だって碌な目に合わない。夢も希望も持たないで、オーバーロードに使い潰される」
「仕方が無いだろ。そういう存在なんだから。世界を管理する調停者がオレ達だ。オーバーロードが存在しなければ、もっと多くの悲鳴が流れる」
「言い切るんだもんな……まったく……」
軽く息を吐きながら背中を曲げる。前で指を組み、頭を抱える様にして思考を巡らせるも、この話題は平行線を描いてしまうと理解が出来た。
「俺は……もう少し、良い方向に物事を運べないかと思ってだな」
「目を背けて逃げた兄さんにそんな事を言う権利は無いよ」
突き刺すような声にハッとしながら顔を上げる。
「良い方向に改善案があるのなら、オレが総督になった後で提案すれば良かっただろ? それをせずにこんな所まで逃げて来て……しかも、自分とは違う生き物なんだと認識した程度で……怖いってだけで……」
今まで一度も感じさせなかったレイベルの中の怒りの感情。悠々自適に支配者然として振る舞っていた彼は昔の様に表情をコロコロと変えながら俺への愚痴を零し続ける。
「もしかして……怒ってる?」
「兄さんのやる事なら何でも許す都合の良い奴だとでも思っていたのかな? 兄さんになら無条件で殺されても構わないなんて頭のおかしい思考をしていると? いきなり捨てられて、八年間音信不通になっても許されると思っていたのかい?」
「いや……ええと……それはだな……」
二つの精神が一つの肉体に無理矢理収まっているせいか、レイベルはいつも以上に感情を吐き出している。黒が支配する空間で向き合っているからこそ、心の丈を零しやすいのかも知れない。
何時まで喋っても怒りが収まらないレイベルにタジタジになり頭を下げる。彼の発言は全て正しい。そもそも俺が彼等から目を背け、逃げてしまった事が原因なのだから。
「――――寂しかった。あの日からずっと……心が欠けたみたいで……」
「……ごめん。俺も、怖かったんだ。俺の想像を遥かに超えるお前達に脳味噌が齟齬を起こして……どうしたらいいか分からなかった……」
俺は……そうだ。何を勘違いをしている。失ったのはレイベルも同じじゃないか。許し難い家業は付属しているけれど、レイベルが悪い訳じゃ無い。彼も俺と同じ様に傷付き、後悔していたんだ。
「まず一番に謝るべきだったな……」
「いいや……オレの方こそ……」
ぎこちない笑みを突き合わせながら手を握る。あんなに小さかった手がしっかりと成長している。積み重ねた思い出は嘘では無く、砕けた感情にも偽りは無い。あの時拒絶してしまった自分を恥じ、レイベルも後悔しているのだと熱として伝わってくる。
「戦いで……生と死で……白と黒で決着を付けなくて本当に良かった」
俺達は互いに世界最強だ。相手を殺そうと思えばどこまでも進化し続け、己の願いを叶えてしまうだろう。勝負とは、殺し合いとはそういう事なのだから。
「これからは二十四時間営業無休で相手してやれるぞ。レイベルが居座ってたら俺も起きられないんだ」
「良いのかい? 兄さんの大切な人達は、それを許してくれると?」
まさかの発言に目を見開く。この僅かな時間にどれだけ心変わりをしたのかと数度目を瞬かせるが、結局は一つの答えに落ち着いた。
「でも、殺したり、壊すだろ?」
「それは勿論。兄さんだって好きな人を汚されれば怒るだろ? それと同じさ」
まあ、確かに一理ある。レオナやダンタリオン。ロウやリゼが傷付けられれば怒るのは間違いない。
「報復が重すぎる。その辺りはこれから矯正しなくちゃな」
「楽しみだ……楽しみだけど――――」
先程まで見せていた悠々自適な支配者の顔へと戻ると、レイベルは徐に足を組む。
黒に染まった空間には更に黒い漆黒に侵されヒビが入る。強いとは別の、特殊な力により握り潰れてしまう。圧力でも無く、力の格としては遥かに下方に存在しているにも関わらず、俺の心は何者かに包まれる。
「これは中々――――度し難い子に好かれたね」
「一体――――何が――――」
黒く、温かい何かに抱擁された。愛おしさが湿度となって重く圧し掛かり、思考すら飲み干される。
――――見つけましたよ、先生。
――――
年相応よりも僅かに背丈の低い身長。細身の体は引き籠って魔法の研究を続けている所為だろう。
――――撫でたい舐めたい犯したい。非力な彼を組み伏して驚きいた彼の顔に心を痛めながら消えない痕を刻ませたい。
眠りに就いた彼の顔。穏やかな中に時々見せる呻いた顔。消えない悪夢に逃げられない。
――――抱きたい。過去に襲われた瞬間から目を逸らす為に快楽に溺れて貰いたい。
彼の姿を見る度に股座が洪水を起こして止まないのだ。依存していると言ってもいい。彼が好きで好きで堪らない。
好きな異性を前にして、性欲が湧かないなんて人間として間違っているだろう。
性器を貪り性感帯を撫で、子孫を残す為の猿になる。
幸福だろう、願っても無い憧憬だ。彼の男が勃たなくなるまで絞り尽くしてあげよう。
愛撫されながら愛を囁きたい。好きな人を受け入れながら受け入れられたい。どんな異常性癖にすら対応出来る自身がある。
ザインが好きだ、ザインが好きだ、ザインが好きだ。
犯して犯されて求め続けて。ドロドロになるまで融けてしまいたい。世界の尽くが遠い些末事と思えるまで、果てなく愛し尽くしたい。
――――だからこそ、彼に正常な肉体を。
そんな寄り道すら楽しめるだけの体と、心を。安らかに一生を生きられるだけの命を。
欠ける事無く、当たり前の男として性を吐き出せる。普通の肉体を、ザインに。
彼の未来に祝福を。
そして願わくば、私という一人の女を選んでくれたなら幸いだ。どれだけ女を囲んでも構わないから、末席にでも良いから座らせて欲しい。好きな人が幸せになる事が何よりも幸福な事なのだから。
――――いや、やっぱり少し寂しいな。出来れば私が……選ばれて欲しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます